あの街この町♪

青春18キップやツアー旅行などエコで省エネな小さな旅日記。

宇都宮餃子(2014年8月)

2014年08月07日 | Weblog



今回は乗車できる範囲が広がったホリデーパスで、宇都宮餃子を食べてから足利学校、そして最後は久しぶりの大宮の「力」で〆。
 今回のルート(湘南ライン) →宇都宮11:03~12:36 →小山13:03~13:07→足利
13:45~14:40→(両毛線)→高崎15:42~15:55→(高崎線)→大宮17:16

宇都宮餃子館の鉄板チーズ餃子とラー油入大辛餃子。これはお勧め。




宇都宮市内にある二荒神社はこの日は夏祭り。とにかく暑い。


 室町時代から明治まで全国から3000人が学んだという日本最古の学校「足利学校」。本日は足利市の花火大会のため無料開放日


 教室として使われた立派な方丈。庭先には日本庭園。悠久の時が止まる。


 入口近くの孔子像



 本日の〆は大宮「力」のガツ刺しとサッポロ黒ラベル。


 力の外観





伝法院(2014年4月)

2014年04月29日 | Weblog


浅草寺の伝法院庭園の5月7日までの期間限定の一般公開を見に浅草へ。出かけたのは4月下旬の日曜日。この日は天気も気温もちょうどよく絶好のお出かけ日和。GW前なのか国際通りの観光客はそんなに多くなかったが仲見世通りは相変わらず満員御礼の混雑だ。中国人が多い。平城苑の焼肉で腹ごしらえしてから伝法院へ。
この伝法院は、秀吉や家康に仕えた江戸初期の造園家で茶人でもある小堀遠州が手掛けたと言われている広さ約1万平方米の回遊式の庭園。
この一般公開では、普段は非公開の伝法院の秘蔵品も見ることができる。高さ2mくらいの大きな木枠に当時の彩色で描かれた歌舞伎題材の絵馬の歴史ある迫力には圧倒される。
伝法院の日本庭園内は深い緑の中に赤や橙、白など色鮮やかなサツキが映え、紫色の藤棚もちょうど見ごろだ。欧米系のグループの外国人観光客も目立つ。庭園のバックにはスカイツリーが青空にそびえ、静かな日本庭園と現代との歴史の格差を一望できる。

新緑に初夏の光が映える境内の散歩道


紫の藤棚もちょうど見ごろ。外人客も多い。


日本庭園の池と五重の塔


スカイツリーは浅草のすぐ隣




ここの焼き肉ランチは味もボリュームも値段もお薦め

風の音(2014年2月)

2014年03月16日 | Weblog

今冬は尋常でない大雪が続いだ。2月8日、2月14日と二週続けて降った雪はここ数十年経験したことのないほどの大雪で山梨県は甲府でも1m20cm、山沿いでは1m60cmを越え、玄関から一歩も外に出られない状態が1週間も続いた。中央線や中央道は当然止まり、早川町で住民が孤立、重要な観光資源であるブドウ畑は壊滅的な大被害を受け立ち直るまでには10年単位の時間がかかるようだ。
 そんな大雪の影響で当初3月2日に強羅の「風の音」へ行く予定だったが、14日の大雪がまだまだ箱根の山道に大量に残っていたため、止む無く1週間延期して3月10日に箱根路へ。小田原の早川港の市場食堂で昼食とってから、湯河原にある幕山公園の梅林へ。平日にもかかわらず公園へ続く道路は車も人も多い。今年は寒かったせいか3月中旬の今頃がちょうど見頃だ。ここの梅林は山の斜面に白やピンク、紅梅などが広がり、全体が薄いピンクの薄墨のようなもやっとした感じに見える。木のテーブルが置いてある広場の周囲には食べ物屋が並び、何人かのグループや家族連れが休憩したり、軽食をとったりしている。梅林中の散歩道は山の斜面のためこう配があり、軽装の観光客に混じり、登山靴を履いた登山グループのような梅見客も目に付く。




帰りに道路脇の無人の売店で湯河原みかんを1袋100円で買い箱根路へ。
「風の音」はリニューアルして洋風に生まれ変わり、外観も建物内も部屋の中も非常におしゃれなつくりになっている。2階から見える狭い小さな中庭には雪が残っている。
食事は3Fの落ち着いたレストランでイタリアンのフルコース。宿泊客のほとんどが熟年の夫婦でお酒を飲みながらゆったりと食事を楽しんでいる。お風呂は箱根特有の乳白色のやや熱めの風呂と、ややぬるめの気泡のお風呂があり両方楽しめる。







夜のコーヒーはエスプレッソだったが、朝食は普通のコーヒーがあったので助かった。風の音を10時にチェックアウト。両側に雪の残る山道を登って大涌谷へ。この日は快晴で真っ白な富士山が青空に映える。








名物の黒タマゴをお土産等に購入して本日の目的地である沼津港へ。箱根から山越えの途中、旧箱根街道の近くに、当時、圧倒的な秀吉軍に敗れあっという間に落城したという北条軍が築いた山中城跡地を散策。発掘された城の跡地だけで石垣も建物もない。山の斜面にある敵を防ぐ堀として使った長い畝がかろうじて当時の面影を残す。近くに数件の民家があるが観光客らしき人は歩いていない。



 沼津港で新鮮なおいしい魚でお昼を食べるつもりだったが、よさそうな店は並んでいて入れない。仕方なくちょっと大きめの回転ずしに入ったが残念ながらハズレ。漁港内にある展望台に行く途中の建物2階のすし屋さんのほうがおいしそうだった。次回は捲土重来を期す。






東京ドイツ村(2013年12月)

2013年12月29日 | Weblog
木更津までアクアラインの特別割引で800円。江の島や足利フラワーパークと並び関東の三大ミネーションでの一つ、千葉県袖ヶ浦市の東京ドイツ村へ。
 昼間の入場料は1400円だが、イルミネーション期間中の15時以降は駐車料金2000円支払えば入場料は無料。ちょうどクリスマスシーズンのため、園内は家族連れやアベックでいっぱいだ。このドイツ村は観覧車以外にはアトラクション施設はない。入口近くの土産物売り場やレストランがあるメインの一角を抜けると、目の前にはだだっ広い冬枯れの芝生が一面に広がっているだけだ。この芝生が夜になると大規模なイルミネーション会場となる。

昼間の観覧車


昼の園内風景


観覧車下の光のトンネルは大混雑


芝生一面に様々な模様の色鮮やかなLEDのイルミネーションが広がる


美ら海水族館(2013年12月)

2013年12月26日 | Weblog
今回は沖縄本島北部の観光を中心に3泊4日の旅。羽田14:55発ANA355便で那
覇空港へ着いたときは夕方5時過ぎ。こちらはまだ明るい。レンタカーの営業所
を6時過ぎに出た頃は周囲も暗くなってきた。これから初めて通る道路しかも夜
の高速道路でのレンタカー運転は神経を使う。幸い道路は空いており約1時間
10分で終点の許田ICへ。ICからホテルまでは海岸線で約5分。今回のホテ
ルは「かりゆしビーチリゾートオーシャンスパ」、ここは2000年の沖縄サミット
の時にプーチン大統領が宿泊した大型リゾートホテルで、その数年後に一度泊
まったことがある。ホテルの中に入ってプーチン大統領の写真を見て思い出し
た。ちょうどXmasシーズンのためか、ホテルの敷地から建物、中庭のプール
に至るまでホテル全体がギンギラギンのイルミネーションで飾られまるで光の海
の中のような豪華さだ。部屋は16階のオーシャンビューのトリプルルームでゆっ
たりと広い。





ホテル中庭のクリスマスツリー。プールサイドではギターと歌のライブ演奏を
やっていたが、その横で修学旅行生が写真を撮ったりで大騒ぎ。これも青春だ。


 ちょっと遅めの夕飯を食べに近くにある地元の居酒屋「海風よ(ウミカジよ)」
でゴーヤチャンプルとオリオンビールで一杯。手作り小屋のような小さな店で
料理は美味しいが値段はちょっと高め。
ホテルへ戻り、ホテル前庭のかりゆし広場劇場で、21時からの「かりゆし迎恩大
祭」というお笑い芸人や沖縄民謡のショーを楽しんだ。ショータイムは約50分。
3人の若い女性による三線や太鼓ショー、地元女性のお笑いコンビが司会。観客
は50名くらいか。たまたまJA厚木の団体さんも来ていた。ショーの最後は観客
が舞台へ上がったり、芸人さんと一緒にカチャーシャを踊ったりで賑やかで
楽しいショータイムだった。




夜は海の見える露天風呂でゆっくり温まってから就寝。
 翌日はあいにくの雨模様のため小宇利島へのドライブは明日にして、今回の旅行
の目的である「美ら海水族館」をゆっくり楽しむことに。朝食のバイキングはど
うしてもついつい食べ過ぎてしまう。ゆっくり朝のコーヒーを飲んでから10時過
ぎにホテルを出発。水族館までは国道53号線で約1時間。小雨が降ったり止んだ
りの天気だが青い海岸線は十分に美しい。遠くの半島や島も良く見える。タク
シー観光の就学旅行女生徒が海をバックに記念写真を撮っている。いい思い出
だ。一番楽しい時期だろう。
 水族館でも就学旅行生が多い。この美ら海水族館は4階が入口で4つのゾーンで
構成されており、2階にある大きなジンベザメの泳ぐ大水槽がこの水族館の目玉
だ。最初の水槽もでかい。大型のハタやナポレオンフィッシュ、ガーデンイール
など珍しい魚も目を楽しませる。ホウジロザメの実物大の口の中での記念写真も
人気。目指す大水槽はパンフレットの写真では良く見るが、実際に水槽の前に立
つ大勢の人間の大きさと比べるとその巨大さに、本当に海の中にいるような怖い
錯覚に陥る。水槽のアクル板の厚さは60cm。ジンベザメは計3匹。日本で初
めての水族館での繁殖を目指しているためオス1頭にメス2頭。オスは8m。体
調5mのマンタも悠々と泳いでいる。海釣りターゲットのGTの群れやクロマグ
ロ、キハダマグロ、ホウジロザメなども本当の海の中にいるようにゆったり泳い
でいる。EVで4階にあがるとこの巨大水槽を真上からみることができ飼育員の
方の詳しい解説も聞くことができる。
ジンベザメの餌遣りタイムは午後3時から。その間を利用して園内の沖縄そばで
腹ごしらえ。この美ら海水族館は沖縄海洋博の跡地を国が公園として管理してい
る敷地内にあり、屋外プールではイルカのオキチャンの大ジャンプに拍手喝
采!。別棟にはプラネタリウムもあり、沖縄の夜空の星にまつわる民話を聞くこ
ともできる。

 美ら海水族館のイルカショーの大スター、オキチャンの大ジャンプ!

