環境新聞で5月より、連載「リスク社会と地域づくり」の2回目より転載(図は変更)
近年のパンデミック
パンデミックとは、地理的に広い範囲の感染流行、あるいは非常に多くの数の感染者や患者を発生する流行を意味する。2020年から私たちを苦しめてきた新型コロナによる累積死亡者数は600万人超。2000年以降に限ってみれば、SARS、MERS、エボラ、デング熱といったパンデミックが起こっているが、死亡者数はデング熱で4万人弱、エボラが約1万人、SARSとMERSは1千人弱である。
14世紀のペスト、20世紀初頭のスペインかぜ、20世紀後半以降のエイズなどは世界で1千万人を超える死者がいたと推測されている。しかし、当時に比べて、医療の進歩が著しいことを考えると、新型コロナ感染症の拡大はやはり近代・現代の大災害である。
死に至らずとも、世界で5億人が感染を経験し、後遺症に苦しむ方が多いこと、2年間を超える行動制限もあることから、このパンミックが人類に与えた影響は凄まじいものがある。
ウイルスという虫眼鏡
「ウイルスという虫眼鏡は、私たちの矛盾と限界の特徴を拡大して見せてくれる。」これは、ジャン・リュック・ナンシーというフランスの哲学者の言葉である。この凄まじい虫眼鏡は何を見せてくれたのだろうか。筆者は、①グローバリゼーションの弊害とリローカリゼーションの必要性と可能性、②対面への囚われの弊害とリモートの可能性をあげる。
グローバリゼーションとは、国や地域の境を超えて、人・モノ・情報の交換の量や速度が拡大することである。これにより、生産物の市場の拡大、国際間の分業による効率化が進み、世界経済の成長がなされてきた。先進国から途上国への環境対策技術の移転は宣告の二の舞とならない持続可能な発展、すなわち途上国のリープフロッグ(Leap frogging) 型発展を期待させる。しかし、流通の広域化・高速化は環境負荷の増大の根本原因である。大量生産・大量消費型の文化の伝搬により、環境問題の輸出にもなる。グローバリゼーションは功罪あわせもつ、両刃の剣である。
新型コロナの感染拡大は、国際的な人流の多さと速さが感染拡大を瞬時のものとした。帆船で移動していた時代であれば、世界的大流行にはならなかったのかもしれない。また、グローバリゼーションは外部依存型の生活や生産の構造をつくる。このため、工場の稼働停止により、外部からの食糧や製品の供給が断たれると、活動が停止する。自給自足や地産地消の備えのなさが新型コロナに対する活動抑制の影響を深刻なものとした。新型コロナについていえば、グローバリゼーションの悪しき面が拡大して見せてくれた。
一方、新型コロナの感染拡大を抑制するために、マスク着用とともに3密対策が徹底された。3密対策は対面での人との接触を減らす対策であり、このため在宅ワークや遠隔会議を余儀なくされた。テレワークの普及は1990年代から長く導入が進められてきたが、新型コロナが否応なくテレワークを経験させ、一般化させた。
リモートによるリアルな活動の代替は仕事の仕方を変えただけではない。冠婚葬祭をバーチャルで行ったり、ジムとつながりながら在宅でヨガをしたり。遠隔医療やバーチャル旅行もさらに身近なものとなった。
ネイバーフッドコミュニティ
リローカリゼーションとリモートの普及が同時に進むことは、「人やモノの移動はできるだけクローズドに、情報はオープンに」という方向に、地域社会が再構築されることを意味する。里山・里海のある地方に移住し、地元の農水産物や自然の場を楽しみながら、オンラインで大都市圏とつながりながら仕事をするというスタイルは、環境面・経済面・社会面からみて統合的に持続可能である。地方での暮らしは移住者の活力を高め、移住者と地域とのつながりによる地域活性化を期待できる。地方の活性化が広がり、連なることで、日本全体の持続可能な発展への道が拓かれる。
一方、海外の都市では、「15分コミュニティ」、「20分生活圏」といった動きがある。これらは、自宅から徒歩、自転車、または公共交通機関で15分、あるいは20分で生活を完結させるという構想である。これを実現するために、路上駐車スペースを撤去し、公園や緑地、畑を敷設する、空きビル等を利用する民間事業を導入するなどにより、土地利用の再編を進めるという。リモートワークが普及する中で、大都市の中での不快な通勤混雑が緩和され、コミュニティの中で世界とつながる仕事をすることも可能となるだろう。
地方圏においても大都市圏においても、リモートが活かされ、ネイバーフッドコミュニティの自立性が高まっていく可能性がある(図参照)。