繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

日本の自動車産業は本当にダメなのか?

2016-09-30 11:48:24 | 日記

今回は、「日本経済の沈下」と「自動車産業の沈下」を探っていきます。

■自動車に飽きたユーザー・・・「良い商品」が必要。

右肩下がりの自動車産業の中で、自動車メーカーが収益を上げる為に一番大切なこと、本質的なことは、コストカットや他責にすることよりも、「良い商品を作り→販売台数を上げる」ことにつきると思います。

 

「良い商品」とは、「お客さんが喜び、世の中も良くなる商品」です。

 

自動車商品は、乗り心地が良くなったり、燃費がよくなったり、IT装備もついたりしていますが、何十年とその商品魅力の基本は変わらないように思えます。

 

結果、ユーザーは飽きてきています。

だからクルマ離れなんです。

 

どの車も、価格が違うのはわかりますが、性能に大差はなくなってきました。

モータージャーナリストも、走りや乗り心地のような性能軸ではあまり語らなくなってきました。

ユーザーにとっては、どれも性能のいい車になりました。

 

■「良い商品」と「創造性」

そんな中、自動車で「良い商品」を「作る」ためには、よく言われる「イノベーション」と言われるほど大層なことでなくても、「創造性」が必要です。

「創造性」を高めるためには、携わる人達が「クリエーティブ」になる必要があります。

その為には、公私ということでなく「普段からのクリエーティブ生活」が大切です。

 

「必要は発明の母」という言葉もありましたが、仕事や遊びなど普段の生活を通して日々様々な経験を積んでいる中で、能動的に問題意識を持って目の前のモノゴトに対して「気づき」さらにそれを「深く考え」それまでの自分の知識や経験と合わせて、新たな知見を見出し商品をクリエーションする。

クリエーションなくして、ユーザーや世の中の喜びはないのです。

 

デフレに陥っている日本経済の課題も同じと思います。

イノベーション/クリエーションを生み出すことで活性化することが本質的に大切なのです。

 

■日本は「枠にはめる教育」

日本は、教育に関しても過去は「つめこみ」と言われていましたが、今でも基本は変わらず「与えられた、目の前の問題を解く」、つまり「オペレーション的」な教育が主になっていると思います。

本来は、「自分で課題・問題を作り、その解き方も暗中模索する」と言うような、記憶やルーチンを使わないで、クリエーションで問題解決にあたることも大切ではないでしょうか。

そこには、多様性、独自性、個別性、創造性などが生き生きとしています。

そういう教育が大切なのではないでしょうか。

 

日本の教育は、多様性を認めない、共同体意識の強いものです。学校には制服で通い、朝礼などでは整列し、お習字の道具などは一括購入で安くなっていいが、教室の中みんな同じものを持っている。

結果、ちょっとオシャレなカバンやランドセルを持っていくとからかわれる。

授業中は、気分が乗らなくても、つまらなくても、とにかく椅子に座っておとなしくしていることを強要されます。

私にとって、授業は束縛されるので「監獄」みたいなものでした。

確かに、じっくりと腰をすえて考える事は大切なので、それを教えているつもりだったのでしょうが、そもそも興味のわかないことはじっくりと考えられません。

生徒一人一人興味のある対象は異なるのです。

これも一般教養ということかもしれませんが、一般教養ってあってもいいですが、なにか役に立つんですかね?

「こんなことも知らないの?」となると確かに恥ずかしいですが、それを経験して知識を付けていくものだと思います。

一言で言うと日本は「枠にはめる教育」なのです。

 

社会にでてからも、大手企業の社長は「強いリーダーシップがあって、自分で切り開いていける様な人材、やんちゃなくらいが良い」とまで言いますが、人事担当は使いやすさや問題を起こしてほしくないとなり「従順な人材」を求めます。

実際、この社長もやんちゃな社員では困るのです。

いざ社員がやんちゃを発揮して、イエスマンにならないと人事担当に、「何でこんなやつを採用した」と怒ります。

枠にハマったオペレーターを欲するのです。

つまり、高度成長の時代のままの感覚なのでしょう。

(高度成長の時代は、つべこべ言わず、目の前の難題課題をさっさとオペレーティブに消化することが求められた時代。)

 

 

■ネット社会はルーチン社会

さらに、クリエーティブ生活がやりにくくなっているのが、ここんとこのスマホ生活も一因あると思います。

スマホ生活に毒されるような人は、元々大した能力もなく、クリエーティブ生活なんて出来ない人かもしれませんが、多くなってきたと感じます。

 

まず、電車の中では殆どの人が、退屈紛れかスマホを見ています。

注目してみると、それらの人は様々なウェブサイトやSNSなどを流し読みしているようです。

 これは、能動的に情報を選んでいるのではなく、自分なりの順番で多量の情報を流し読みしているだけではないかと思うのです。つまりこれは受け身なんです。

結果、漫然と見ているということになります。

 

スマホゲームをしている人も多いです。

これも一見ゲームをしているので能動的に見えますが、実は受け身です。決まったルールの上で繰り返しやるので、結果スキルは上がりますが、これは受け身です。

 

これらは、ルーチンといえます。

 

ルーチンを繰り返していると、楽です。

ルーチンに創造性はいりません。

普段から、ルーチン生活をしている人は創造的には思考停止状態で、何か問題に直面した場合に創造性を発揮することができません。

さらにこういう人達は、行動全体も受け身になっていきます。

 

私は、新宿や渋谷駅をよく利用しますが、利用者の歩く速度が遅くなってきていると、15年〜前くらいから感じています。

それが、スマホの普及とともに、さらに遅くなりました。

私は元々セッカチで歩くのは早いのですが、早く歩くとプラス思考になり「シャキ」っとするのです。ゆっくり歩くのは、漫然につながります。

しかも、スマホで浅いルーチン情報を見ながらだと余計です。

 

また、電車のドア付近に降りもしないのに、スマホを見ながらボーッと立っている人も多く見かけるようになりました。

混んできた時、これもスマホを見ているので邪魔するな的にさっさと奥へ詰めません。

当然、乗降時間も長くなりがちです。

その結果かはわかりませんが、乗客同士のトラブルも増えているようです。注意喚起のポスターが多くなりました。

これは、以前のさっさと行動できる人と、今風の漫然とした人の間で起こるのではと思っています。

以前は、日本の教育の成果か?乗客の価値観に大きな差がなく殆ど均一化していたので、混んだ車内でもトラブルは少なかったのだと思います。

 

こういうことからも、キチンと社会と自分ということを考えて生活している人、それから漫然として周りが見えないで自分本位で生活する人とがいて、当然後者の人達にクリエーティブな事は無理だろうと思います。

 

勿論、全員がクリエーティブになることはないですが、こういう人達はオペーレーターとしても、動きが悪いのではないかと思います。

つまり、社会や労働への生産性が低い。

 

■クリエーティブ生活を目指して

今の自動車産業、さらに日本全体としても右肩下がりで、それを打開する方法として「クリエーティブ生活」が大切になりました。

つまり、必要なのは「創造性」です。

教育やスマホや様々他人のせいにしてもはじまりません。

 

「今でしょ」という言葉が流行りましたが、過去の生い立ちなどは捨てて、今まさにこれから自動車産業に携わっている人も含めて日本国民は一人一人が意識して「クリエーティブ生活」をおくれるようにすることが、全体の底上げになり、日本経済の巻き返しにつながる「本質」のような気がします。

「クリエーティブ生活」に持っていくのは大変ですが、やはり、「急がば回れ」ですかね。