醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  607号  旅寝してみしやうき世の煤はらい(芭蕉)  白井一道

2017-12-30 11:26:07 | 日記

 旅寝してみしやうき世の煤はらい  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「旅寝してみしやうき世の煤はらい」。「師走十日餘、名ごやを出て、旧里に入んとす」と前詞がある。
華女 前詞は『笈の小文』にある言葉なのかしら。
句郎 そう、『笈の小文』にある文章だ。
華女 この句が身に浸みると言った友だちがいたわ。彼女はキャリアウーマンなのよ。仕事一筋の女性だったわ。
句郎 、どうしてそんなに身に浸みて感じるものがこの句にあるのかな。
華女 普段は何も感じないのよ。日曜日とか、仕事のない日に感じたんじゃないの。公園で子供と一緒にいる同世代の女の人を見るといいなぁーと思うみたいよ。
句郎 浮世のすす払いをする必要のない旅に生きる俳人にとって浮世の日常生活が輝いて見えるということなのかな。
華女 年の瀬のすす払いなど嫌に決まっている仕事が旅に生きる者にとっては輝いて見えるということよね。
句郎、日曜日、公園で子供と遊ぶ主婦だって本当に楽しそうに見えても本人にとってはつまらない時間かもしれないけれどね。
華女 そうよね。家庭に閉じこもっている主婦にとって、キャリアウーマンは輝いて見えるかもしれないけれど。
句郎 人間なんて、勝手なもんだね。自分にないものに憧れるのかも。
華女 西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ」という三夕の一つだと言われている歌があるじゃない。世俗を捨て、出家した者にとっても秋の夕暮れには美しさが身に染みるということよね。
句郎 「秋の夕暮れ」は和歌の世界だけれども俳諧の世界は「すす払い」なんだろうね。
華女 芭蕉は世俗の世界の中に真実を発見したのかしらね。
句郎 西行は「あわれ」を秋の夕暮れに見たんだと思うけれど、芭蕉は世俗の日常生活の中に人間の真実を見たのかもしれないな。
華女 芭蕉は西行の歌を学び、新しい世界を開いたといえるのかもしれないわ。
句郎 芭蕉は西行から大きな影響を受けているのは確かなことのようだからね。
華女 西行の歌と芭蕉の句との間には何の関係もないように見えるけれども、深い所で結びついているようにも感じるわ。
句郎 私は芭蕉のこの句を名句だと思っているんだ。
華女 芭蕉は世俗の日常生活を発見したということなんでしょう。
句郎 山頭火の句「たれもかへる家はあるゆふべのゆきき」。この句は世俗の日常生活から落ちこぼれてしまった人間の悲哀が表現されているように思うんだ。帰る家を失った者の哀しみを詠っている。芭蕉は世俗の世界のど真ん中で落ちこぼれることなく、正々堂々と生きた。世俗の中で世俗を捨て、旅に生きる道を40歳の年から死ぬまでの10年間を過ごした。
華女 帰る家がある人の行き来の中で帰る家を持たない者の哀しみを山頭火は詠んでいるのよね。
句郎 芭蕉の旅はいつも目的を持った旅立った。しかし山頭火の旅はたんなる放浪の旅だった。芭蕉と旅人山頭火の旅は違う。でも影響は受けているんだろうな。