醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  580号  刈りかけし田 づらのつるや里の秋(芭蕉)  白井一道

2017-12-04 13:18:51 | 日記

 刈りかけし田 づらのつるや里の秋  芭蕉

句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「刈りかけし田 づらのつるや里の秋」。鹿島紀行に載せてある句である。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 農民の稲刈りを句に詠んだところに新しさがあったのかしら。
句郎 確かにそれまでは農民の稲刈る姿が句になるとは、誰もが考えていなかったのかもしれないな。
華女 稲刈りを始めた田に鶴が舞い降りてきて田螺や泥鰌をあさり始めた鶴を詠んでいるのよね。
句郎 農民が働く姿を描いたフランスのバビルゾン派の農民画にある視線を感じるよね。
華女 ミレーの「種まく人」
 のような作品ね。
句郎 そうだよね。国木田独歩が雑木林の美しさを発見し、小説『武蔵野』を書いたように芭蕉は農民の稲刈る姿に美しさを発見したんじゃないのかな。
華女 芭蕉以前の歌人たちは農民が働く姿などには目もくれなかったのね。
句郎 そうだったんじゃないのかな。稲刈りと鶴の取り合わせに一幅の絵を見つけたんだと思う。
華女 農民出身だった芭蕉だからこそ、そこに目を向けることができたのかしら。
句郎 農民の出自だからこそ、農民から目を背けたい気持ちが普通はあるのじゃないかと思うんだ。しかし芭蕉は自分の出自を隠そうとはしなかった。いや身分制社会なればこそ隠すことはできなかった。自分の身分をそのまま受け入れた。受け入れざろうえなかった。農民は武士と同じ髪型、服装をすることが許されなかったからね。
華女 自分から離れた農民の姿を芭蕉は客観的に写生したのね。
句郎 そうだと思う。自分の姿を客観化した。客観化されたもう一人の自分がいたからこそ稲刈る農民と餌を探る鶴を詠むことができたんだろうね。
華女 新しい風景の発見がこの句にはあるということなのね。
句郎 時代が進み、江戸時代後半の時代になると稲刈りを「勿体なや昼寝して聞く田植唄」と一茶は詠んでいる。
華女 芭蕉が生きた時代は一七世紀後半の時代よね。一茶は一八世紀後半から一九世紀前半に生きた人だったかしら。
句郎 一茶は一七六三年に生まれ一八二八年に亡くなっている。
華女 芭蕉よりおよそ百二十年後の人ね。一茶もまた芭蕉と同じ農民出身よね。
句郎 一茶は本格的な出稼ぎ農民だった。信州の山奥、北国街道沿いの村から十三、四歳のころ、江戸に口減らしのため奉公に出された農民の子だった。芭蕉は農民は農民でも武家奉公人だったようだが、一茶は町人の家の奉公人だった。町家の奉公人の哀しみ、辛さを嘗め尽くしたのが一茶だった。
華女 芭蕉とは違うのね。
句郎 そう。一茶は田植えの身体的辛さ、腰の痛みを知っていた。だから「昼寝して田植え唄」を聞いていたんじゃ、申し訳なくて申し訳なくてもったいないと詠んでいる。
華女 一茶は田植えの風景を詠んでいるのではないのね。田植えの作業への思い入れがあるのね。
句郎 単なる写生を超えた句になっているんだ。写生を超えたリアリズムが表現されている。