本日のメインイベント3時からのジンベザメの餌やりは解説付きで、大勢の観客
が見守る中、水槽の上から係員がオキアミを投げ込むと3匹のジンベザメが巨体
を揺らして立ち泳ぎで大きな口を水面に開けて海水ごとエサを飲み込むため、水
槽の真下にいないと見ることができない。巨体の立ち泳ぎ姿はまさに圧巻だ。

 珍しいジンベザメの立ち泳ぎショット。水槽の真下に行かないと見られない。




 美ら海水族館を出たときには再び小雨模様だったが、まだ時間があったので明日
行く予定だった今帰仁城へ行くことに。車で約15分。雨模様にも関わらず観光
客は多い。たまたま別のグループのガイドをしていた地元のボライティアの方に
一緒にどうぞと誘われて今帰仁城を案内していただいた。この帰仁城は沖縄に数
百、数千あるといわれる自然崇拝の「聖地」の総称である斎場(セーファ)の一
つ。昨年6月には本島南にある大きな三角岩のある斎場御獄を見てきたので多少
の知識はある。この今帰仁城は700年前の流線型の野面積みの城壁が今も残っ
ており、本島中部の勝連城と同じように琉球王国時代の戦いを経てきた歴史的な
場所だ。
 ガイドさんの話によると秋篠宮殿下が沖縄が大好きでよくお忍びで来られるそう
だ。紀子さんが結婚前に琉球舞踊をやっていたのでその影響かもしれないとのこ
と。長男が生まれるときにはこの今帰仁城から北東方面にある古宇利島へ来て安
産のお祈りをしたそうだ。その古宇利島には明日行く予定。

 沖縄の聖地の一つ。斎場(せーふぁ)の今帰仁城の跡地。




 この夜はバイキングの夕食。地元沖縄料理をはじめ肉やら寿司やらデザートやら
が食べ放題。貧乏人根性でまたまたオーバーフロー。今夜は昨日と別の大浴場の
サウナで疲れをとって就寝。
翌日は雲がやや多めだが薄日も差していて天気は良好。目指す古宇利島までは52
号線を北上して約1時間で到着。本島から小宇利島まで真っ青な海の上を一直線
に橋が架かっており沖縄でも屈指のドライブコースの一つ。ここでも観光客に混
じりタクシーの修学旅行生の姿が目に付く。島を一周したが20分程度で一回
り。エメラルド色の海の上を真っ直ぐに延びる島への架橋が印象的。




次は昔訪れたことのある象の鼻のある万座毛に向かって海岸線沿いの道路を走
る。オフシーズンのためか万座毛もかってのような観光地の賑やかさは全くな
い。観光客は三々五々で駐車場もガラガラ。両側に並ぶ土産物店も2,3件が開
いているだけ。この日は前日の低気圧の影響で風が強く、象の鼻にぶつかる波し
ぶきも象の鼻がまったく見えなくなるほどの荒い波が繰り返し押し寄せ、きれい
な観光写真からは想像もつかない荒々しさだ。この時とばかりこの貴重な景色を
バックに記念写真を撮るカメラマンも少なくない。風は冷たくやや寒い。対岸の
ANAホテルも心なしか寂しそう。

 荒波に洗われて隠れる像の鼻。貴重な写真だ。




次の目的地の琉球村へ向かう途中道の駅「おんなの駅なかゆい市場」で昼食タイ
ム。ここの道の駅は海岸近くにあり、沖縄ドライブの観光スポットとしても人気
が高く、地元野菜や沖縄料理の軽食、弁当、お土産などはもちろん、宝くじ売り
場まである。

琉球村では2時からの芸能ショーで男性二人の三線と太鼓による沖縄民謡などを
楽しみ、園内をぐるっと一回り。昔の沖縄の民家や踊りなどを見て回り、再び3
時からの芸能ショーでしばし和みのひととき。先ほどの芸人よりこっちのほうが
知ってる曲も多くて楽しめた。


 このまままっすぐ那覇市内へ向かう予定だったが、途中、「残波岬」の地名が気
になって寄り道。国道を逸れカーナビと標識を頼りに西北に向かう。残波岬はそ
の名のとおりゴツゴツした溶岩の上に立っている灯台に波がぶつかり、夕日の時
はさぞきれいだろうと想像できるロケーションだ。観光客も何グループかいて、
立ち入り禁止場所から写真撮っていた人は中国語の観光客。残波岬の近くには大
きなリゾートホテルもある。


那覇のホテルは泊港が眼下に見える「かりゆしアーバンホテル」。今夜は6Fで
石川さゆりのディナーショーが開催。狭いロビーには着飾ったディナーショー客
が開演を待っている。
国際通りまで歩いて今夜の呑み屋を探す。モノレールの見栄橋駅近くの川沿いに
赤提灯が2件。ちょっと覗いて客が多い方の店へ。L字型のカウンターに12、
3人。テーブル席もある。カウンターの中では炉端焼きで肉やら魚やらを焼いて
客に出している。肉も魚も大振りだ。客も家族連れやアベック、サラリーマンな
ど様々だ。料理は旨い。海鮮サラダ、牛肉、魚、何を注文してもハズレがない。
ラガービールも様々な地酒もあり結構好みの店だ。よくみると周囲の客はピッチ
が遅い。馴染みの客が多いようだ。また那覇に来たらまた寄ってみたいいい店
だった。沖縄の最後の夜に乾杯。
最終日は11時半までにレンタカーを返すため時間は観光タイムはない。ゆっく
り朝食を食べてコーヒーを飲んでから市内の免税店へ。沖縄は国内で唯一、パス
ポートなしで免税品が買える。12:55分発ANA966便で一路羽田へ。予定より早
めに15:10に到着。

渡良瀬鐡道(2013年8月)

2013年08月23日 | Weblog

今夏の青春切符第2弾は上州渡良瀬鉄道へ。湘南新宿ライン高崎経由で桐生へ9:50着。桐生発10:36分の渡良瀬鉄道に乗車。1両編成。
 高崎駅を乗るときまでは一緒だった同じ青春切符の中年夫婦と女性二人組は桐生駅に着いた時には両方とも姿は見えなかった。
 6番線の渡良瀬鉄道のホームに上がると、電車の入口で女の子と丸い小太りの車掌さんが乗車券のチェック。なぜ二人も車掌さんがいるんだろうと不思議に思いながら乗車。社内は向かい合わせの席でかなりガラガラ状態だったが、出発時刻が近づくにつれだんだん乗客は増えたが、全員がゆったり座れるほどの混み具合。
 大間々駅を過ぎたところで列車は緑の深い渓谷沿いを走る。
そのうち、車両の最後備に立っていた二人の車掌さんのうち女の子のほうが乗客に向かって沿線のガイドをはじめた。女の子はガイドさんだった。
 電車は渡良瀬川沿いの山中を縫うように走る。周囲の景色や列車の雰囲気はどこか飯田線によく似ている。眼下の渡良瀬川はライン下りの舟こそないが京都の保津川下りで見た景色とオーバッラプする。沿線には滝あり、温泉駅あり、築100年駅舎ありガイドさんの案内がある度に右を見たり左を見たり、一瞬なので見逃したらおしまい。
 車窓の景色を眺めていると今度は二人の車掌さんが車内販売を始めた。
渡良瀬鉄道の「ワッシーくん」のキャラクターグッズなどが小さな子供連れを中心にそこそこの売れ行きだ。これもローカル線ならではの風景。

社内販売風景

 やがて本日の目的地神戸(ごうだ)駅に到着。所要時間約1時間。ほとんどの乗客が終点まで行かずここで降る人が多い。駅周辺には特に見所はなく、一番近くの美術館まではバスで移動するしか交通手段はない。この駅で降りる人の大半の目当ては、駅の構内(といってもわずか数メートル)にある電車の車両を丸ごと食堂として利用しているレストラン「清流」での食事だ。
 車両は2両編成だが、今日の客数では1両でも十分空席がある。食堂は2人の女性が切り盛りしていて、列車が到着するといっぺんにお客が来店するので大変だ。お勧めは舞茸たっぷり使った舞茸定食や舞茸天ぷらうどんなど。
 とはいっても何分二人で作っているので、家族連れなどは注文したメニューによっては出来上がりがバラバラなので一緒に食べられないなんてことも。

神戸駅全景。ホーム横には列車食堂


 昼食後は帰りの12時50分発のトロッコ列車まで時間があったので近くの河原まで散策。
川岸の岩場や水の流れの形など川全体の景観は長瀞のような雰囲気がある。
 トロッコ列車発車の時には地元の駅員さんが自家製のきゅうりの浅漬けや茄子などの地元の野菜を駅弁売りのように車窓の客に売っている。これもローカル線ならではの風景。

駅弁ならぬ野菜売り。自家製きゅうりの浅漬けが大人気!

トロッコ列車「ワッシー2号」は2両編成で前の車両は窓付きの普通車両。後ろがトロッコ車両だ。トロッコ車両は新しくきれいだ。乗車率6割といったところか。
 往路で見落とした見どころも復路では、ガイド車掌さんの案内に合わせて列車もその場所でスピードを落としてくれたりしたので来る時よりも余裕をもって景色を楽しむことができた。
途中駅では童謡「ウサギとカメ」の作詞者の出身地を記念したウサギとカメの像も。

童謡ウサギとカメの発祥地


 桐生駅に到着。ちょうどこの日は夏の甲子園の決勝戦。初出場の地元の前橋育英高校が宮崎の延岡高校との熱戦の真っ最中。駅構内のTV中継で見たときは8回表の前橋の攻撃で4対3でリード。前橋の攻撃が終わったところで残念ながら電車の発車時刻となり、後ろ髪を引かれる思いで車内へ。高崎駅へ到着すると「祝前橋育英高校初優勝!」の電光掲示板が目に飛び込む。
 あー良かった。優勝おめでとう。今年の甲子園はピッチャー、バッターとも逸材が多かったように思う。個人的には菊池雄星くんの花巻東を応援していたが、初出場初優勝の前橋育英の二年生の
高橋光成くんの5試合2失点は見事。
 上州からの帰りは久しぶりの大宮の「力」のガツ刺しと焼き鳥で一杯。この日は懸念されたゲリラ豪雨もなく無事に帰路へ。

清水の次郎長(2013年8月)

2013年08月21日 | Weblog


 猛暑が続く中、青春18切符で次郎長親分の故郷遠州清水港へ。
今回のルート(清水駅9:24着~市内観光バス「次郎長寺」~河岸市(まぐろいっぱい丼)~清水12:47発 ~ 浜松14:15着~市内観光バス「浜松城」~浜松発17:32~熱海駅20:14着)

