さればこそ荒れたきままの霜の宿 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』より「さればこそ荒れたきままの霜の宿」。「人のいほりをたづねて」と前書きして、この句を詠んでいる。貞享4年、芭蕉44歳。
華女 伊良湖崎に蟄居させられていた杜国の庵を芭蕉が訪ねた時の句なのかしら。
句郎 そうだと思う。『芭蕉俳句集』には「逢杜國」と前詞を置いて「さればこそ逢ひたきままの霜の宿」とも詠んでいる。
華女 句としては「さればこそ荒れたきままの霜の宿」の方がいいと思うわ。
句郎 中七の「荒れたきままの」に力が入っているのかなと感じるよね。
華女 「荒れたるままの」じゃ、だめなのよね。
句郎、放ったままにされているということを言いたかったのじゃないかな。
華女 そうよ。蟄居という冤罪を表現したかったのかもしれないわ。
句郎 確かに杜国は空売りのようなことはしていなかったようだからね。無実の罪を背負わせられ、その罪を受け入れている杜国の気持ちを表現したかったんだろうと想像したいね。
華女 「荒れたる」と「荒れたき」では、一字しか違わないけれども意味は大きく違ってくるのよね。
句郎 杜国は心も荒んでいるのかと芭蕉は心配していたんだと思うけれども実際は違っていたみたいだ。芭蕉は「杜国が不幸を伊良古崎にたづねて、鷹のこゑを折ふし聞て」と前詞を置き「夢よりも現(うつつ)の鷹ぞ頼もしき」と詠んでいるからね。
華女 杜国は元気にしていたのよね。芭蕉は安心したんだと思うわ。「案ずるより産むが易し」ということよね。
句郎 この句は「むばたまの闇のうつつは定かなる夢にいくらもまさらざりけり」というよみびと知らずの歌が『古今集』にあるそうなんだ。その歌を芭蕉は知っていたのかもしれないな。
華女 その歌にた対して芭蕉は「現(うつつ)の鷹ぞ頼もしき」と詠んだのね。
句郎 「荒れにけりあはれ幾世の宿なれや住みけむひとのおとづれもせぬ」という『伊勢物語』にある歌を芭蕉は知っていて「さればこそ荒れたきままの霜の宿」と句に詠んだのかもしれないな。
華女 芭蕉は杜国の庵を見て涙を流したのね。
句郎 芭蕉は杜国が蟄居させられている村を句に詠んでいる。「麦生えてよき隠れ家や畑村」とね。この句は、僧正遍照が詠んだ歌「里はあれて人はふりにし家なれや庭も籬も秋の野らなる」を下敷きにしてを詠んだのかもしれない。
華女 芭蕉は僧正遍照が詠んだ歌のような村なんだろうなと思って訪ねてみるとそうではなかったと、いうことなのよね。
句郎 実際はどうだったのか、分からないけれども、藩の役人の目が届かない場所だったのかもしれないから、思うほど酷い場所ではなかったのかもしれない。
華女 伊良湖崎で再会を果たした芭蕉は杜国と一緒に奈良の方に旅立っているのよね。そんなことを考えると蟄居といっても管理は行き届いていなかったのね。
句郎 杜国を訪ね、芭蕉が詠んだ句は我々現代に生きる人間に対していろいろなことを教えてくれているように感じるね。当時の社会についてね。