雪や砂馬より落ちよ酒の酔 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「雪や砂馬より落ちよ酒の酔」。「伊羅古に行く道、越人酔うて馬に乗る」と前詞を書き、この句を詠んでいる。紀行文『笈の小文』には載せられていない。載せるほどの句ではないと芭蕉は考えて載せていないのか、どうかは分からない。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 芭蕉は越人を笑っているのよね。弟子を笑っている句など、載せられないと芭蕉は思ったんじゃないのかしらね。
句郎 そうなのかもしれないな。
華女 伊良湖岬と言ったら渥美半島の先端よね。そこに杜国が蟄居しているというのでそこを真冬に訪ねて行っているのよね。
句郎 古い地図に「江比間」を「酔馬」と書き、「えひま」という村があった。この地名に刺激を受けた芭蕉は酒を飲み、うっつらうっつらして馬に乗っている越人を見て即興で詠んだ句がこの句なのではないかという解釈があるみたい。
華女 馬から落ち、雪や砂にまみれた越人の姿を想像し一人微笑んたという句だというのね。
句郎、俳人、下里蝶羅の『合歓のいびき』という俳諧紀行には「雪や砂馬より落ちて酒の酔」とあるようだ。「馬より落ちよ」ではなく、「馬より落ちて」になっている。
華女 「落ちよ」と「落ちて」では、大きな違いがあるわね。
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』の注釈には学海の『伊羅古紀行』「ひとかさ高き所は卯波江坂とて、むかし越人、翁にしたがひ、酔うて馬にのられし時、
雪や砂馬より落ちて酒の酔、と翁の口ずさみ給ふとなん」とある。
華女 もしかして、本当に越人は酒を飲み、馬に乗って行くうち、眠ってしまい、馬から落ちてしまったのかもしれないわね。
句郎 芭蕉も越人は「雪や砂馬より落ちて酒の酔」と口ずさんだのかもしれないが、「馬より落ちて」では句にならないと芭蕉は思ったんじゃないのかな。
華女 私もそう思うわ。「馬より落ちよ」じゃなくちゃ、俳諧の笑いにはならないわ。「馬より落ちて」の笑いは人の不幸を笑う下品なものよ。
句郎 酒を飲み、馬に乗り、落っこちそうになりながらも落ちないねぇー。これでなくちゃね。
華女 そうよ。それでこそ、笑いなのよ。人を貶める笑いは良くないわ。
句郎 そうだよね。人を貶め、突き放す笑いは人を打ちのめす笑いだよね。
華女 そうよ。弱者を笑いものにするのは、卑怯なことだと思うわ。
句郎 弱者が強者を笑いものにするのが俳諧の笑いなのかもしれないからね。
華女 落語の笑いはそのような笑いなんじゃないのかしらね。庶民の笑いというものはそのような笑いなんじゃないのかしらね。
句郎 「づぶ濡れの大名を見る炬燵かな」という一茶の句があるでしょ。参勤交代の大名行列を家の奥の炬燵の中から眺めている。ここに江戸庶民の心意気があるよね。威張りぬく武士を農民の一茶は笑っている。
華女 弱者は弱者を笑っちゃいけないのよね。
句郎 その笑いは弱者を殺す笑いかな。そのような笑いは俳諧の笑いにはならないな。俳諧の笑いはもっと上品なものだから。