箱根こす人も有らし今朝の雪 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「箱根こす人も有らし今朝の雪」。「蓬左の人々にむかひとられて、しばらく休息する程」と前詞がある。
華女 「蓬左」とは、地域名なの?
句郎 「熱田神宮を蓬莱宮(ほうらいきゅう)といったので、その左側の地域」のことを言うようだ。
華女 この句も『笈の小文』に載っている句なのかしら。
句郎 、そのようだ。
華女 箱根は東海道の難所として知られていた所だったのね。
句郎、小夜の中山峠と同じように東海道の難所として旅人を苦しめた峠だったんだろうね。
華女 この句はとても分かりやすい句ね。
句郎 三百年前も同じだったんだろうね。
華女 全然古びない句ね。
句郎 この句と同じような句はいくらでもできそうだけれど、すでに三百年も前に芭蕉がすでに詠んでしまっている。
華女 芭蕉の句の中でも高く評価されている句だというわけでもないんでしよう。
句郎 多分そうなんじゃないないのかと思う。
華女 でも俳句初心者には、手本になる句のように思うわ。
句郎 そんな気がするよね。難しさが何もない。まさに俳句の手本かな。上五の「箱根こす」と言い出すところが俳句の基本のように感じるけれど、どうかな。
華女 そうよ。東海道の「箱根こす」。うぁー、大変だ。この気持ちが読者に伝わるわね。
句郎 「人も有らし今朝の雪」。この雪の中を箱根越えして行くんだ。凄いな。この芭蕉の気持ちが読者に伝わるよね。俳句というのは、こういうように詠むんだということが分かるな。
華女 「馬をさえながむる雪の朝哉」。『野ざらし紀行』に載っていた句だったかしら。この句の場合は、すっきりすんなりと読者に伝わらないようなところがあるように思うのよ。雪景色が綺麗だなぁーと馬も眺めているのかなぁーというような解釈がありそうな気がするでしょ。ところが「箱根こす人も有らし今朝の雪」この句の場合、間違って解釈することがないと思うのよ。
句郎 「今朝の雪」は、動かない。決まっているよね。そこが手本のような句だということなのかな。
華女 「馬をさえながむる雪の朝哉」。この句の場合は、大雪だということが何も書いていないにもかかわらず、大雪なのよね。だから「馬でさえ、雪を眺めているのは、この雪の中に出ていくことに逡巡しているのよね。そのことを「眺むる」という言葉で表現しているのよね。この馬でさえもがと、いうことなのよね。
句郎 句として見た場合は、「馬をさえ」の方が表現されている世界が深く大きいようにも感じる。
華女 芭蕉の気持ちの襞に触れているということなのかもしれないわ。
句郎 そういうことなのかな。箱根を越していく旅人への思いに比べて「馬をさえ」の句の場合は自分の気持ちと馬の気持ちの一体感のようなものが詠まれていると言うことかな。
華女 そんな風にも言えるとは思うわ。
句郎 「箱根こす」は軽く、「馬をさえ」は重い。