トミーテックの鉄道コレクション・・・・・ 我が地元所沢にも近く 馴染みの車両が 先週末に発売となりました。 JR川越線、八高線を走っていた103系3000番台・・・・。 毎度の如く 製品化の発表と同時に予約購入しておいたので当鉄道には今週後半に入線する事になるでしょう・・・・・。 何より波乱の人生?だった彼らの模型を手にする事が出来るのは 我ながら嬉しい限り。 今からどんな追加工をしようか?と期待を膨らませるばかりなのです。
そんな事で 今回は実車が活躍していた頃の元気な姿?でもぶら下げておく事にしましょう。
茶畑の中を往くトップナンバー車で編成された51番編成。屋上に搭載した分散式簡易型クーラーAU712 がイイ感じなのです・・・。それと半自動客用扉のために取り付けられたドア部分の「取っ手」もこの車両の特徴かな?。
52番編成のクハ車には後部標識灯の吊り金具が残っていました。 これはこの車両の前任地であった仙石線時代に全車に取り付けられていたもの。 川越線電化に伴う転属&新性能化改造の際、他車では撤去されてしまいましたが この編成には何故か残っていました・・・。 そういえば仙石線で活躍していた頃にも お世話になった事があったっけ・・・・あれは確か東北新幹線開通の年1982年8月の事。 あの頃はまだ 足回りは旧性能車のままで 車体色もスカイブルーでした・・・。 橋上駅化されて間もない本塩釜駅から仙台駅まで 独特の吊り掛け音を堪能した事を思い出します・・・・。 あの時には まさか後年、我が地元に近いところで活躍するなんて思いも寄りませんでしたが 裏を返せば この数年後・・・・一気に加速度を増した国鉄の分割民営化政策との関連もあったのでしょう。
そんな異端車も いざ当地に移ってみれば すっかり定着してしまいました・・・。
それにしても・・・・この場所には本当に良く通ったものです・・・・。
けれども 今ではこのようには撮れません・・・・・時代も結構流れたものです・・・・(笑)
この撮影場所は 金子駅-箱根ヶ崎駅間・・・、中学生時代から通い続けた八高線の定番撮影地。 周辺は まさに狭山茶の生産地ということで 茶畑が一面に広がっていました。 自分がここに通い始めた頃は 本当に茶畑以外には何も無い、といった感じでした。 それが時が経つにつれて 圏央道の工事が始まったのを機に徐々に景色が変わり始めてきてしまいました・・・・。 圏央道が八高線をアンダーパスする事が判ると 同時に 高速道路沿いの市道(私道?)も区画整理されてきて立派な道路に変身・・・・、さらには 八高線も電化工事が行われてかつてのディーゼルカーが終焉を迎える・・・・ 、そして ついに八高線からの定期貨物列車の廃止に至る・・・・、八高線を走るDD51が見られなくなったのと同時に 自分も ここへ通う事が少なくなりました・・・・。本当、この20年ぐらいの間で すっかり風景が変わってしまいました・・・・・。
と・・・、感慨深い想い出のある この場所ではありますが 最後のオマケは 同じ103系でも唯一1編成しか居なかった3500番台車を上げておきましょう・・・・。
パッと見は違いが判りずらいけれど 屋上に搭載した冷房装置は103系純正?のAU75シリーズというのが識別点。それと 客用ドアにも「取っ手」はありません・・・。 もはや半自動ドアといえども 押しボタン式で開閉可能なものでしたから あえて「取っ手」は必要で無かったのでしょう・・・。 ちなみに3000番台車も 川越線転属時に 大宮工場で押しボタン式への改造が施工済でした。「取っ手」が残っているのは仙石線時代の名残という訳・・・・、確かに仙石線時代は ドアを手で開け閉めしてましたから・・・・・・あのドア、結構重いんだよね・・・。
八高線電化に伴う川越線との直通運転開始による車両不足を補うため 他線から捻出された103系を組み合わせて4連に組成したもの・・・。同線の標準仕様?である半自動扉化等の改造を施工した後、投入されました。 故に 旧性能車からのアコモ改造車をルーツとした3000番台車とは違い103系オリジナル車からの改造車という事になりましたが 運用上も何ら区別される事も無く 仲間に混じって活躍していたものです・・・。
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と・・・、今日は久しぶりに地元 八高線の電車で盛り上がってみましたが 記事を書くにあたり 改めて時の流れが速いな~っ!って事を実感した次第・・・・。 その八高線から これらウグイス色の電車が消えて早何年・・・? いやはや、困ったものですな・・・・・。 何はともあれ ここ暫くは そんな想い出と一緒に模型工作が楽しめそうな気がします・・・・・。