醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  594号  冬の日や馬上に凍る影法師(芭蕉)  白井一道 

2017-12-17 14:44:45 | 日記

 冬の日や馬上に凍る影法師  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「冬の日や馬上に凍る影法師」。紀行文『笈の小文』に「あまつ縄手、田の中に細道ありて、海より吹上る風いと寒き所也」と書きこの句を載せている。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 「あまつ縄手」とは、何なのかしらね。
句郎 『芭蕉紀行文集』「笈の小文」にある注釈によると渥美半島西岸、風を受け寒い田舎道とある。
華女 「田の中の細道」畦道に固有名詞が付いているのね。
句郎 そうなんじゃないかな。
華女 芭蕉は冬の薄日を受けた自分の影法師が氷っていると詠んでいるのよね。
句郎、氷った自分の影法師だと詠んでいるんだと思うけど。
華女 『野ざらし紀行』だったかしらね。「水とりや氷の僧の沓の音」という句があったでしょ。この句を思い出すわ。
句郎 奈良東大寺の「お水取り」の儀式に参列した際に詠んだ句だったんだよね。
華女 「氷の僧」だから、冬の句なのかなと思った早春の句だったのよね。
句郎 そう、「お水取り」は早春の儀式だからね。
華女 「冬の日や馬上に凍る影法師」は、間違いなく冬の句よね。冬の本意が表現された句なのよね。
句郎 そうなんだと思う。「馬上に凍る影法師」には熱い思いが籠っていると言うことを表現したのではないかと思うな。
華女 「お水取り」は新春の水を汲むということなのよね。だから命の蘇り、春の到来を喜ぶ儀式なのよね。だから関西では、「お水取り」が終わると春が来るといわれているのよね。
句郎 「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」という世間で使われている言葉そのものが句になっているくらいだからね。
華女 子規は母の言葉をそのまま句にしたのよね。
句郎 「お水取り」は二月だから寒い最中の儀式だからね。確かに寒いよね。その厳しい寒さが春を待つ強い気持ちを生んでいるんだろうね。
華女 「冬の日や馬上に凍る影法師」。この句の場合はどうなのかしら。
句郎 杜国への熱い思いがふつふつと燃立っていたんじゃないのかな。
華女 寒さに耐える熱い思いなのかしらね。
句郎 杜国に会いたいという強い強い思いがこの句には籠っているんじゃないのかな。
華女 だからなのかしら。芭蕉と杜国は男色関係にあったのではないかといわれている理由なのかもしれないわ。
句郎 引き締まり、無駄な言葉がなにもない。名詞を中心にした表現が最も俳句的な表現だと言われる理由に納得するような句なのかもしれないな。
華女 そうね。「冬の日」を切る「や」が効いているわね。「馬上」「影法師」を結ぶ「凍る」という言葉が結び付け、一つの世界を作っているわ。
句郎 馬に乗った芭蕉の姿が瞼に浮ぶよね。
華女 今突然「生きながら一つに氷る海鼠かな」という句を思い出したわ。即興の嘱目吟のように理解しているんだけど、それでいいのかしらね。
句郎 この句も鮮明なイメージを読者に結ばせる句のように思うね。
華女 将に冬の句ね。