被(かづ)き伏す蒲団や寒き夜やすごき 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「被(かづ)き伏す蒲団や寒き夜やすごき」。芭蕉45歳の時の句。「李下が妻のみまかりしをいたみて」との前詞がある。このとき去来は、「寝られずやかたへ冷えゆく北おろし」。『曠野』と詠んでいる。
華女 「被(かづ)き伏す」とは、どういうことを言うのかしら。
句郎 蒲団を頭からかぶってと、いう意味だ思う。
華女 芭蕉の弟子、李下は芭蕉庵に芭蕉を贈ったことで有名な弟子よね。
句郎 バナナの木のような芭蕉は、当時珍しい植物だったんだろうね。
華女 芭蕉布が有名よね。南国の植物、沖縄や奄美群島の特産品だったんじゃないの。
句郎 江戸深川じゃ、根付かない植物だったんだろうな。
華女 この句、変な句ね。「蒲団や」、「夜や」と、「や」が二度出て来る句になっているわ。私がこのような句を詠んだら、厳しい言葉を方々から受けそうだわ。
句郎 三句切れの句になっているようだ。「被(かづ)き伏す蒲団や」、「寒き夜や」、「すごき」とたたみかけているんだろうとおもうけどね。将棋の言葉に「名人に定跡なし」とあるから俳句名人にきまり無しなのかもしれない。
華女 李下の悲しみぶりがあまりにも凄まじかったので芭蕉も悲嘆にくれてしまったということなのかしらね。
句郎 芭蕉の名句の一つに三句切れの有名な句がある。「から鮭も空也の痩も寒の内」゜芭蕉は「数日はらわたをしぼって」この句を詠んだと弟子が述べている。
華女 「から鮭も」の句は、「寒」というものが空也の痩せとから鮭から表現されているように思うわ。
句郎 だから「被(かづ)き伏す蒲団」と「寒き夜」とが「すごき」ことだと芭蕉は詠んでいるんじゃないのかな。
華女 「すごき」とは、名詞には違いないとは思うけれども、具体的なものじゃないのよね。そこが私には不満なのかな。
句郎 「から鮭」の句には及ばないということなのかな。
華女 私ごときものが言うのは憚れるけれど、感じたことを率直に言うとこういうことね。
句郎 この句は追悼句であることには違いないが、亡くなった人への追悼ではなく、妻を亡くした李下への悲しみを悼む句のようになっているように思うな。
華女 そうなのかもしれないわ。現代の人から見ると名句だと感じる人は少ないようにも感じるわ。芭蕉の句だからということで受け入れてしまうという句なのかもしれないわ。
句郎 今のどこかの句会に投稿した句だとしたらいろいろ指摘されそうなところがあるようにも感じるよね。「蒲団」は今じゃ、冬の季語でしょ。「寒き」も冬の季語だと思うからね。季重なりとして問題になりそうな気もするしね。でもこのような句の在り方を芭蕉は探っていたということが言えるようにも思うな。
華女 そうなのかもしれないわ。芭蕉はなにしろ俳句を和歌から分離独立させた功労者ですから。いろいろ工夫をこらし、和歌と俳諧の発句とは違うということを世間にしら示す必要があったのよね。