蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」。「聴閑」と前詞を置き、また「くさの戸ぼそに住わびて、あき風のかなしげなるゆふぐれ、友達のかたへいひつかはし侍る」と書き詠んでいる。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 「聴閑」、風流人の言葉なのね。「閑(しずか)さ」を聴くと、いうことよね。蓑虫は鳴かないわよ。
句郎 閑さを楽しみましょう。このように友人たちを誘った。酒を楽しんだんじゃないのかな。
華女 「虫は、すずむし。ひぐらし。てふ。松虫。はたおり。われから。ひをむし。蛍。みのむし、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれもおそろしき心あらんとて、親のあやしききぬを着せて、「いま秋風吹かむをりぞ來んとする。まてよ」といひおきて、にげていにけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちとよ」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり」。清少納言「枕草子」、第四十三段、「みのむし」を芭蕉は知っていたのよね。秋の季語「みのむし」には「鬼の子、鬼の捨て子、父乞虫(ちちこうむし)、みなし子、親無子」のような意味があるのよ。だから「ちちよ、ちちよ」と鳴くと思い込んでいたのよね。当時の人は「チ、チ、チ、と鳴いているのを「ちちよ、ちちよ」と感じたんじゃないのかしらね。
句郎 その小さな鳴き声を聴くことはまさに閑さを楽しむことだった。
華女 蓑虫が鳴くはずないでしょ。だから他の虫の鳴き声を蓑虫の鳴き声だと誤解していたのよ。
句郎 閑さを慈しむ。この気持ちを芭蕉は詠ったんだろうな。それでこそ芭蕉なんだよ。江戸の街が賑やかになってきていたんだ。元禄時代の前夜だからね。貞享四年はね。貞享五年が同時に元禄元年だからね。
華女 江戸時代の全盛期なのよね。それは同時に五代将軍綱吉の時代だったんでしょ。
句郎 お犬様の時代だからね。全盛期は同時に衰退の始まりだった。現代でも一九九〇年代の前半期だったかな。凄いバブルがあったでしょ。ディスコ「ジュリアナ東京」で踊り狂った若い男や女がいたてょ。地価がうなぎのぼりなって大変なお金が動き回った。バブル紳士が夜の街を闊歩したそんな時代があったでしょ。
華女 なんとなく賑やかで消費文化が華やかだったという印象ね。ジュリアナ東京のお立ち台というのかしら、ボディコンの女性が大きな羽の団扇を持って踊る姿が瞼に浮ぶわ。
句郎 綱吉の時代も商業流通が栄え、町人の経済力が大きくなった時代だったからね。芭蕉が生きた時代は町人の経済力が大きくなっていく時代だった。商人たちが金儲けに活躍した時代だった。
華女 芭蕉はそうした時代の風潮に乗ることなく静かに深川に隠棲したわけなのね。
句郎 経済の隆盛に伴って点取り俳諧が盛んになっていく中で芭蕉は「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」と詠んだ。
華女 高得点を競うのではなく、静かに蓑虫の音を楽しむ会を催しましょうと友人、弟子たちに呼びかけたということね。