醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  692号  旅寝して我が句を知れや秋の風(芭蕉)  白井一道

2018-04-06 16:03:25 | 日記


 旅寝して我が句を知れや秋の風  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「旅寝して我が句を知れや秋の風」。貞享年間。「この一巻は必ず記行の式にもあらず、ただ山橋野店の風景、一念一動を記すのみ。ここに中川氏濁子、丹青をしてその形容を補はしむ。他見恥づべきものなり」との前詞がある。
華女 この前詞は何を言っているのかしら。
句郎 この言葉は『野ざらし紀行絵巻』巻末の言葉のようだ。「この一巻」とは、『野ざらし紀行』を言っている。『野ざらし紀行』は、紀行文になっていない。ただ「山橋野店の風景」に「一念一動」したことを記しただけのことだ。大垣藩士の中川氏に色付けをして形を整えていただけたらと。他人(ひと)に見せられたら恥ずかしいものだと、芭蕉は述べている。
華女 「秋の風」を知ることができるのは旅に出なければ、知ることはできませんよと言っているのよね。
句郎 いや、私は旅に出て初めて秋の風がいかなるものかを知ることができましたと言っているのだと思う。
華女 あっ、そうなのかもしれないわ。秋の風に吹かれて歩いて初めて分かるものがあるということなのよね。
句郎 「おしなべて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風」『新古今集』と西行は詠んでいる。秋の風に吹かれて初めて感じるものがあるに違いないと詠んだ西行に芭蕉は共感を持ったのじゃないのかな。
華女 『おくのほそ道』に歌枕「室の八島」を訪ねる件があるじゃない。都の人は実際、栃木県にある「室の八島」を訪ねて詠んでいるわけじゃないんでょ。藤原俊成の詠んだ歌「いかにせん室の八島に宿もがな恋の煙を空にまがへん」があるわ。俊成は本当に栃木県大神神社にある煙の名所「室の八島」を訪ねて詠んでいるわけじゃないのよね。
句郎 旅に生きた西行は実際に訪れた所で感じたことを詠んでいるんだろうね。だから芭蕉は西行を師として慕っていたのかもしれないな。
華女 旅をした場所に立って句を詠む。ここには正岡子規が唱えた「写生」の思想が芭蕉にはすでにあったということなのかしら。
句郎 都の歌人が地方の歌枕を想像し、詠んだ歌は観念的なものに違いないだろうからね。
華女 そうよ。芭蕉にはすでに近代的な文学思想が芽生えていたんだと思うわ。
句郎 長谷川櫂氏は芭蕉を日本のシェイクスピアに譬えているが、ヨーロッパルネサンスの思想を芭蕉の中に長谷川櫂氏は見ているのかもしれないな。
華女 中世の観念的類型的な表現をリアルに表現するというのがルネサンス芸術の特徴よね。
句郎 リアルに表現するということは、実際の物を見る。ジィっと見る。認識したものを具体的に表現するということがリアルに表現すると言うことなんだと思う。
華女 子規も虚子も芭蕉を超えていないという話を聞いた事があるわ。子規や虚子がしたことをすでに三百年前に芭蕉がしてしまっていたということを言っていたのかもしれないわ。
句郎 へぇー、そんなことを言っている人がいるの。