通りすがり~の~くまの備忘録かぁ~

通りすがり~の~くまの日記!?

飛行機大好き~がんばれ国産機!巻き

2006-10-08 21:29:14 | Weblog
こんちわ~すの!
昨日、今日と秋晴れの清清しい青空で、気持ち良い天気で、ぐーです。

さあ~てと、9月末で戦後初の国産旅客機の『YS-11』の民間機の国内運用が終了しましたあ~(最終便のチケットが、1分で、売り切れ=には、驚き!)非常に残念であります。

だけどまだ、航空自衛隊の運用してる「YS-11」が飛んでいるので、まだまだ日本の空で、
飛んでいます。オイらの勤務してる、会社の工場付近でも(入間基地に近いから)結構見かけ、
和む飛行をしています。
このごろ、旅客機とか輸送機の形に結構興味が、出て来て、ここ2~3ヶ月の間に、関係書を読む機会があり、読んだ思った感想は、戦後の空白の7年間のあと、航空産業の再開だけど、日本の航空産業は、ほとんどの売り上げを防衛庁関係の売り上げで、その時に、新三菱(零戦・雷電・100式司令etc製作)は、ライセンス生産のF-86生産で、川崎(飛嚥・5式戦闘機・etc)は、T-33のライセンス生産で、富士(旧中島飛行機・97式・隼・疾風)は、T-1の生産、新明和(紫電・紫電改・2式飛行艇)は防衛庁機の生産が無しで、この時に運輸省の研究予算で新明和が独自の「中距離用中型機の安全性に関する研究」が「YS-11」のもとになっている研究で、
この当時、世界で使用してる「ダグラスDC-3」買い替え需要を考えて、後発の日本でも旅客機を製造出来ないかと、一連の各社の防衛関係の仕事が、一段落する為、この当時の通産省重工工業局航空機武器課の三代目課長の赤沢氏が勢力的に働いて、官主導の計画で計画が進んで行くのであります。
その後、予算がとれ、特殊法人の「日本航空機製造」を立ち上げ、「YS-11」を生産、販売を始め、最終的に、生産合計は、182機生産され、そのうち75機が12カ国に輸出され、生産終了時の昭和47年時には、双発の民間機の生産では、オランダのフォッカー社のフレンドシップF27に継ぐ2位の記録する。

結局この当時に、「YS-11」の生産と販売での赤字を理由に、日本の国産機が製造販売を諦める。この状態が、いまだに続く日本の航空産業の実体であります。
あのエアーバス社にしても、つい最近に黒字化したけど、その前は、公表されていないけど、各国の税金で、航空産業を育成してる現状です。
ボーイングにしても、軍用機の技術を民間機生産に転用して、747まで生産してる現状です。

やっとここにきて、官と民の計画で、三菱重工と川崎重工で、旅客機の計画が、ちらほら聞こえてきてます。
いまさらって感じだけど、この計画がうまく起動することに期待してます。
10、20年のスタンスで、がんばってもらいたい事と、技術者の育成をし、技術が継承出来る体制を確立してもらいたいです。

また日本の空に、国産の翼を~