 清水市はちびまるこちゃんの作者さくらももこさんの地元。
駅の構内やバス停標識など市内のあらゆる場所にちびまるこちゃんがいっぱい。
 市内観光の100円バスでは地元のボランティアの方の観光案内で市内見学。富士山を見ているという次郎長の像がある梅蔭寺の次郎長の墓の周りには大政、小政、石松などの子分の墓や三人の奥さん(おちょうさん)墓が次郎長を囲むように祀られてる。削られた墓石は博徒の宿命か。



 次郎長には三人の奥さんがいて三人とも「おちょう」という名前とは知らなかった。おちょうさんは一人ではなかった。
次郎長には幕末のヤクザの親分という知識しかなかったが、地元へ来て、維新後は英語教育や清水港の
建設に尽力し、日露戦争の広瀬中尉や榎本武揚、山岡鉄舟とも深い親交があったことや、山岡鉄舟から戊辰戦争を憂いた次郎長に贈られた「精神満腹」の立派な額があることなど初めて知ったことが多かった。
 寺の境内にあう次郎長博物館には、次郎長本人はもちろん、大政、小政のほかにも三代目おちょうさんの写真なども、次郎長の衣装や喧嘩道具などの遺品と一緒に展示されておりなかなか興味深い。

大政、子政

 寺から歩いて5分くらいのところの次郎長の生家にもたくさんの次郎長関連の写真がかざられている。
地元商店街の次郎長通りは今はシャッター通りと化し、閑散として人通りはない。
 今回、次郎長の地元を訪れたことで、人生劇場の「吉良の仁吉」も荒神山の喧嘩で落命したことや、森の石松が29歳で金毘羅さん代参の帰りに都鳥一家に金を奪われ殺されたこと。後年、次郎長により石松の復讐を遂げたことなど初めて知ったことが多かった。
 任侠の世界で名を挙げた次郎長も晩年は港のおじいさんと呼ばれ、近所の子供たちや生活に困っている人などにお菓子などを与えていたとい逸話も残っている。

 昼食は港近くの寿司ミュージアムを通り過ぎ、清水河岸の市2階の「魚市場食堂」で名物の漬けマグロいっぱい丼を注文。この店はTV東京のアドマチック天国で紹介された店だが店内は比較的空いていた。
 客のほとんどが注文するまぐろいっぱい丼は、ボウルいっぱいに入った漬けマグロのぶつ切りを客がストップというまで文字通り山盛りにドンドン載せてくれる。マグロのわんこそば状態だ。これで750円は
お得感と満足感ともたっぷり。但し、おかずで注文した桜海老のかき揚げはなんともお粗末だった。

漬けマグロいっぱい丼。ストップというまでどんどんマグロが山盛りに。


 次は、清水駅12時47分発の浜松行きで一路浜松へ。
5両編成の社内は座っていると背後から真夏の日差しがジリジリと照り付け、社内の人いきれで冷房がまったく効いてないような蒸し暑さ。身体中が火照って熱くなり息苦しくなって、熱中症寸前までになってしまった。持参の生温くなったペットボトルで水分補給しながらようやく浜松に到着。疲れた。 
 この前浜松に来たときは冬で寒かったが、この夏はとんでもない猛暑でとにかく暑い。季節がよければ歩ける距離の浜松城へ路線バスで向かう。
 広い浜松城公園の中にある浜松城は一部工事中で、城の大きさ的には小田原城よりやや小ぶりといった感じの城だが、若き日の家康が29歳から45歳までの17年間居城して天下に打って出た城で、別名「出世城」として名高い。
 城の石垣は野面積み(のづらづみ)という自然のままの形で積み上げる工法で400年以上もこの城を支えている。天守閣からは武田信玄に敗れた三方原方面や浜松駅のシンボルタワーであるアクトシティなどが遠望できる。

 400年以上前の野面積みの石垣の上に建つ浜松城


 三方ガ原の戦いに敗れて帰城した家康が鎧を掛けたと伝わる五代目の「鎧掛けの松」


 城内には家康の立像や戦いに敗れた家康の鎧掛けの末、滝や池のある日本庭園などがあり、「家康の散歩コース」として市民の憩いの場所となっている。
 城からの帰りは市内観光バスくるる号で市内を二周。駅の東側にも行ってみたが西側の賑やかさはない。予定より遅くなったが、17時32分の熱海行で一路帰路へ。夏のこの時間はまだ陽が高く、前回来た時よりもゆっくり車窓からの夏景色を眺めることができたので乗車時間は多少短く感じられた。
 途中、小田原駅で遅い夕食とビールを調達して再び車内へ。お疲れさん。

サントリー白州(2013年6月)

2013年07月22日 | Weblog


今回は母校の同窓会バス旅行で新宿から故郷韮崎と白州へ。
工学院前に8時20分集合し、途中西八王子駅で数名が合流後、中央高速で一路韮崎ICへ。参加者は約40名。同級生は私を含めてNくんとMくんの3名。この二人は同窓会幹事のため山寺さんや入江さんなど同窓会の重鎮とも顔馴染みが多い。
今日のツアー幹事の雨宮さんの気遣いでバスに乗ったとたん、缶ビールやらつまみやらお菓子やらがどんどん回ってくる。
おかげでご高齢(失礼!)の諸先輩方のリクエストで予定より多目のトイレ休憩を経て11時過ぎに母校の韮崎高校へ到着。実に40年ぶりに正門をくぐる。校舎も体育館も卒業アルバムを撮った中庭も我々の卒業当時の面影はまったくないが、当時強豪のサッカー部や野球部が使っているグランドはそのままだ。校長先生と一緒に記念撮影後、小型バスに乗り換えて、本日最初の目的地である甘利山へ。

 ここは高校時代に一度登った記憶があるが定かではない。途中、同級生の斎藤くんの長兄の案内で車窓から桃畑を見学。山道は狭い。小型バスではすれ違いがやっとだ。一時間あまりでロッジのある中腹のロッジがある広場へ到着。珍しい春ゼミが鳴いている。幹事さんの号令で慌しく弁当で腹ごしらえした後、NPO法人である甘利山倶楽部のメンバの方の案内で近くの山道を散策。この甘利山は南アルプスの鳳凰三山の中腹に位置し、この時期は鮮やかなオレンジ色のレンゲツツジが有名でまさに今が見頃だ。幹事さんありがとうございます。
 ロッジ近くの花の周りは鹿除けのネットで囲われているがレンゲツツジの花は実に鮮やかだ。
四阿のある見晴らし台からは釜無川の広大な河川敷が眼下に一望できる。あいにくの雲り空だが、富士山は山頂だけが遠望できる。

 山を下りた後は、再び大型バスに乗り換えて、国道20号線で次の目的地であるサントリーの白州蒸留所工場へ。実はこの工場には我々の同級生のMくんが工場の幹部として勤務している。
 その伝で今回の見学ツアーが企画されたものだ。というわけで我々一行の乗ったバスは一般の見学者の駐車場よりさらに奥の敷地内まで入ることができた。Mくんは高校時代バスケット部で背が
高い。本来は今年が任期満了だが幸い後5年は勤められるとのこと。お互いによかったね。
 約1時間の見学コースでは、我々の高校卒業年度でもあるこの工場の創業時の40年前に仕込まれた40年もののモルトウイスキー入った歴史ある大きな樽も棚に並んでいる。
 ここは大阪の山崎と並んでサントリーの顔としていまや白州は高級ブランドとして有名。この工場設立にあたり当時の取締役が自分で日本全国の名水を捜し歩き、ようやくこの南アルプスの天然水にたどり着いたとのこと。Mくんも以前はウイスキー専門だったが、今は水の専門家としてこの工場でも一目置かれる存在。


 話によると、日本の水はいろんな規制が厳しく、天然水をそのまま使うのはNGで、常に200回以上の細かな検査を日々繰り返してようやく出荷できる品質になるとのこと。世界でも日本の水はトップレベルの品質だそうだ。
 帰り際に売店で白州の18年ものを買おうと思ったが、値段が折り合わず12年ものを購入。ましてや25年ものはまったく手が出ない。
 Mくんと再会を約し、小淵沢ICから一路新宿へ。帰りのバスの中でも幹事さんの気配りでプレミアムモルツやら角ハイボールやらサントリー製品が次から次への回ってくる。帰路のバスの中で驚いたのは、昨年、ニュージーランド旅行でグループで数日間一緒に行動を共にした仲良しの方が、たまたま偶然にこのバスツアーに参加していたので、お互いに顔を見てビックリしたとの逸話が紹介され、ツアー参加者全員がこの偶然には本当に驚いた。やはり同窓会には参加してみるもんだとの落ちが付き、温かい和やかな雰囲気のうちに無事新宿西口に到着。幹事さんお疲れ様でした。

錦秋の京都へ、そして飛鳥Ⅱ(2012年11月)

2012年12月29日 | Weblog

渡月橋からの嵐山の秋景色

今回は豪華な二泊三日の小旅行。品川駅からのぞみで2時間。紅葉真っ盛りの秋の京都へ。そして帰りは神戸港から飛鳥Ⅱで横浜港への船旅。

【一日目】
初日はちょうど正午に京都駅到着。そこからは観光バスで市内を抜けて洛北方面へ。「紅葉床」で有名な実相院、しかしその床の間は写真撮影禁止。床に映る紅葉もまだ早く寺の観光客集めが見え見えだ。そして日本海との交通の要衝である鯖街道を通り千枚付けなどたくさんの漬物屋さんが門前に並ぶ三千院へ。境内の真っ直ぐ伸びた杉の木杉と苔むした緑の庭に鮮やかな紅葉が映える。童地蔵などうっかり見落としそうな小さな可愛らしい石の地蔵さんや広い境内の山には朱色の橋などもあり大勢の観光客でいっぱいだ。この三千院に登ってくる山道の途中に「呂律(ろれつ)が回らない」の語源となった呂川と律川という二人の仏教音楽の旋律の調子はずれのことから呂律が回らないというようになったという案内板があった。勉強になる。次は夕暮れの南禅寺へ。途中で小雨模様になり天気が心配されたが何千時へ付いた頃は雨も上がっていた。建立から750年の歴史の三門はさすがに大きく立派だ。かの石川五右衛門がこの山門から景色を見て「絶景かな、絶景かな」と言ったことでも有名。急な木の階段を登ると広い廊下でぐるっと一周できる。眼下には真っ直ぐな山道が真下を通り、境内一面は紅葉だらけだ。白壁の寺院の紅葉は特にきれいだ。広い境内の右奥にサスペンスでお馴染みの水路閣がある。サスペンスファンとしては南禅寺へきたら是非この目で見たかった場所だ。水路閣の名前のとおりてっぺんは水路になっており、実際に琵琶湖からの水を市内へ運ぶ役目を果たしている。夕食は南禅寺の門前の湯豆腐「順正」へ。大広間で土鍋に入ったたくさんの豆腐と精進揚げ、豆腐の田楽。豆腐だけをおかずに白いご飯を食べろという。案内の人が「いつもたくさん豆腐が残ってしまうので遠慮しないで食べてください」。残って当然だ。なぜ毎回残るのか不思議に思わないほうが不思議だ。二度と湯豆腐はごめんだ。夕食後は気を取り直して南禅寺と並んで紅葉シーズンの散策コースとして有名な永観堂へ。あいにくの雨模様だがさすがに観光客が多い。入口の入場券売り場は混雑し、境内には大勢の交通整理の人までいる。境内200本と言われる紅葉がライトアップされ確かにきれいだ。境内には池もあり池の周りの散策路も紅葉でいっぱいだ。今夜の宿は宝ヶ池プリンスホテル。

