醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  690号  二人見し雪は今年も降りけるか(芭蕉)  白井一道

2018-04-04 14:51:55 | 日記


  二人見し雪は今年も降りけるか  芭蕉



句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「二人見し雪は今年も降りけるか」。芭蕉45歳の時の句。『庭竈(にわかまど)集』「越人におくる。
尾張の十蔵、越人と号す。越路(こしじ)の人なればなり。粟飯(ぞくはん)・柴薪(さいしん)のたよりに市中に隠れ、二日勤めて二日遊び、三日勤めて三日遊ぶ。性酒(せいさけ)を好み、酔和(すいわ)する時は平家を謡ふ。これ我が友なり」との前詞を書き送っている。このとき越人は、「胸のしのぶも枯れよ草の戸」と脇句を付けている。
華女 「粟飯」とは、粟のご飯ということよね。「柴薪」とは、燃料でいいのよね。
句郎 「市中に隠れ」とは、悟りを得たものは山中にではなく、街中に住むということのようだ。
華女 越人とは、越後出身の人なのよね。
句郎 越前、越中、越後とがあり。越後のことを北越という。当時は北越だから、越人は北越の人だった。後に名古屋に出て、染物屋を営んでいた。芭蕉は『笈の小文』の旅で名古屋の越人を訪ね、真冬の三河国保美に蟄居している杜国を芭蕉は越人と共に訪ねている。渥美半島先端の村、雪の保美に訪れている。この時、芭蕉は「寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき」と詠んでいる。このことを思い出し芭蕉は「「二人見し雪は今年も降りけるか」と詠んだ。
華女 その時よね。「冬の日や馬上に氷る影法師」と詠んだのは。
句郎 「冬の日や馬上に氷る影法師」。名句だよね。
華女 「水取や氷の僧の沓の音」。この句に匹敵する句よね。
句郎 俳句は名詞の詩。作者の認識が詩になっているということなのかな。
華女 「二人見し雪は今年も降りけるか」。この句は少し力のない句なのかもしれないわ。
句郎 芭蕉は自分と繋がりを持った人を大事にした人だったんじゃないのかな。身の回りの人を大事にすることによって自分の生活が成り立つことを自ずから悟っていた人なんじゃないのかな。
華女 今だって俳人として、生活が成り立っている人はほとんどいないのじゃないのかしら。皆、それぞれ本業を持っていて俳句をしている人が大半なんじゃないりかしら。
句郎 元禄時代、俳諧師として生活が成り立っていた人なんて一人もいなかったのじゃないのかとおもうな。
華女 だから芭蕉隠密説が根強くあるのね。
句郎 そうなんじゃないのかな。俳句はその地方ごとの豊かさや名産品を知る有力な情報源だったんだろうからな。
華女 各地方の情報をもたらし、徳川幕府からなにがしかの金銭的援助をしてもらったことはあったんじゃないのかしら。
句郎 染物屋や川魚屋、僧侶、武士との交流のあった芭蕉には日本各地の情報が集まっただろうからね。
華女 気象だって、封建社会にあっては、秘密事項だったって言うじゃない。だから「二人見し雪は今年もふりけるか」という句も三河国にとっては、秘密事項だったのかもしれないわ。
句郎 江戸時代の社会にあっては、自由というものは何もない社会だったからね。