醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  581号  賤(しづ)の子やいねすりかけて月をみる(芭蕉)  白井一道

2017-12-05 12:28:34 | 日記

 賤(しづ)の子やいねすりかけて月をみる  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「賤(しづ)の子やいねすりかけて月をみる」。鹿島紀行に載せてある句である。貞享四年、芭蕉四四歳。
華女 「賤(しづ)の子」とは、何なのかしら。
句郎 の子という意味なんじゃないのかな。
華女 とは、何なの。
句郎 江戸時代は身分制社会だったからね。天皇、華族、武士、農民、工作人、商人、、などの身分差別があった。天皇、華族、武士が支配階級、農工商、が被支配階級だった。
華女 支配階級とは、どんな人々を言うのかしら。
句郎 支配するというのは、自分の意思を相手に強制できるということかな。だから被支配階級とは、支配階級の人々の意思を尊重し、強制されることに無条件で受け入れなければならないということなのかな。
華女 対等な人間関係ではないということなのね。
句郎 そうだね。被支配階級の中に更に差別の仕組みがあった。それが被差別民の、だった。
華女 身分差別のあった江戸時代って、いやな社会だったのね。
句郎 自分の隣にいる他人が自分と同じ人間なんだと思えるようになるまで長い年月がかかったんだ。だってそうなんじゃないかと思うよ。隣にいる人が自分とは全然違う言葉を話していたらその人が自分と同じ人間だとは思えなかった。自分とは違う言葉を話す人も自分と同じ人間なんだということに気付くまで人間は長い時間がかかったようだ。
華女 確かにそう思うわ。女の人が自分とは全く違うお化粧をしていたら自分とは違う人間なんだと思ってしまうかもしれないわ。
句郎 だから江戸時代は身分によって゜髪型、服装、立居振舞、言葉が身分によって異なっていたようだからね。当時は、一目見て、言葉を聞けば相手の身分が分かったようだ。
華女 人間関係が一目瞭然になっている社会だったのね。被支配階級の人たちは支配階級の人たちに対して自分の意思を表明し、行動することができなかったわけなのよね。江戸時代の農民や被差別民の人々は奴隷的な人々みたいね。
句郎 まったくそうなんだ。だから武士にとって農民は人間じゃなかった。武士が農民を殺しても罪になることはなかったが、農民が武士を殺すようなことがあったら大変な罪になった。
華女 そのような身分社会にあって、芭蕉が「賎(しづ)の子やいねすりかけて月をみる」と句を詠んだことは凄いことね。
句郎 凄いことだよね。被差別民の子が雇われた農家で稲摺りの合間に手を休め、月をうっとりと眺め、心の癒しを求めている姿に芭蕉は美を発見したんだろうね。
華女 辛い仕事を強制されている少年が月を見て癒されているのよね。ここにこそ月を愛でる心があると芭蕉は感じたと言うことなのよね。
句郎 辛い仕事を強制され、そこから逃れられない経験をしたものでなければ分からないような気持を芭蕉は分かったんだろうね。奉公するということの辛さを芭蕉もまた経験していたからだろう。最底辺に生きる人間の喜びと悲しみの中に人間の真実を芭蕉は発見した。