【二日目】
 翌朝はホテル近くの宝ヶ池を散歩。かなり大きな景色のいい池だ。池の周囲は散歩やジョギングしている人も多い。
 今夜はいよいよ飛鳥Ⅱだ。その前に今日のコースは嵐山のトロッコ電車で保津川沿いを下り渡月橋周辺を観光。市内の漬物屋で土産買いの時間があったのでその間を利用して近くの西本願寺へ。東側には東本願寺。同じ本願寺同士でも東と西は両方ともものすごく中が悪いことは京都人なら誰でも知っているそうだ。門前の大通りから境内へ。親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)が、北隣の本堂(阿弥陀堂)よりも大きく造られている。両方ともさすがに立派な建物だ。裏手には陽明門を小型にしたような重要文化財の唐門がある。
やがて亀岡駅から全席指定のトロッコ電車に乗って秋の嵯峨野を保津川沿いに嵐山へ。川を縫うように電車は走る。眼下に保津川下りの舟から観光客が手を振っているのが見える。川の両側の山々は色とりどりの紅葉が次々に移り変わって行く。わずか30分で終点の嵐山駅へ到着。ここから渡月橋まで歩いて20分。町なかは観光客でいっぱいだ。峡のお昼は渡月橋近くの料亭での弁当。昨日の湯豆腐よりよっぽどましだ。渡月橋はさすがに観光名所だけあって橋を歩いて渡るだけでも人が多くて大変だ。でも川からの景色はさすがに見事だ。近くの紅葉で有名なお寺を散策。天龍寺は「嵐山の天龍寺」と云われるだけあって立派な本堂と一幅の絵のようなきれいな庭がある。境内の裏門を出ると京都の旅番組でよく紹介される両側を大きな竹林に囲まれた散策路につながっている。


【京都一日目】

京都大原の三千院の静寂な境内


足利尊氏が後醍醐天皇のために建立した南禅寺の立派な三門


サスペンスで御馴染みの水路閣の紅葉


石川五右衛門が「絶景かな・・」と言ったという南禅寺三門の上からの景色


夜間ライトアップがきれいな永観堂


【京都二日目】

宝ヶ池プリンスホテル


親鸞聖人像がある西本願寺の立派な御影堂。東本願寺は修復工事中。



嵯峨野のトロッコ電車から保津川下りの舟が見える


嵐山の天龍寺の池。本堂天井の雲竜図が有名。


よくTVの旅番組で紹介される天龍寺裏にある竹林



【飛鳥Ⅱへ】
嵐山から一路神戸港へ。港についてすぐに飛鳥に乗船。5階デッキが入口となっていて隣のビルの階から船内へ。今回、同じクルーズで一緒に乗船する舞妓さんと一緒に入口で記念撮影。出向は17時だが16時40分からデッキでウエルカムパーティが催されるため、一旦、部屋へ荷物を置いてから船外パーティへ。日本人より若い外国人クーのほうが多いようだ。夕暮れの六甲山のシルエットを背景にポートタワーがゆっくりと遠ざかる。いよいよ丸一日のクルーズの出航だ。とにかく船内が広いのでとりあえずあちこちを歩いて探検。飛鳥は毎日、各部屋にその日のイベントスケジュールを書いた船内新聞が配られるので、それを頼りにイベント会場や時間などを知ることができる。この日は17時からのフレンチの夕食の後、20時からの船内シアターでのマジクショーを見学。レストランも広い。飛鳥限定のエビス生ビールを注文。料理を運ぶウエイターもほとんどが外国人だ。マジックショーもほぼ満席でステージでの瞬間入れ替えや空中遊泳など間近に大掛かりなイリュージョンを楽しむ。ショーの主役は日本人だがアシスタントは全員外国人の女性。かなり有名なマジシャンみたいだ。カジノもあったが客はいなかった。夜はイベントホールの生バンドで時間を過ごしてから部屋へ。
翌朝は窓の下の船外デッキを散歩する人や走っている人もいたがあいにくの雨模様。朝食ビュッフェもかなり混雑していたが、バイキング方式の洋食でおいしかった。この日も船内巡りと舞妓さんのショーを見たり、外の屋根の下ではミニ運動会で盛り上がっていた。ゴルフの打ちっぱなしもある。夕べは府Rへ行く時間がなかったので昼の展望風呂へ。ジャクジー風呂は12階の一番見晴らしのいい場所にあり海を見ながらの風呂は最高だ。昼食は限定の冷やし中華を昨夜のメンダイニングのレストランで食べた後、洋食ビュッフェでも少し腹ごしらえ。船内は食べ物やソフトドリンクは全て無料のため、ついつい食べ過ぎてしまう。ラウンジのコーヒーももちろん無料。やがて左側に大島が見え三原山や波浮港がすぐ近くに見える。いよいよ後数時間で初めての飛鳥Ⅱ乗船も終わる。ベイブリッジをくぐり予定どおり16:00に横浜港へ入港。しかし、700名も乗客がいるため下船も順番待ちで船を降りるまで1時間半も待たされた。挙句の果てに宅急便の荷物を他の客が間違えたためそこからさらに40分近くも待たされるというハプニングのおまけ付き。雨の中を無料バスで桜木町駅へ。初めての船旅もなんとか無事に終了。さすがに大きな船は乗船客を飽きさせない様な様々なイベントやおいしい料理などの工夫があるが、限られた船内のため同じ船で数日過ごすのはちょっと無理かもしれない。今回は秋の京都も含めいい経験になった。

夕暮れの神戸港出航


舞妓さんと記念撮影


メインダイニングの夕食の様子


船内では毎日いろんなショーが楽しめる。この日は本格マジックショー


舞妓さんの優雅な踊りと楽しいトークショー


飛鳥デッキ。緊急脱出用の船も近くで見るとかなり大きい。













飯田線の旅(2012年8月)

2012年12月12日 | Weblog
【今回のルート】
一日目 8月5日(日)
新宿9:02発ホリデー快速ビューやまなし号→小淵沢乗中央線→岡谷→飯田線→飯田15:44着(ニューシルクホテル泊)
二日目 8月6日(月)
 飯田8:45発→天竜峡9:12~9:22発中部天竜行→中部天竜10:44~11:37発豊橋行→豊橋着13:22豊橋15:04発→掛川16:17→沼津18:05着


 長野県側から見る八ヶ岳もなかなかきれいだ。その昔、八ヶ岳は正面に聳える富士山とどっちが高いか背比べをしているうちについに頂上が爆発して八つに割れてしまったのが八ヶ岳の名前の由来とか。岡谷からいよいよ飯田線へ。車内も夏の日差しで暑い。飯田線は無人駅が続くため最後尾に乗っている車掌さんは駅に停まる度に前のほうに走ってきて切符を回収してから再び走って戻って乗車。やや太り気味の車掌さんは汗だくだ。飯田線の勤務は体力勝負だ。北アルプスの玄関口」駒ヶ根駅を過ぎ、飯田駅へ到着。飯田駅はりんごのような赤い屋根のかわいい駅舎だ。この飯田市は人形劇が盛んでこの時期は世界中から人形劇の劇団がこの飯田に集まり、市内のあちらこちらで様々な人形劇を上演している。ちょうどこの日が三日間の人形フェスティバルの最終日で残念ながら全部の上演が終了して見られなかった。昔NHKでやっていた三国志の人形劇作者の岡本喜八郎の人形美術館もある。


美術館には三国志の有名な登場人物に混じり、番組の案内役だったあの伸介、竜介の二人の人形も展示してあり、たくさんの手作り人形でなかなか壮観だ。この日泊まった駅の近くのニューシルクホテルも外人客でいっぱいだ。ヨーロッパ系の人が多い。こんな信州の山深い町でこんな世界的な催しがあるとは知らなかった。この飯田市は人形劇の他、歴史的な建物も多く、市内の中央にはリンゴ並木まである。


なかなか情緒豊かな旅情気分を満喫できる町だ。ホテルのレンタサイクルで岡本喜八郎美術館やりんご畑などをゆっくり回り、帰りにレトロ調の店内に懐かしい昭和の歌謡曲がBGMに流れる居酒屋の焼肉で一杯。
 翌日はあいにく今にも雨が落ちてきそうな空模様のため、朝食前にレンタサイクルで市内をお散歩。柳田邦男記念館や丸いコンクリート壁の歴史的な建物の小学校、人情話の文七元結の石碑や飯田市美術館には恐竜の模型もある。ホテル戻っての朝食バイキングは外人がいっぱいだ。


雨模様のため、ちょっと早めの出発で飯田線の列車の旅へ。 途中、天竜駅で岡谷方面行きと豊橋方面行き
の電車が両方で折り返し運転。駅のホームには二人の人形が乗った天竜下りの舟が飾ってあり、駅のすぐ近くに天竜川沿いの遊歩道がある。いい天気で時間があればをゆっくり歩きたいところだ。


次は中部天竜駅でまたも乗り換え、今度は待ち時間が1時間もある。近くの天竜川にかかる鉄橋からしばし時間つぶし。周囲には何もない。釣り人の姿が遠くに見えるだけ。ようやく来た豊橋行きに乗り込む。車内はガラガラだ。



知る人ぞ知る飯田線の名物S字橋

中部天竜で一緒に乗った数人の中学生も三々五々降りていく。雨脚もちょっと強くなってきた。沿線の駅はほとんどが無人のホームだけの駅も多いが、ふくろうの顔をしたユニークな駅舎もあり、なにかほほ笑ましい。途中駅の小和田駅は皇太子とのご成婚当時は恋人やカップルで賑わったそうだが、今は山の中の秘境駅の一つ。ひっそりと佇み訪れる人もいない。

