面白し雪にやならん冬の雨 芭蕉
句郎 今日はまた芭蕉の句に戻り、味わってみたいんだ。岩波文庫『芭蕉俳句集』から「面白し雪にやならん冬の雨」。「鳴海、出羽守氏雲宅にて」と前詞がある。
華女 芭蕉はお武家さんとも付き合いがあったのね。
句郎 「出羽守氏雲」とあるから領主なのかなと思ってしまうが刀鍛冶の岡島佐助という人だったらしい。鳴海六歌仙の一人で俳号を自笑と言っていたようだよ。
華女 自笑さん宅で歌仙を巻いたのね。
句郎 『俳諧 千鳥掛』に載っている発句の一つがこの「面白し雪にやならん冬の雨」のようだ。
華女 誰と芭蕉は俳諧を楽しんだのかしら。
句郎、芭蕉、自笑、知足の三人で俳諧を楽しんだようだ。
華女 それぞれどのような句を詠んだのかしら。
句郎 芭蕉が「面白し雪にやならん冬の雨」と詠むと自笑が「氷をたゝく田井の大鷺」と詠み、知足が「船繋ぐ岸の三俣荻かれて」と詠み継いだ。
華女 「雪にやならん」とは、雪にはならないだろうというのではなく、雪になるだろうということなのね。
句郎 だいぶ冷え込んできたね。面白い。愉快だ。この雨はそのうち雪になるんだろうねと、亭主、自笑さんに挨拶をした句が「面白し雪にやならん冬の雨」だったようだ。
華女 田んぼには氷が張り、大鷺が氷を叩き始めていると自笑が詠み継いだのね。
句郎 日本人が天候を挨拶にするという習慣は江戸時代にすでに出来上がっていたのかもしれないな。
華女 昔、魚屋さんに行くと「寒くなりましたね」と挨拶されたことを思い出すわ。
句郎 今、買い物はスーパーだから挨拶を交わすことは無くなってしまったからね。
華女 そうよ。レジの代金を見て、お金を出し、レシートを貰い、それで買い物は終わりよ。今の買い物は流れていくのよ。そこに個人的な挨拶を交わす交流は失われているのよ。
句郎 俳諧が培った挨拶の文化は無くなってきているんだね。
華女 事務的、合理的になり、無駄な時間は無くなってきているのよ。
句郎 挨拶文化が無くなってきている今、「面白し雪にやならん冬の雨」、なんと素晴らしい挨拶の言葉なのかもしれないな。
華女 今蘇る挨拶の言葉ね。
句郎 挨拶が人間関係形成の始まりだよね。
華女 そうよ。昔、出勤し、店長に挨拶すると書類に目を落とし、見向きもしなかったから私、そのうち挨拶をしないようになったわ。机に向かって仕事をして、顔を上げると誰もいなくなっていたなんてことがよくあったわ。
句郎 出勤しても挨拶をせず、帰る時も挨拶しないで帰社していたの?
華女 そうよ。職場の人間関係は冷たいものよ。
句郎 江戸時代の平民が生きていくためには濃厚な人間関係がなくては生きていけなかった。協力し助け合いが無ければ生活が成り立たなかった。そのような豊かな人間関係が俳諧と言う文化を生んだのかもしれないな。芭蕉は伊賀上野から江戸に出稼ぎに来た農民だったからね。
華女 一茶もまた信州からの出稼ぎ人だったんわ。