醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  592号  寒けれど二人寐る夜ぞ頼もしき(芭蕉)  白井一道  

2017-12-15 08:34:00 | 日記

 寒けれど二人寐る夜ぞ頼もしき  芭蕉



句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「寒けれど二人寐る夜ぞ頼もしき」。紀行文『笈の小文』に「三川の國保美といふ處に、杜國がしのびて有けるをとぶらはむと、まづ越人に消息して鳴海より跡ざまに二十五里尋かへりて、其夜吉田に泊る」と書きこの句を載せている。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 「三川」は、「三河」じゃないの?
句郎 芭蕉の誤字かな。
華女 「杜國」とは、芭蕉の弟子なの。
句郎 名古屋蕉門の有力者の一人でね。芭蕉が特に目を掛けた門人だったようだ。眉目秀麗な若者だったと言われている。『悪人芭蕉』を書いた嵐山光三郎氏は芭蕉の男色の相手だったと述べている。もともと富裕な米穀商であったが、倉に実物がないのにいかにも有るように見せかけて米を売買する空米売買の詐欺罪(延べ取引きといった)に問われ、貞亨2年8月19日領国追放の身となり畠村(現愛知県渥美郡 田原市福江町)に流刑となり、以後晩年まで三河の国保美(ほび、渥美半島南端)に隠棲させられた。もっとも監視もない流刑の身のこと、南彦左衛門、俳号野人または野仁と称して芭蕉とともに『笈の小文』の旅を続けたりもしていた。
華女 芭蕉は男色だったの。
句郎、真偽のほどは分からないけれども゜あり得た話のようだよ。
華女 江戸時代にも男色があったのね。
句郎 いつの時代にも男色はあったんじゃないのかな。
華女 どうしてそんなことが言えるのかしら。
句郎 当時は身分制社会だったからね。当然男女差別には厳しいものがあった。身分的に優遇された男が差別されている女に興味や関心を抱くことは少なかったんじゃないのかな。
華女 男女間の恋愛というはなかったのかしら?
句郎 プラトニック・ラブという言葉があるでしょ。このことを述べている古代ギリシアの哲学者プラトンの著作「饗宴」で述べている精神的な愛は男色のことなんだ。私は高校生の頃『饗宴』を読みビックリしたことを覚えている。恥ずかしくて誰にも話せかなった。
華女 男女間の差別が無くなって来るに従って男女の恋愛が生まれてきたのかしら。
句郎 そうだと思うよ。シェイクスピアに『真夏の夜の夢』という戯曲があるじゃない。あの芝居を見てびっくりしたよ。男は惚れ薬を飲まなければ女に恋をすることはなかったんだということを知ったよ。
華女 女には悲しい歴史があるのね。
句郎 「女性史」という学問分野があるくらいだからね。
華女 確かに「歴史」と言えば男性史なのよね。英語で「マン」と言えば「男」を意味するようにね。
句郎 芭蕉は男色だったんだろうか。ということから横道にそれてしまった。
 「寒けれど二人寐る夜ぞ頼もしき」この句に詠まれている二人とは、芭蕉と杜国ではなく、越人と布団を並べて寝たということだと思う。
華女 ちょっと意味深な表現よね。
句郎 芭蕉が生きた17世紀後半の江戸時代の社会での恋愛は遊郭にあったみたいだからね。