やがて電車は愛知県に入る。長篠城の駅名が目に入る。電車が動き出すと車窓から空き地のようなところに長篠城跡の看板が遠望できた。信長軍が武田勝頼を鉄砲隊で打ち負かしたかの歴史の地。



やがて電車は豊川へ。このあたりまでくると乗客はかなり多い。豊川稲荷への参拝はまた次回。豊橋で軽く腹ごしらえ。駅ビルの喫茶店で名古屋弁?のメニュー書きを発見。「ミックチュジュース」と大きく書いてある。これホントの話。たまげた。豊橋駅から車窓の夕日を眺めながら東海道線でのんびり浜名湖、掛川を経て直通で沼津へ。夜は小田原駅近くの海鮮居酒屋で夕食を兼ねていっぱい。

石垣島へ(2012年6月)

2012年07月02日 | Weblog


久しぶりというか二回目の沖縄へ。今回は石垣島を中心とした八重山諸島の島巡り、そして息縄本当へ4泊5日の旅。

【今回のルート】羽田11:10→那覇空港経由→石垣島空港15:15着(レンタカー2日間)石垣シーサードホテル(2泊)→石垣空港15:10発→那覇空港16:10着(モノレール)→沖縄ハーバービュープラザホテル(2泊)(レンタカー)→那覇空港16:40発→羽田19:00着

【一日目(6/27)】

 梅雨明けの夏休み前で時期的にも値段的にも観光には最適な季節。石垣空港近くのレンタカーでマーチを借りる。運転しにくい。ナビも使いづらいが仕方ない。空港から20分くらいで石垣島の繁華街?へ。明朝8時10分出向の離島ターミナルを下見後、島北西部のホテルへ向かう。道路には行き交う車はほとんどいない。ナビだけが頼りだ。40分ほどでホテル近くの川平湾に立ち寄って見学。夕方だったがさすがに石垣島第一の景勝地だけあって青い海と白い砂浜が絵葉書のようにきれいだ。サトウキビ畑の狭い横道からホテルへ。荷物置いてから夕食のため川平湾まで再びドライブ。有名な観光地だか食堂らしきところはほとんどない。しばし歩いて近くのおいしそうな地元食堂へ飛び込む。家庭的で雰囲気のいい店だ。先客は地元らしき2組。石垣牛どんぶりとミックスフライ定食を注文。ボリュームも味も満点!旅先ではやっぱり地元の店に来るべきだ。

石垣島一の景勝地川平湾の夕景

 ホテルの芝生の中庭にはプールと椰子の屋根の南国風の屋外バーがあり、その先には真っ青なプライベートビーチのような見事な海岸が広がる。湾の向うには対岸の岬が見える。午後7時というのにまだまだ明るい。時間が経ち夕景になると東屋風のバーや椰子の木のシルエットの向うにロマンチックな夕日が静かに南国の海を照らし本当にきれいだ。絵葉書の中にいるような錯覚に陥るほどの見事な大自然の風景だ。屋外バーでウィスキーを片手にしばし雄大な夕景色に酔う。まさに南国気分一杯だ。本当に来てよかった。すばらしい景色だ。ホテルは全室ハーバービュー。石垣島の中心部から離れた立地で景色も部屋の広さも十二分。夜中にベランダに出て夜の海を眺めたら、小船のシルエットが月明かりに浮かび。空には満点の星。南国の旅行気分満点だ。

ホテルの夕景


【二日目(6/28)】
 ホテル2階のオーシャンビューのレストランで沖縄名物にんじんシリシリなどのバイキングで腹ごしらえ。早朝の海を眺めながらの爽やかなドライブで離島ターミナルへ。石垣ドリーム観光の窓口で受付後、西表島行の観光船へ。黒島や波照間島などが見える。まさに日本の南の果てだ。約50分で西表島の仲間港へ。仲間川のマングローブクルーズ船に乗り換えて船で川を遡行する。川の両岸には様々な種類のマングローブの他、鳥も喰わないという青い実の成るリュウキュウキョウチクトウや見た目はパイナップルに似ているタコの木など島独特の植物が密生。マングローブはいろんな植物の総称だそうで根っこが浅く広がっているためあちらこちらで倒れている。とことどころにカニの取り籠が仕掛けられている。船は30分ほど川を上ったところで干潮のため船のスクリューが川底の砂に引っかかり船長のこれ以上上流には行けないとの判断で再び川を下る。この川も狭いところや広いところ、曲がりくねったところなど様々な顔を見せる。上流の水深は浅く汽水だそうだ。

西表島の仲間川マングローブクルーズ

船長がここでとれたオオアサリを見せてくれた。直径10cmはあるデカイ。カヌーを楽しむ人もいる。今は追い風なので上流へ行くときは楽ですが帰りは逆風なので漕ぐのが大変ですよと船長。
川岸のクルーズ船の降り口にバスが待機。次の目的地である水牛者に乗って由布島へ渡る観光へ。島内の曲がりくねった道路を約15分。由布島へ渡るための水牛乗り場へ到着。水牛車が白い砂浜に6、7台待っており、ガイドの案内で次々に水牛者に乗り込む。由布島はすぐ目の前に見える約500mくらいか。潮が引いていて硬い砂地なので徒歩でも渡れそうだ。初めての水牛車体験。乗客は15、6人。牛を操るおじいの軽妙なしゃべりと三線(サンシン)の弾き語りでご当地ソング「安里屋ユンタ」を乗客全員で楽しく唄いながら由布島へ上陸。我々の乗った水牛の名前は「慎太郎」、裕次郎もいるそうだ。由布島へ降りたとたん思わず笑ってしまった。牛が大勢で首だけ水面から出してのんびりと風呂につかっている。なかなかお目にかかれないシーンだ。水牛だから水に浸かっていても当然といえば当然か。水牛車の後は島の熱帯植物園巡りと昼食タイム。まずは園内の食堂で弁当と島の地ビールで腹ごしらえ。中身も味も可もなく不可もない。あちこちにブーゲンビリアンや様々な熱帯植物が咲き乱れる園内の蝶の広場で飼育員のおじさんが「オオマダラ蝶」の解説をしてくれた。この蝶のさなぎの色はなんと金色。擬似色とのことだがなんとも珍しい。飼育員の方が写真の撮り方まで指導してくれたが残念ながらうまく撮れなかった。島からの帰りは再び水牛車で西表島へ。帰りの歌は「十九の春」ならぬ「老後の春」。おじいの替え歌がなんとも絶妙で乗客の年齢層にヒット。♪50,60はまだ若~い。70,80で花盛り・・・。

水牛車のおじいが軽快な三線で沖縄民謡を唄ってくれる。

断っておくがこの水牛車ツアーの参加者は年寄り(失礼)だけではない。若い娘さんも混じり、特に二人連れのうち一人は藤原紀香にそっくりの飛び切りの美人!。残念ながら次の竹富島ツアーには参加しなかったが南の島でワンピースがよく似合う美人と一緒というのは非常にうれしい。
 西表島から20.30分で竹富島へ。ここの海も実にきれいだ。マイクロバスで島巡りツアーへ。女性の運転手。みんな島を離れて現在この島の住民は約350人。ほとんどが観光で生計を立てているそうだ。星の砂で有名な砂浜でみんなで目を凝らして星の砂を探すが小さすぎてなかなか見つからない。それより何より海がきれいで景色が最高だ。よくTVやCMなどの撮影にも来るそうだ。木陰で土産の星の砂を売ってる方ものんびり。観光客もまだ少ない。サイクリングで島巡りしている人は割りと多い。自転車は暑くて大変だ。

竹富島の星の砂の砂浜。星が小さすぎて探すのが大変だ。


竹島メイン通りを水牛車観光、内輪差を考えてちゃんと角を曲がる。

この竹富島でも再び水牛車で島巡りに出発。赤いブーゲンビリアンとサンゴの石垣造りの塀に囲まれた狭い道を水牛が内輪差を考えて実にうまく水牛車を引っ張り、水浴び場所では水を要求して一人で止まる。実によく訓練されている。この牛の名前も聞いたが忘れた。りっぱな角が平行に伸びている珍しい牛だそうだ。騎手?は若い女の子。この娘も三線で「安里屋ユンタ」を唄ってくれた。再びバスで港へ。16時すぎに石垣島に再上陸。ホテルへ帰る前に港近くの繁華街で夕食をとることに。石垣島ショッピングセンタへ足を伸ばした後、再び港近くの駐車場がある店を探してしばし市内をグルグル。観光パンフでみた「寿司太郎」でようやく落ち着く。開店間際のため他に客はいない。地魚のにぎりとグルクンのチャンプル、その他野菜系など2、3品を注文。シャコ貝やイラブなどなかなか美味しかった。店を出て車に乗ったとたん、土砂降りの大雨。危機一髪。コンビニでBeer買おうとしばし車内で雨宿りしたがやむ気配ないためホテルへ帰ることに。
途中、昨日横を通りかかって看板が気になっていた「唐人墓」へ立ち寄り。奇跡的に車が駐車場に入ったとたん、雨がぴたりと止んだ。実にナイスタイミングだ。この唐人墓(とうじんばか)はまったく知識がなかったが、石碑に刻まれた歴史をみて愕然とした。江戸後期にアメリカの商船が中国から奴隷(苦力)380人を輸送中に遭難。この島に逃げた苦力を武装兵が探しだして虐殺、生き残った173人のうち128名が病死、自殺。その人たちを当時の琉球政府と島民が弔ったのがこの唐人墓。安易に観光目的で訪れるような場所ではない。墓の入口にはいかにも中国風のきらびやかな陶製の人形や鮮やかな飾り物で彩られた立派な門が建っているのでここを目当てに来る人が多いのかもしれない。今日は疲れたので部屋で軽く飲んで早めに就寝。

大勢の中国人苦力が眠る雨上がりの唐人墓


【三日目(6/29)】
いよいよ石垣島は今日が最終日。目の前の青い海を眺めながら最後の朝食を楽しむ
まずは川平湾のグラスボートで海底のサンゴやシャコ貝、熱帯魚などを見た後、次の目的地、川平湾と並ぶ石垣島の景勝地玉取展望台へ。車で1時間くらいか。この玉取展望台は石垣島北部に位置し、小高い丘の上に茶色の屋根のコンクリート造りの小さな休憩所があり、そこから北東から南東まで180度の大パノラマの眺望をゆったりと堪能。銚子の灯台ように地球の丸さを実感できるところだ。青い海をバックに緑や赤いハイビスカスのコントラトも見事。再びきた道を引き返し県道79号線で川平湾方面へ。次の目的地は「石垣やいま村」へ。石垣島へ初日にきたとき夕方の閉館で中に入れなかったため再び来所。ここは石垣や八重山の民俗文化を残す観光地で昔ながらの島の大きな屋敷が3件残っており、沖縄独特の色の民族衣装の体験コーナーや座敷での三線の弾き語りなども敷地内では見ることができる。また動物もおり、可愛い小さなリスザルがいっぱいいる森やカンムリワシなどもいる。

