「捨て鐘」、というのは、江戸時代、時刻を知らせる鐘をつく前に、注意を引くためにつき鳴らした鐘の音で、江戸では3回、京坂では1回、だったそうです。捨て鐘と時刻を示す鐘を区別するため、鐘の撞き方も、変えていました。捨て鐘は一打目を長く撞き、二・三打目を続けて撞きます。
従来、江戸の時の鐘は、本石町、上野寛永寺、芝切通し、市ケ谷八幡、赤坂円通寺(後に成満寺に移設)、目白不動尊、浅草寺、本所横堀、四谷天龍寺、の9カ所といわれていた、1750年当時、幕府が認めた時の鐘は10カ所あり、下大崎村寿昌寺、にも置かれていたそうです。また、目白新福寺、目黒祐天寺、巣鴨子育稲荷、にも、時の鐘は、置かれていたそうです。
定時法
時刻の呼び方には、十二支と数が使われ、数は九つから四つまで下がるとまた九つに戻ります。これは「延喜式」に、子午時:9回、丑未時:8回、寅申時:7回、卯酉時:6回、辰戌時:5回、巳亥時:4回、鐘を打つように定められていた
不定時法
江戸の日の出と日没を基準とする不定時法制度では、日の出およそ30分前を明け六つ、日没およそ30分後を暮れ六つとし、その間を昼夜それぞれ六等分して一刻(いっとき)としたそうです。つまり夏と冬とでは昼間と夜では一刻の時間が異なる訳です。
早速追記:この記事の何が問題かと言うと捨て鐘も不定時法もこの歳まで知らなかったことです
知らなくても何も問題ないですが知らなかったことに感動して(驚いて)ます。
従来、江戸の時の鐘は、本石町、上野寛永寺、芝切通し、市ケ谷八幡、赤坂円通寺(後に成満寺に移設)、目白不動尊、浅草寺、本所横堀、四谷天龍寺、の9カ所といわれていた、1750年当時、幕府が認めた時の鐘は10カ所あり、下大崎村寿昌寺、にも置かれていたそうです。また、目白新福寺、目黒祐天寺、巣鴨子育稲荷、にも、時の鐘は、置かれていたそうです。
時刻の呼び方には、十二支と数が使われ、数は九つから四つまで下がるとまた九つに戻ります。これは「延喜式」に、子午時:9回、丑未時:8回、寅申時:7回、卯酉時:6回、辰戌時:5回、巳亥時:4回、鐘を打つように定められていた

江戸の日の出と日没を基準とする不定時法制度では、日の出およそ30分前を明け六つ、日没およそ30分後を暮れ六つとし、その間を昼夜それぞれ六等分して一刻(いっとき)としたそうです。つまり夏と冬とでは昼間と夜では一刻の時間が異なる訳です。
早速追記:この記事の何が問題かと言うと捨て鐘も不定時法もこの歳まで知らなかったことです
知らなくても何も問題ないですが知らなかったことに感動して(驚いて)ます。