時間が経つほど大震災はその爪痕の深さを露します。それに伴う福島の原発問題。
復興は生半可な事では成し遂げられないと腹をくくらなくてはなりません。
日常を早く取り戻し、私は私の場所で声を上げていこうという気持ちにようやくなれたので私本来の芝居の話をしたいと思います。
私の44年の演劇人生の中で出合った俳優の数はどの位でしょう。
具体的な人数ははっきりとは判りませんが、付き合いの深度に拘わらずに数えると相当な人数になる事は確かです。
劇団芝居屋を立ち上げて20回の公演をしましたが、その間でも160人近いゲストを迎えています。
「覗かれる人生芝居」の創造を標榜している劇団芝居屋では実年齢にこだわる為、出演してもらったゲストの人達の演劇キャリアもいろいろです。
オーディションで選抜された演劇の道に足を踏み入れて日の浅い人から、芸歴20年、30年といった人までその幅は大きなものです。
芝居屋ではゲストの皆さんに台本を渡し稽古に入る前に、役創りの上で守ってもらう幾つかの原則を提示します。
その一つは自分の為の稽古をして下さいというものです。
これを聞くと殆どの人が何を当然な事を、と思うのです。当然自分は自分の為の稽古をしていると思うのです。
ところがどんなキャリアのある役者でも、新しい環境の中で、初めて出会う共演者を目前にすると自分を証明したくなるのです。
自分の力量を披露したくなるのです。そして事を急ぐのです。
この現象はキャリアの浅い役者はもっと顕著に現れます。
自分の役の本質的なものを読み込み考える前に、目の前の台詞を「だいたい」とか「こんな感じ」と云った所で色を付け、それらしく力量を披露したくなるのです。
つまりそれは他人の為の稽古なのです。
しかし、この行為は役者にとって極めて危険な行為なのです。
安易に最初に色を付け発した台詞は、脳裏に刻み込まれ、稽古の進行の中で自分の役の新しい発見と齟齬をきたし、辻褄が合わなくなる様な事がままあるのです。
この様な事は厳に慎まなければなりません。
この様な事が無いように劇団芝居屋では、初期段階の稽古では棒読みを進めています。
役者が台本を受け取り読み、作品を理解し、劇中の自分の役の骨格を把握し、自分を巡る周りとの関係、状況の中から「こうしたい」「こうやる」というはっきりした欲求が出るまでは、棒読みでいる事を要求します。
当然この間にも稽古は立ちに入り、台本のト書きと関係を動きの中で潰していきます。
劇団芝居屋は台本に奉仕する役者はいりません。台本を利用して自分を実現してくれる役者こそを欲するのです。
その為にも棒読みのススメは重要だと考えています。
そして自分の欲求を生み出す一助にするのです。
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