蕣(あさがお)は下手の描くさへあはれなり 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』「昼顔に米搗き涼むあはれなり」の次の句は「蕣(あさがお)は下手の描くさへあはれなり」の句である。貞享四年、芭蕉四四歳の時の句だ。「嵐雪が描きしに、賛のぞみければ」と前詞を書いている。
華女 芭蕉は嵐雪の描いた朝顔の絵を褒めているのかしら、それとも貶しているのかしらね。
句郎 絵が上手いとか、下手だとかいうのではなく、「蕣」の本意は「あわれ」にあるんだなぁーと気が付いたという発見の句なんじゃないのかな。
華女 「蕣」の真実が表現されていると、技術は未熟でもと、褒めているということなのね。
句郎 芭蕉は人におもねることをしない人だったんじゃないのかな。
華女 世辞と言わない人だったのね。
句郎 芭蕉は『おくのほそ道』の旅を大垣で終わった時、大垣藩の家老次席の戸田如水に挨拶に伺った。その日の芭蕉の様子を戸田如水は日記に残していた。「心底計り難けれども、浮世を安くみなし、諂(へつら)わず、奢(おご)らざる有様也」と書いている。自分より遥かに身分の高い人に対して芭蕉は礼を失することはなく、対して身を屈することのない人だったんじゃないのかな。
華女 身分制社会にあって芭蕉のような人は稀有な人だったのね。
句郎 そう、人の話に耳を傾ける人でもあったんじゃないのかな。
華女 だから嵐雪は自分が描いた朝顔の絵に賛を師の芭蕉に求めたのね。
華女 身分制社会に生きながら芭蕉は誰に対しても公平に見る人だったのかもしれないわね。
句郎 絵の賛を求められて句を詠む。芭蕉は嵐雪の絵を見て、句を詠んでいる。このことは一種の挨拶だよね。
華女 確かに挨拶よ。と同時に私は絵もまた俳句と同じようなものなのかと思ってしまったわ。嵐雪は蕣を絵に描いて、哀れを表現しているのよね。俳句は言葉を用いて哀れを表現しようとしているわけなんでしょ。
句郎 表現手段は違うけれども、表現しようとしているものは同じということなのかな。
華女 そうだと思うわ。
句郎 「蕣(あさがお)は下手の描くさへあはれなり」。これは俳句であると同時に絵画の賛であり、芭蕉の嵐雪対する挨拶にもなっている。挨拶とは、礼の在り方の一つだよね。礼法というものが社会を規律するということが分かるような気がするな。
華女 身分制社会にあっては、礼法というものが社会を規律していたのよね。
句郎 現代社会にあっても礼法というものは重要なんじゃないのかな。先日、アメリカのトランプ大統領は横田米軍基地に降り立った。私は違和感を覚えたんだ。今までだったら羽田に着陸していたように思うからね。日曜の朝のテレビ番組でコメンテーターがこのことは日本に対して失礼な行為だと述べていた。アメリカは日本を独立国としてみなしていない行為だと批判していた。なぜなら横田米軍基地は日本国にありながら日本国の一部ではなく、米国の一部になっているんだからね。トランプアメリカ大統領は安倍総理に対して私は一番だ、君は二番だ、いいねと、確認していたくらいだからね。