消炭に薪割る音かをのの奥 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「消炭に薪割る音かをのの奥」。貞享年間。脚注を見ると「寒を侘る茅舎の三句」中の一句とある。
華女 茅舎とは、深川芭蕉庵のことでいいのかしら。
句郎 そうなんじゃないのかな。
華女 「寒を侘る三句」とは、何なの。「冬月江上に居を移して寒を侘ぶる茅舍の三句、其の一」として「草の戸に茶を木の葉かくあらし哉」をあげている。
華女 二句目が「消炭に」の句なのね。
句郎「草の戸に」の上五を後に芭蕉は「柴の戸に」へと推敲し「九年の春秋、市中に住み侘びて、居を深川のほとりに移す。「長安は古来名利の地、空手にして金なきものは行路難し」と言ひけむ人の賢く覚えはべるは、この身の乏しきゆゑにや」と前詞を書いている。
華女 三句目はどんな句なのかしら。
句郎 「艪の声波を打って腸凍る夜や涙」。「深川三股のほとりに草庵を侘びて、遠くは士峰の雪を望み、近くは万里の船を浮
ぶ。朝ぼらけ漕ぎ行く船のあとの白浪に、あしの枯葉の夢と吹く風もやや暮れ過ぐるほど、月に坐しては空しき樽をかこち、枕によりては薄きふすまを愁ふ」と前詞を書いている。
華女 深川芭蕉庵の冬は寒かったのね。この句は七・十・五になっているわ。ものすごい字余りの句よね。
句郎 この夜の寒さを表現するには五七五では表現しきれなかったんじゃないのかな。
華女 大の男が寒さに震え涙をこぼしているのよね。
句郎 それでも乏しさと寒さとを楽しんでいる余裕がどこかにあるんじゃないのかな。
華女 男一人、俳諧への熱い情熱があったんでしようから。妻や子供がいなかったから生活の乏しさも寒さも楽しめたのかもしれないわ。
句郎 この句は、「消し炭に薪割る音か」の「か」が切れ字なっているんだね。
華女 消炭というと中学の頃を思い出すわ。これといった暖房器具が無かったので火鉢だけだったわ。机の横に火鉢を置き、手を暖めては鉛筆を握った覚えがあるわ。消し炭を持ってきて火を熾し、炭をつぐのよ。灰をかけては温度を調節するのよ。
句郎 消し炭を持ってきて火を熾していると薪を割る音が聞こえてきたんだろうな。その薪割る音を聞いていると小野の奥を思い出したということなんだろう。
華女 「小野の奥」とは、どこのことなのかしら。
句郎 京都では炭というと小野炭が有名だった。大原のことを昔は小野といったらしい。大原の炭焼き小屋から薪割る音が聞こえてくることを芭蕉は経験していたんじゃないのかな。
華女 大原の冬も寒いわよ。特に風が寒いのよ。隙間風よ。寒いのは。障子に目張りなんかをしたのを覚えているわ。
句郎 芭蕉はきっと江戸深川芭蕉庵の川風の寒さに京都大原、当時は小野の奥の寒さを思い出していたのかもしれないな。
華女 江戸深川沖の海から吹いてくる川風の寒さに小野の奥、炭焼き小屋から吹いてくる山おろしの風にも負けない寒さに代の男が涙を伍したのよね。
句郎 芭蕉は普通の男だ。