いもの葉や月待里の焼(やけ)ばたけ 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「いもの葉や月待里の焼(やけ)ばたけ」。鹿島紀行に載せてある句である。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 「やきばたけ」ではなく、「やけばたけ」なのね。違いがあるのかしら。
句郎 雨が降らずに日に焼けた畑の場合が「やけばたけ」なのかな。しかし鹿島紀行では雨に降られたようだからね。焼け畑ではなく、焼き畑のことなんじゃないのか。
華女 当時は「焼き畑」のことを「やけばたけ」と言っていたかしらね。
句郎 そうなのかもしれないな。この句は月見を詠んでいる句ではないんだよね。芭蕉たちは鹿島の月見が目的で行ったんだが、雨に降られてしまった。その結果、月の出を待つ間の芋の葉に美を発見したということなんじゃないのかな。
華女 焼き畑というのはとても原始的な農法だと中学の頃、教わらなかった? 江戸時代の全盛期を迎えようとしていた時代にまだ焼き畑が行われていたのかしら。
句郎 四国では現代にあっても焼き畑が行われていると聞くよ。だから実際行われていたんじゃないのかな。
華女 それは山間部で行われているんでしょ。鹿島あたりは丘陵地帯なんじゃないの。そんな地域でも焼き畑が行われていたのかしらね。
句郎 そうだよね。分からないな。でも連作障害を避けるために数年に一度という割合で焼き畑が行われていたのかもしれないな。
華女 大きな里芋の葉っぱだったんじゃないのかしら。あまりにも大きな葉だったから芭蕉はその芋の葉を詠みたくなったんじゃないのかな、なんて思ったりしているのよ。
句郎 雲で覆われた月がいつ出て来るのか、今か、いまかと、待っているといやでも焼き畑に茂った芋の葉が目に入って来る。こんな暗い夜、芋の葉を眺める時間もいいもんじゃないかと、芭蕉は自分自身に言い聞かせていたのかもしれないな。
華女 『野ざらし紀行』に載せてある句だったかしら、富士山が霧に覆われ見えなかったという句があったわよね。
句郎 「雰しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き」かな。
華女 そうよ。富士山が見えるところに来ていながら見ることができない。心の中に富士山を描いてみるのも面白いじゃないかということなのよね。
句郎 鹿島の月見に来ていながら、月見ができない。これも面白いじゃないかということなのかな。
華女 月見に匹敵する芋の葉を愛でることができたということなのよ。
句郎 芋の葉には大きな印象を与える特徴があるように思うな。なにしろ露が芋の葉の上をコロコロ転がるからね。子供の心に強烈な印象を残すものだと思うな。
華女 そうよね。私も芋の葉を手に取り、露を転がして遊んだ経験があるわ。
句郎 焼き畑に植えられた芋の葉がいいんじゃないのかな。焼き残りの木が見えているような気もするしね。
華女 雲に隠された月が座敷にいる人々にいろいろなことを想像させるのよ。そのような時間を読者に想像させているのがこの句なんじゃないまかしらね。
句郎 そうなのかもね。