石垣の岩を割るための、鑿の跡。・・彦根城・・
小学校の母校が私には六つある。 一年生の時、土浦市の学校を一学期のたびに転校した。
二年で東京の武蔵境の境南小学校~四年の時に田無小学校~五年の半ばに日立市の水木小
学校へ。 そして、卒業式の1週間前に、滋賀の醒ヶ井小学校へ転校したのだった。
菊活けてひとりの厨はなやげる
父はバリバリの職業軍人だった。敗戦後、南方から帰還したあと、武家の商法の謂いのとおり、
商売に失敗して、会社を転々としたのだった。
今、私はその転校物語を肯定的に捉えている。 各地に「ペン・フレンド」ができ、手紙を書く楽しみ
から、文章を綴る歓びを身につけたことは、何にもまして貴重なことであった。
それなりに彩づく妙や雑木山
でもね、九九が言えませんのさ。特に五の段以上が・・・・。 算数の授業の途中で転校した学校
では、もうすでに九九の授業は終わっていました。 だから今も、9・7って言えない。
頭んなかで7・9と置き換えて、63とはじき出すのですよ。
長浜・湖岸道路
簡単な漢字の読み方も自信がないのです。 難しい漢字はバッチ・グーなんですが・・・。
「世論」・・・・せろん・よろん?。 「教諭」・・・・きょうろん・きょうゆ?
最近の政治番組で「首長」を、くびちょうと言っている。えっ? しゅちょうじゃないんかい?
ごくありふれた漢字の読み方に、声をひそめてしまいます。
二羽の鴨水尾重なりて秋ふかむ
5回も転校を繰り返し、ひとつっ処に安住していると、尻がむずむずしてまいります。
滋賀に移住してから20年・・・・そろそろ、生まれ故郷の魚津へ転校したくなりました。
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