月・火曜は学校教育について書いています。今回は、妻から聞いた話から考えた事を書きます。
妻も、私と同じく小学校教師をしています。新型コロナウイルス感染対策が行われるようになった後のある日、妻の学級が学級閉鎖になりました。その時の話です。
学級の子供たちの健康状態の確認もあり、妻は毎日、会議用アプリ(ZOOMとかMeetとか)で朝の会をしていました。そんなに長いものではなく、5分くらいで終わる朝の会です。
その朝の会が終わった後、とある女の子(Aさんとしておきましょう)の母親がAさんを見ると、何と、Aさんがぼろぼろ涙を流して泣いていたのです。慌てて母親は、「どうしたの」と聞きました。するとAさんは、「K先生の顔を見たら、何だか涙が出てきちゃった」と答えた…そうなのです。
この話を聞いた時、私は「羨ましい」と思いました。たった5分、担任の顔を見ただけで、ホッと安心したり、直接会えない残念な気持ちになったり、声を聞けて嬉しかったり、そんな気持ちがごっちゃになって涙が出たのですよね、Aさんは。担任している子供から、こんなにも愛されている妻…めっちゃ羨ましいです。
そして、更に思いました。「あ~、この気持ちが教師にとっての報酬なんだなぁ」と。
最近(令和5年あたり)、「教師はブラック企業」という認識が広がり、教師を希望する人が減ってきました。そのため、教師の報酬…つまり給料を上げようという話が聞こえてきます。
確かに、給料が上がる事は嬉しいです…が、多くの教師は「金だけ」のために仕事をしている訳ではないと思います。少なくとも私は「金だけ」ではありません。
では、「金」の他に大きいのは何か。先程の話から考えると、令和5年6月11日のブログに書いた「信・敬・慕」、つまり「信頼」「敬愛」「慕情」ではないか…と、私は考えています。
あ~、長くなりました。続きは明日のブログで書きますね。
…と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。