八重山の古民家


昼食は石垣ショッピングセンターの食堂で名物の八重垣そばと石垣牛のステーキを注文。腹一杯。腹ごなしに近くの石垣鍾乳洞まで足を伸ばし、売店でソフトクリームを食べてから車を返しにレンター会社へ。15:10発の那覇行きで沖縄本島へ。

 石垣島から来たためか空港内は広く人も多いのでまるで別世界のようだ。滑走路には軍用機も離発着しており改めて沖縄を実感させる。前回沖縄へ来たとき工事中だったモノレールに乗って今夜の宿がある壷川駅へ。ホテルまで近いと思ったが暑い最中に重い荷物を持って坂道を15分くらい歩いた。疲れた。暑い。沖縄ハーバービューホテルクラウンプラザは大きな立派なホテルだ。部屋も石垣のホテルほどではないが広くてきれいだ。やはり旅先のホテルはきれいなところのほうがいい。一休みしてから歩いて近くの国際通りへ。

夕方の国際通り。両側の歩道は呼び込みが多い。


相変わらず賑やかで呼び込みも多い。沖縄民謡のライブをやっている店もあちこちにある。ちょうど7時からライブがあるという店に入ってまずはビールで喉を潤してから泡盛を注文。やがて民族衣装の若い男女二人組が登場。賑やかに三線と太鼓で沖縄民謡を唄い、ステージから店のお客さんに合いの手を入れるよう声を掛けみんなで一緒に歌ったり、最後には立ち上がって沖縄の踊りを見よう見まねで踊ったりで店員も一緒になって掛け声をかけ非常に楽しい雰囲気だ。今日は石垣島から移動して疲れたので早めに就寝。

国際通りの民謡酒場、最後はみんなで賑やかに踊りだした。


【四日目(6/30)】
 今日は一日、昨夜ホテルの観光案内で訊いた南部方面の観光コースをレンタカーで回る。今回の車はマツダのデミオ。やっぱりこの車もカーナビは使いにくい。最近はみんなこうなのか。走っている方向と逆の下の方に矢印が出るのでどっちへ走っているのか分からない。電話番号の目的地設定だけが頼りだ。最初は沖縄戦の司令ぶのあった市内の外れの丘の上にある壕の跡地へ。鉄の暴風と表された米軍の凄ざましい艦砲射撃の様子や当事の沖縄住民の悲惨な様子などビデオや写真で展示。当事の日本軍が本土を守るためにいかに沖縄の人たちや風土を犠牲にしたのか、どのくらい命を奪ったのか。まさに当事の軍首脳部の人災としかいいようがない。現在でも沖縄の人たちが政府に禍根を残すのは当たり前だと思う。改めて沖縄にいるんだという実感が湧く。

 次はさらに国道331号線を南下。本日のメイン目的地であるひめゆりの塔へ。

南へ下る大きな国道も車は少ない。途中の琉球ガラス村で沖縄の青い海の色のようなきれいな琉球ガラスのビールグラスを購入。

ひめゆりの塔の入口で献花用の花束を売っている。大型バスでの観光客も多い。敷地内の平和記念資料館の前に大きな慰霊碑があり、その裏の大きな壕は資料館地下の負傷者用の病院施設に利用してた大きな地下壕の上部とつながっている。昭和20年3月14日米軍による艦砲射撃が始まり沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員生徒297名は、軍命によって看護要員としてただちに南風原陸軍病院に派遣された。当然、女生徒たちは看護や治療などの知識はないため、すぐにもとの学生生活に戻れるものと思い、病院の手伝い的な気持ちで行ったものがほとんどだったという。
 米軍の攻撃が激しくなるにつれ、前線から負傷者が大量に運び込まれてくるが、攻撃から逃れるため動けない負傷者を残して、命からがら南の方面に逃げ、現在ひめゆりの塔があるところは最後の地となった第三病棟の跡地である。治療に使っていた壕はたちまち負傷者であふれ、生徒たちも必死で慣れない包帯巻きや大量の血のふき取り、命がけで汚物を捨てるために壕の外にでるなど昼夜力限り一生懸命に尽くしたが、兵隊からは腹が減った、水が欲しい、俺たちは沖縄を助けにきたのに何故こんな目に逢うのかなど、生徒たちに罵声を浴びせることもあったという。負傷者は階段状の土の上に寝かされたまま治療を受けていた。6月18日、いよいよ米軍が間近に迫ってきたため看護の女生徒たちは突然、軍部から看護部隊の解散を命じられた。生徒たちはとまどいどこへ逃げていいかわからず、翌19日、米軍から投げ込まれたガス弾で壕のなかは地獄絵図となり、岩の上に枕を並べて集団自決したもの、外へ逃げまどって断崖から身を投げたものなど、軍の統制下で病院勤務していたときより、解散を命じられた後で亡くなった人のほうが圧倒的に多かったという。まさに軍の身勝手さによる民間人のいわれなき大きな犠牲だ。看護隊で生き残った方が語り部として当事の生々しい体験を語り、壁には戦争が激しくなる前の楽しい学校行事の模様や、戦闘の犠牲となった生徒の写真、日記などが展示され、今の平和な日本を思うにつれ、戦争の過酷さ悲惨さを実感として感じられ本当に涙なくしてはいられない非常に重たい場所であった。

この姫ゆりの塔の碑の裏側が病院施設として使っていた地下壕の天井部分と繋がっている。


 ひめゆりの塔から15分位で平和記念公園へ。緑の芝生や木が植えられた広い敷地内には記念館などが有り、展望台からは真っ青な沖縄の海が見える。

 次の目的地は「おきなわワールド」。国内有数の大規模な鍾乳洞や沖縄の古民家や民族文化などを見ることができる。ちょうど昼食時なのでレストランへ行こうと思ったら、エイサーの音が聞こえてきたので広場でエイサーを見学。元気な若者たちが趣向を凝らした振り付けや音楽で大勢の見物客を楽しませる。本当に楽しく賑やかな民俗芸能でエイサーは大好きだ。2階のレストランはバイキング方式で中は広い。エイサーが終わる少し前にきたのでまだ比較的空席がある。料理を取って席についたとたん、たちまち料理の周りに人が溢れ、修学旅行の中学生も混じって大賑わいだ。昼食後は強い日差しを避け敷地内の土産物や古民家などを回り、最後に大きな鍾乳洞「玉泉洞」へ。入口で沖縄民族衣装のお姉ちゃんと記念写真。鍾乳洞の中は広く秋吉洞のような感じ。また龍泉洞のような緑色にライトアップされた池などもあり十分見ごたえがある。全長890m。暑さしのぎにはちょうどいい。

エイサーや大きな鍾乳洞があるおきなわワールドの入口

 次の目的地「ガンガーラの谷」はおきなわワールドのすぐ目の前にある。ここはガジュマルなどの亜熱帯植物の中を歩くガイドツアーで予約が必要。この谷の入口は大きな洞窟になっており、三方を岩に囲まれた中にいくつかテーブルがあり「CAVECAFE」という母娘でやっている喫茶店になっている。空いているテーブルに座りコーヒーを注文。天井の岩からテーブルのパラソルの上に水滴が落ちてくる。涼しい。洞窟内には悠久の時を感じさせるゆったりとしたいい音楽が流れていて心が和む。店の娘さんに曲名を訊いたところ、このケーブカフェの店ために地元の音楽家に頼んで特別に作ってもらった曲で市販されてないとのこと。残念。本当にこの場所にぴったりのゆったりとしたいい曲だ。周りに座っていた何組かの客は全員がツアー参加者でガイドの集合合図で誰もいなくなってしまった。

  次は沖縄のパワースポットの一つ知念半島にある「斎場御嶽(せーふぁうたき)」へ。ここは2000年に世界遺産に登録されたところで、御嶽(うたき)とは奄美諸島から南西諸島に広く分布している聖地の総称。斎場御嶽は琉球王朝時代の格式の高い祭祀場で、せーふぁ(霊威の高い聖なる場所)の名前のとおり周辺一帯には巨岩や首里城の部屋と同じ名前の拝所がある。ここへ来るまでの道路には案内板もなくカーナビ頼りだったが何とか入場時間締切りには間に合った。やはり知る人ぞ知るで観光客も多く地元のガイドさんもいる。この知念半島からみる東側の海は実にきれいで海岸から数百メートル位のところに水平線と平行に白い波の線が数キロぐらい真っ直ぐに伸びており、手前の白っぽい海底と線の向こう側の青い海を隔てていた景色が非常に印象的だった。あれはいったいなんだったんだろう。
 知念半島をぐるりと回って一路那覇のホテルへ直行。南の島の夕日が暑い。
本島二日目の最終日は再び国際通りへ。大通りの裏道で魚介の美味しそうな看板の地下の店に入る。中は地元の人たちでほぼ満員状態。カウンターで地元の料理とビールで乾杯。早めにホテルに戻り、最終日の帰りの荷支度とドライブコースを研究。

世界遺産「斎場御嶽」の大きな三角形をくぐると隣の久高島が見える。


 【五日目(7/1)最終日】
ホテルチェックアウト後、レンタカーで沖縄最終日の目的地海中道路へ。ここは本島中部の与勝半島と平安座島とを結ぶ全長約4.7Kmの海の中を真っ直ぐに伸びている観光名所の長い橋で那覇市内から車で約1時間。道路の両側には沖縄のきれいな海岸風景が広がり車を止めてしばし小憩。道路の終点の左側には平安座島、右に浜比嘉島へのきれいな橋がある。この橋からの海の景色もきれいだ。この日は浜比嘉島で手漕ぎボートの大会が開かれるとのことで港近くは大勢の人で賑やかだ。帰りに海中道路の休憩所でアイスクリームと地元の餅饅頭を購入。

 直線道路の両側に沖縄の青い海が広がるうるま市の海中道路


この海中道路からの帰り道に「勝連城跡地」の観光看板があったので立ち寄ることに。ここの城跡も沖縄独特の曲線の石垣が小高い山の上まで万里の頂上のように築かれているが、建物や城壁などはまったく残っていない。この勝連城は沖縄の中でも最も古く12世紀ごろの築城と伝えられる。ここの城主は首里城を攻めたが落城して滅ぼされた。この小高い山の上の城址から眺める中城湾の海の景色も最高だ。

