13日 ウォーク一日目ゴールの後
名護バスセンターからタクシーで今帰仁城跡を訪ねました
国指定の史跡であり、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつでもある
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)。
14世紀に琉球王国が成立する以前から存在していた北山(ほくざん)の国王・北山王の
居城であり、別名、北山城とも呼ばれる。
那覇空港から車で約1時間40分、沖縄本島北部・本部(もとぶ)半島にある
標高約100メートルの高台にある。
中山軍が北山をなかなか攻め落とせなかったのは、グスクの周りに流れる志慶真川沿いに
城壁がそびえ立っていたこと。またその城壁は、蛇のようにくねくねと曲がっていて
防御機能に優れていたからだと考えられます
では、どのようにして中山は北山を攻略したのかというと、ハード面が難しいならソフト面から、
ということで、北山王の側近を賄賂で寝返らせ、今帰仁城の志慶真門跡(裏門)から侵入して
攻める作戦で陥落させたのです。
今帰仁城主郭の変遷
調査の結果13世紀から17世紀の間 4期に区分されることが分かった
出土品にも特徴がある
地元産の土器を多く使用していた第1期に比べて
中国産の陶磁器の使用が増えた
3期は今帰仁城が最も栄えた時期で城の敷地が拡張された
中国との貿易が行われ中国製の陶磁器が多量に出土されている
4期 中山王(尚氏)に征服され今帰仁城の繁栄の時期は終わる
2000年12月『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として
9箇所の遺跡が世界遺産に登録されました
世界遺産の見学満足でした! この後は海洋博公園まで歩きます
名護バスセンターからタクシーで今帰仁城跡を訪ねました
国指定の史跡であり、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつでもある
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)。
14世紀に琉球王国が成立する以前から存在していた北山(ほくざん)の国王・北山王の
居城であり、別名、北山城とも呼ばれる。
那覇空港から車で約1時間40分、沖縄本島北部・本部(もとぶ)半島にある
標高約100メートルの高台にある。
中山軍が北山をなかなか攻め落とせなかったのは、グスクの周りに流れる志慶真川沿いに
城壁がそびえ立っていたこと。またその城壁は、蛇のようにくねくねと曲がっていて
防御機能に優れていたからだと考えられます
では、どのようにして中山は北山を攻略したのかというと、ハード面が難しいならソフト面から、
ということで、北山王の側近を賄賂で寝返らせ、今帰仁城の志慶真門跡(裏門)から侵入して
攻める作戦で陥落させたのです。
今帰仁城主郭の変遷
調査の結果13世紀から17世紀の間 4期に区分されることが分かった
出土品にも特徴がある
地元産の土器を多く使用していた第1期に比べて
中国産の陶磁器の使用が増えた
3期は今帰仁城が最も栄えた時期で城の敷地が拡張された
中国との貿易が行われ中国製の陶磁器が多量に出土されている
4期 中山王(尚氏)に征服され今帰仁城の繁栄の時期は終わる
2000年12月『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として
9箇所の遺跡が世界遺産に登録されました
世界遺産の見学満足でした! この後は海洋博公園まで歩きます
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