湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

摺針峠その1

2011年01月12日 | 詩歌・歳時記

長谷川伸の名作、番場の忠太郎で名高い「瞼の母」の江州での舞台が中仙道・番場の村である。
国道21号線沿いに、トラック野郎御用達の「忠太郎食堂」と言うのがあり、
等身大の番場の忠太郎の銅像が三度笠傾けて、番場の空を見上げている。
     
醒ヶ井から西へ三里、村の入り口に、江戸時代を模して造られた「一里塚」が設けられている。
夏の暑い日には旅人に緑陰の恵みを与えたであろう、枝を伸ばした榎が一本立ち、
その根本の道標に中仙道、番場と刻まれてある

車一台分の細い道には、昔ながらの松の並木が続き、
茅葺きの家なども点在しており、旅人さんの行き交う姿を彷彿とさせるいい風情である。
番場を過ぎると間もなく、山路にさしかかる。摺針峠(すりはり)への難所の始まりである。

むかし、若き日の弘法大師が、修行に挫折して、生まれ故郷に帰る途上、この峠にさしかかると、
土地の老婆が一心不乱に斧を摺っていた。話を聞いたところ、それで針を作るのだと言う。
ハッと気付いた大師は、たゆまぬ努力の大切さにおのれを恥じ、さらに修行を続けたと言うことだ。
その後、再び訪れた折り、杉の苗を植えて

  道はなほ 学ぶることの 難からむ
  斧を針とせし 人もこそあれ

と詠んだ。「摺針峠」の名前の謂れである。今も歩いて登るには、そうとうキツイ坂道ではある。
    
峠の頂上に、平成3年の火災で消失してしまったが「望湖亭」と言う入母屋造りの建物があった。
旅人や参勤交代の諸大名の行列が必ず休んでいった由緒ある茶屋であった。
皇女和の宮が徳川家へ降嫁の旅の途中に、一泊したと言う。
貴重な調度品や山岡鉄舟の「望湖亭」の扁額、芭蕉の軸なども失われてしまった。

ここからの眺望は抜群である。眼下に琵琶湖が広がり、遠く竹生島が夢のように浮かんでいる。
山の麓から吹きあがってくる、心地よい風に汗がスィ~とひく。ひと息ついてから、
つづら折りの坂道をおりてゆく。国道と合流し、やがてまたふたつに別れる辺り、
江戸から数えて中仙道69次の63番目にあたり、今も往時の旧跡が残る鳥居本宿である。


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