勝連城跡、13世紀頃の豪族の山城、曲線の石垣が沖縄の城の特徴

 帰りに首里城にちょっと立ち寄って(城内見物はしなかったが)再び那覇市内へ。昼食時なので駐車場のある良さそうな食事どころを探して1時間近く市内を回ったがまったくない。沖縄に来てまで本土と同じ店には入りたくないのでグルグル探して、ようやく坪川駅近くの大きな民家風の沖縄郷土料理の店に落ち着く。2時半頃までにレンタカーを返さなければならいないため早めに空港へ。ガソリンは海中道路の近くのほうが那覇市内より10円近くも安かった。普通は地方のほうが高いと思ったがここは逆だった。16:40分那覇発ANA132便で羽田へ。

今回の石垣島を中心とした旅行は非常に良かった。離島から那覇へ着いたとたん、人の多さや景色が一変しある意味カルチャーショックを受けたような感覚に陥る。次に沖縄へ来るとしたらまた離島を中心に滞在したい。今度はどこの島がいいだろう。


七沢ウォーキング(H23年11月)

2012年06月02日 | Weblog


11月26日、澄み切った爽やかな秋晴れの下、厚木の七沢ウォーキング大会に参加。
出発式の会場は小田急線本厚木駅から徒歩で30分くらいの小高い丘の上にある厚木市の「ぼうさいの丘公園」。主催者発表約260名の大勢の参加者が集まり、それぞれ配られたスポーツタオルとスポーツドリンクを片手に主催者あいさつの後、時間差で順序良くスタート。

歩いてすぐに、真正面には青い丹沢山系が広がり、路の両側には秋の田園風景が広がるいかにも田舎道といった大自然の中をゆったりと歩く。あちこちで風景写真を撮る人も多い。川のせせらぎや紅葉の広がる東丹沢の風景を眺めながらの絶好の行楽日和だ。

入社したての頃、丹沢に登ったことはあるが、この七沢地区を歩くのは今回が初めて。
初めての景色はなかなかいいもんだ。喫煙グループが途中で気持ち良さそうに一服しているのを横目にスイスイ歩く。やがて七沢温泉の看板が見えてきた。ここで酒蔵見学グループと合流する手はずになっている。坂道を登っていくと高いアーチ型の橋脚が見事な森の架け橋が見えてきた。もうすぐゴール地点の七沢森林公園だ。ここまで約2時間。

高いアーチ型の森の架け橋


集合時間までまだちょっと時間があるので、管理事務所裏の小路から裏山の登り口へ。思った以上に急坂で頂上の尾根伝いには団体さんの山歩きチームと遭遇。目の前に大山山系の紅葉が広がり、天気もいいので写真撮ったりスケッチしている人などもいる。

山を下ったところがゴール地点の七沢森林公園。受付をすませてから広い広場に点在するバーベキューの場所へ加わる。1グループ6~10人くらいか。職場の仲間のグループもちらほろ。我々のグループは夫婦3組と新人くんおベテランさんの8名。配給のバーベキュー材料とビールや日本酒を早速確保。多摩川で家族でよくバーベキューを楽しんでいるという達人Aさんが、自前のスパムの缶詰を提供してくれ、これを焼きオニギリにはさんで食べるとこれがまた旨い。グループ全員に大好評だ。


達人Aさん自慢のスパムおにぎりが大好評


自然の中で違う職場の人たちと家族ぐるみで話がはずむ。非常に楽しい雰囲気だ。お楽しみ抽選会ではAさん夫婦が二人とも当たりみんなで祝杯。我々グループ全員で記念写真を撮り次の機会があれば再会を約束し大盛り上がりのうちにウォーキング大会は無事終了。

大盛り上がりの記念写真。再開を約す。


 帰り道はほとんどの参加者がバスで帰ったが、我々は公園入口の反対側へ下りて県央地域の自然を楽しみながら歩いて駅へ向かう。NTTの研究所の横を通り、途中の小川のほとりの大きな皇帝ダリアや公園池の鴨を眺めながら晩秋の田舎道を歩く。もともと歩くことは好きなので、今回のウォーキング大会に参加して非常に良かった。なんといってもバーベキューの和気あいあいの雰囲気が最高!。次回が楽しみだ。

河津桜(H24年3月)

2012年03月08日 | Weblog

3月8日、今年の冬はとにかく寒い!そして長い!
 この河津桜は例年だと2月上旬くらいにバスツアーが集中するが、今年はすでに1ヶ月遅れでようやく満開の見ごろを迎えた。しかし、南伊豆の3月とは思えないくらい寒い。それでも開花を待ちわびた花見客が観光バスやマイカーで続々と川沿いの小路の桜のトンネルの下の散策を楽しんでいる。
 ここへは数年前にもバス旅行で河津七滝と河津桜ツアーに参加して訪れたが、見所もよくわからないまま連れて来られて、限られた時間の中でざっと見ただけなので河津桜の印象はあまり残っていない。
 今回は前日熱海のニューフジヤで栄養補給してからマイカーでゆっくりと伊豆半島東海岸沿いに国道134号線を南下。あいにくの曇天だが雨は落ちてこない。川奈CC、北川温泉、熱川を抜け約1時間半で河津駅入口に到着。町なかに入り駐車場を探す。桜並木が近くに見える空き地で地元のおばちゃんが呼び込みしていたので空いたスペースに車を止める。この季節ならではの同じような臨時の駐車場があちこちに点在。どこもほぼ満車状態だ。大型バス専用駐車場には仮設トイレもある。川沿いの桜のトンネルは人でいっぱい。

 橋の上から眺めると、河津川のゆったりとした流れと濃いピンクの桜並木そして黄色の菜の花のコントラストがきれいだ。あいにくの曇り空だが、バックが青空だったらさらに見ごたえのある景色になっていただろう。次回のお楽しみだ。土手沿いの小路の傍らにはたくさんの露店やにわか作りの産直店、河津桜のお菓子のお土産店などがびっしりと並ぶ。店によっては人だかりができている。女性の猿回しも出ていて観客の笑いを誘う。正直言ってこんなに賑やかだったとは前回来た限りではまったく思いもよらなかった。
 町の中心部のメイン通り沿いには、ボリュームたっぷりで圧倒的な存在感の「かじやの桜」の見事な開花を堪能。もう少し先にはこの河津桜の産みの親である飯田さん宅の「河津桜の原木」の前で大勢の観光客が思い思いに写真を撮っている。


河津桜の生みの親飯田さんの原木


 ふたたび川沿いの桜並木の散歩道に戻るため畑の中の小路を歩くと、遠くに近くに、たくさんのピンクの花があちこちに咲き誇り、福島の桃源郷に行ったときような錯覚に陥る。それほど町中に桜の木が多い。近くの神社の大きな楠木は火除けの守り神で神社の信徒は暮れになると一定期間、一切の肉類を絶つことで火除けの神様に忠誠を誓うというような立看板があった。

 さて、駐車場に戻ろうと思ったが、どこへいっても同じような風景のためまったく方向音痴になり、どこに止めたか分からなくなり、同じところをいったり来たりで結局30分ほど探してようやくマイカーへ。

 早めに熱海を出たので河津も午前中に出発できた。帰路はずっと以前に一度来たことのある伊豆高原の別荘地の中にある巨大海老フライが有名な「和むら総本店」で自然の景色を眺めながら平日限定ランチで腹ごしらえ。和食の店なのになぜかとんかつやフライが美味しい有名な店だ。


静かな別荘地の中にある知る人ぞ知る「和むら」


 食事の後、近くの椿公園と一碧湖に立ち寄ってから伊東市内をしばし散策、コーヒーで小憩とって真鶴道路から湘南バイバスで帰宅。お疲れさん。

北海道へ(H23年11月)

2011年11月14日 | Weblog

11月5日(土)東京は晴れ。小樽は小雨。
 羽田8:30発JAL505便→新千歳10:00→小樽11:46~15:34発→札幌
  久しぶりの北海道。最初は小雨の小樽からスタート。駅前大通りにはナナカマドの真っ赤な実がなり北海道へきたなという実感が湧く。昼食は小樽運河近くの立派な回転寿司の「和楽」で地元の海の幸を堪能。店内は混みあっていたが5分くらいでカウンター席へ。タコの吸盤軍艦と脂の乗った出回り始めのニシンの握りがとにかく旨かった。ネタも良く値段も手ごろ。
 小雨の小樽運河周辺を散策後、駅前のバス停から13:34発の市内散策のレトロバスCコースに乗って本日のメインである大きな鰊御殿「旧青山別邸」へ。敷地の門をくぐると左手に「石狩挽歌」の大きな石碑と北原ミレイやなかにし礼の記念写真がある。この屋敷は大正時代に山形の網元が6年の歳月をかけて愛娘の避暑用に造ったという贅を尽くした大別邸。可愛い女の子のガイドで屋敷内を見学。黒光りの廊下は漆塗り、長い柾目の杉の梁やイチイの木、螺鈿の家具、日本画の巨匠河合玉堂の襖絵など、どれもお宝探偵団に出せば超一級品ばかり。中庭には枯山水。だが風呂は非常に狭くトイレも有田焼きで使いにくそう。現在、この家はある個人の大金持ちの所有とのこと。この屋敷の隣には3階建ての大きな建物があるがこちらは「小樽貴賓館」というレストランで観光客用だ。庭には青山家の娘が大好きだったというたくさんボタンが植えられ花の咲く時期は見事だろう。
再びCコースのバスに乗り小樽駅へ。途中、小樽水族館近くで、日和山灯台とその下の大きな赤い屋根の鰊御殿を見ることができた。天気が良ければ山を歩いて登るつもりだったが近くで見たからまあいいか。

小樽運河近くの立派な回転寿司「和楽」


旧青山別邸入口


市内散策レトロバス(小樽水族館前)


 札幌へは予定より早く着いたが、ホテルを探すのに一苦労。駅から近いはずなのに時計台の近くをウロウロしてようやく「ニューオータニイイン」へ。小憩後、すすき野へ繰り出し夕食へ。当初ジンギスカンを予約していたが店内に客が誰もいなかたので急遽予定変更。あちこち探してようやく創作和食の「ぐ~」という店へ。たまたま入ったが料理が旨かった。変わった鳥モツの煮込み、トビっこの入った厚焼き玉子など、店を出るときお店の女の子が玄関先まで見送ってくれて感激。

11月6日(日)札幌は曇りのち晴れ。
  本日は札幌市内を散策。天気予報は小雨だったが、朝のうちは曇りでそのうち昼ごろには晴れ間も出てきて晴れ男の面目躍如!
 まずは地下鉄に乗って中島公園から市内見物のスタート。土日専用の乗り放題切符「ドニチカ」を購入。駅を出たとたん目の前に黄色のイチョウ並木が一面広がり、大きな池には赤や黄色の色鮮やかな紅葉が水面に映りこんでまるで絵画のようだ。公園内をしばし散策。豊平館の白い洋館や関守石のある安土桃山時代の茶室などもあり静かないい公園だ。観光客はまばら。ジョギングや散歩の人も多い。紅葉もまだ見頃で季節的にもちょうどいい時期かも知れない。公園内はどこを歩いても絵の中にいるようで本当にきれいだ。ここに来て良かった。

中島公園の紅葉


旧洋館ホテル「豊平館」(中島公園)

 次は大通り公園のテレビ塔へ。天気がいいため展望台から360度の視界を楽しむことができた。大通公園の紅葉や藻岩山や札幌ドームも遠くに見える。昨年できたばかりのJRタワ-も青空に映える。

テレビ塔から見た大通り公園


恋の街札幌

次はレンガ造りの旧道庁へ。ここも敷地内の紅葉が見ごろだ。初めて建物内を見学。2階に北方領土のコーナーがあり四島返還に署名。民間レベルでは普通に島民が札幌へ来たり、こちらから島へも渡ったりしているそうだが政治レベルでは道は険しい。
再び歩いて今度は駅の反対側の北大キャンパスへ。とにかく広い。学部ごとに駐輪場がある。もちろん観光客や散歩の人も多い。食堂では焼きたてのパンも売っている。有名なポプラ並木も久しぶりだ。黄色のじゅうたんのような大きな銀杏並木の下では銀杏拾いやカメラマン、写生の人も多い。日差しはあり寒くはないが暖かくもない服装はまちまちだ。

旧道庁の赤レンガが紅葉に映える


北大の入口(札幌駅から徒歩10分)


ナナタマド


 再び地下鉄ですすき野のラーメン横丁へ。店を知らないので飛込みで入り、焼豚味噌と魚介醤油ラーメンを注文。若い店主が年何回か横浜の中華街へ行っているとのことでしばし歓談。肝心のラーメンも非常に旨かった。いいところへ入って良かった。

魚介ラーメンの旨い店(旧ラーメン横丁)


 腹ごしらえが終わり、次の目的地函館へ。札幌の天気が良かったので市内見物に時間をとったため当初予定より一本遅れの14:52分発のスーパー北斗16号に乗車。指定席は満席のため早めに自由席に並び始発から座ることができた。席は満席。全員函館まで行くのかと思ったが途中、室蘭あたりで降りる人も多く、函館へ着くころは7、8割程度の混み具合い。新千歳から海側へ下る路線は初めて乗車。曇り空のため暗くなるのも早い。室蘭過ぎたあたりから波打ち際のすぐ横を線路が走る。昼間晴れていれば景色はいいだろう。台風がきたらすぐに通行止めになりそうな路線だ。

スーパー北斗16号(札幌~函館)


約3時間20分の長旅が終わりようやく6時過ぎに函館駅に到着。すぐ隣のホームには新青森行の津軽海峡線のスーパー白鳥が停車中。津軽海峡冬景色を思わず口ずさむ。
今夜のホテルは函館駅のすぐ目の前の「ロワジールホテル」。小雨の中を小走りでホテルへ。フロントで訊いたホテルお勧めの居酒屋へいったがイマイチ。別の店を探してしばし市内見物。一杯飲み屋がひしめく大門横丁や海鮮料理の店が多い。呼び込みに誘われ「いか太郎」へ。つぶ刺しとほや刺しを注文。岩のりのイクラのおにぎりも非常に旨く当たりの店だった。

ホテル近くの居酒屋「いか太郎」


11月7日(月)函館は曇りのち晴れ。大沼公園は曇り。函館山は快晴。
翌朝、ホテルバイキングの朝食。朝から降っていた小雨がやみ明るい曇り空。朝食のイカ刺しが新鮮で非常に旨かった。さすが本場。駅のロッカーに荷物を預け、ホテルのすぐ裏にある朝市をぶらっと見学してから市電で五稜郭へ。市電1日乗り放題切符600円也。途中、自由市場でイカ飯をお土産に購入。

朝の函館駅(ホテルの部屋から)


 五稜郭は市電の停留所から歩いて15分。10時にガイドツアーを予約していたので展望台入場券を買って土方歳三像や大砲が置いてある1Fロビーをしばし見学。タワーの高さは107m、空港が近いため108m以上の建物は不可とのこと。展望台からは青空をバックに函館市内を一望できる360度の視界が広がり、眼下には紅葉がきれいな五稜郭公園の特徴ある星型の形と公園中央には旧函館奉行所が見える。公園外郭の土塁の上や公園を一周できる散歩道を歩く人も多い。天気が良く函館山がすぐ近くに見える。函館空港や競馬場も遠くに見える。榎本武揚、土方歳三ら旧幕府軍のと新政府軍との函館戦争の舞台となった五稜郭要塞は四季を通じて見所が多く、昔は周りのお堀でスケートや水泳もできたそうだ。

土方歳三終焉の地


旧函館奉行所(昨年新築)


五稜郭タワーから函館山を望む(港まで約3km)


 函館朝市に戻って入口の食堂の2階で昼食。ウニ、イクラ、ホタテの三色丼とイカ天丼を注文。帰り際に食堂自家製の大ぶりのイカ飯をお土産に購入。

朝市入口の食堂の三色丼といか天丼


 大沼公園への電車は少ない。13:24分発の函館本線で大沼公園へ。大沼公園は曇り空であいにくの天気だったが観光客は多い。大型観光バスが並び中国語が飛び交っている。湖を縫うように小路の散歩道がありゆっくり秋の湖畔の景色を楽しむことができる。駒ケ岳は雲に隠れていたが名残の紅葉が湖面に映り、沼に点在する小島を縫うように大小の観光船が行きかう。新緑の頃やもう少し早ければ紅葉が見事だろうと思える景観だ。湖畔に「千の風に乗って」のレリーフがあった。ここがあの歌の誕生の地か。

大沼公園の小島を縫うように観光船が行き交う


 電車の本数が少ないため帰りは15:34分のスーパー北斗で函館へ。函館駅のホームで夕食の駅弁を購入。再び市電でベイエリアへ。夕方であたりは薄暗くなってきたが、函館名物の坂道を歩いて元町公園やハリスト教会、旧公会堂を散策。同じような観光客も多い。
今回の北海道旅行の一番のメインである夜景を見るためケーブルカー乗り場へ。
 
 天気予報は雨のち曇りだったが夕方は快晴、しかもケーブルカーは昨日まで点検運休で本日から運転再開。最高にいいタイミングで函館山に上ることができた。やはり山の上は寒い。大勢の観光客がカメラ片手に展望デッキにで歓声を上げる。20数年ぶりの函館の夜景。雨上がりで空気が澄み、空には冴えた月、津軽海峡にはイカ釣り船の白い灯りが浮かび、そして眼下には函館の地形がそっくりそのまま夜景となって目に飛び込む。東京や香港の夜景とはまた違ったどこか温かみのある夜景だ。前回来たときも台風一過でものすごくきれいだったが、今回も澄んだ空気と月明かりで一段と見事だ。写真と実際に見るのとでは大違い。本当に来て良かった。今回の旅行は大成功だ!
 18:30発の函館空港行のシャトルバスに乗り、19:40発のJAL1070便で羽田へ。

佐原の秋の大祭(H23年10月)

2011年10月22日 | Weblog

10月9日(日)。佐原には何回か行っているが有名な佐原の大祭は今回が初めて。
成田駅から鹿島方面行きの短い車両は祭りの観光客でいっぱいだ。
沿線の民家の屋根の青いシートがやけに目に付く。先週の台風15号の直撃の被害かもしれない。ホリデーパスで成田からの乗り越し料金480円を支払って街中へ。
駅を降りたとたん祭囃子と賑やかな掛け声がどこからか聞こえてくる。
豆知識によると佐原の大祭は毎年、春と秋の2回行われ、秋の祭りは、各町内から
それぞれ工夫した大きな人形山車が14台出る。祭りは毎年10月第二の金土日の三日間
行われ、今日は日曜日なので今日が最終日。秩父の夜祭と同様の曳山祭りであちこちの町内から繰り出した山車が佐原の街中を練り歩き、ところどころで山車を止めて引き手が佐原囃子に合わせて手踊りを披露する。山車には笛や太鼓の年寄りが乗り、方向転換する2本の梃子棒は熟練の若者が操り、力の要る方向転換の綱引きは中学生位の男子が多い。

梃子は祭りの花形

長い綱を引っ張るのはアイスクリーム片手の女の子や若いいなせな母親も多い。
今年の祭りは楠木正成と息子正行(まさつら)の足利尊氏との決戦前の今生の別れ「桜井の別れ」がテーマだと駅のポスターには書いてあったが、楠木正成以外にも大和武尊や義経、さらには浦島太郎など様々な山車人形が出ていて、テーマが良く分からない。要するに何かを主題にして祭りを盛り上げようということなんだろう。

源為朝公ご帰還の図


 この祭りは道路の辻で梃子棒を巧みに使って大きな山車を方向転換する「のの字廻し」
など見所が多いと聞いていたが、残念ながらのの字廻しは前日に行われたようで、交差点にはのの字廻しのまん丸な跡がクッキリと残っていた。

のの字廻しの跡

 祭り期間中はたくさんの屋台やあちこちに無料の休憩所があり、疲れたら食事をしたり休憩できるのがありがたい。手作りいなりに屋台の焼きそばとビールで昼食を摂る。
佐原の街中を流れる小野川は両岸に柳、蔵造りの町並みが続き、江戸時代にタイムスリップしたような絶好のロケーションが旅情をそそる。川沿いではモデルの撮影会が行われ一眼レフの年配カメラマンが群がり落ち着いた町並みに不似合いな異様な光景。しばらく歩くと小野川を見つめる大勢の人だかりが。嫁入舟だ。小船の先に米俵を積み、紋付袴と高島田の新郎新婦がニコニコ並んでいる。こぎ手は絣のもんぺ姿の女性船頭二人。柳の枝が彩りを添え、見物人の「おめでとう!」の声に思わずニッコリ。祭り当日の結婚式とはなんともおめでたい。

よっ!ご両人!


街中を一回りして山車もたくさん見物したので地元の諏訪神社へ。この大祭はこの諏訪神社の秋祭りだ。石造りの大鳥居をくぐると右手の公園に測量姿の地元の英雄伊能忠敬の像が迎える。55歳で江戸へ出て12年かけて日本全国を回り72歳の没後三年後に弟子たちの手で初めて日本全国の地図が完成。ときに1821年。その苦労とバイタリティに改めて敬服。帰りに利根川沿いを散策してから、成東経由で夜のお楽しみ。いつもの茂原の「はち」でジャコてんこ盛りパスタと地魚三種盛りで一杯。腹もいっぱい。