世の中は稲刈るころか草の庵 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「世の中は稲刈るころか草の庵」。貞享年間。「人に米をもらうて」と前詞がある。
華女 芭蕉に新米を届けてくれた門人がいたのね。
句郎 深川芭蕉庵に隠棲した芭蕉の暮らしが瞼に浮ぶ句だと思う。
華女 「めでたき人の数にも入らむ老の暮」。この句の前詞が「貰うて喰ひ、乞うて喰ひ、やをら飢ゑも死なず、年の暮れければ」だったわ。
句郎 芭蕉は人望があったんだ。人望のある人が俳諧師なのかもしれないな。
華女 きっとそうなのよ。人望のない人は俳諧師としての生活が成り立たなかったのじゃないかしら。
句郎 当時、深川あたりでは水田はなかったのではないかと思う。淡水の確保ができなかったから。
華女 一里か二里ぐらいか、分からないけど遠方から取り立てのお米をわざわざ届けてくれたということよね。
句郎 だから「世の中は稲刈るころか」ということになったんじゃないのかな。
華女 「稲刈ることか」の「か」は切字ね。
句郎 「きれ字に用いる時は四十八字皆切レ字也」と芭蕉は言ったと『去来抄』にる通りだね。
華女 深川芭蕉庵では、稲田がなかったから気づかなかったということね。新米を頂き、あぁー、もう稲刈りが始まっていたたんだと思ったということなのよね。
句郎 きっと芭蕉は古典の勉強をしていたのかもしれないな。
華女 世俗に気付いたということなのかもしれないわ。
句郎 世俗の温もりのようなものに感じ入ったことを詠んでいるのかもしれないと思うな。
華女 稲刈る仕事は腰が痛くなる。田んぼが広く広く感じる作業なのよ。辛く厳しい仕事は農民にとっては喜びでもあるのよね。家族が集い食事する喜びかあったのよ。
句郎 「稲刈るころか」という言葉には故郷、伊賀上野の稲刈りの風景が芭蕉の瞼には浮んでいたのかもしれない。
華女 草庵に閉じこもっている私は世の中から離れ離れになっているなぁーという感慨があったのよ。
句郎 「旅寝してみしやうき世の煤はらい」。この句も同じように旅に生きる者にとって「うき世の煤はらい」が眩しく見えたと言うことなんじゃないかと思う。世俗から隠棲した俳諧師の思いが詠まれている点で、「世の中は」の句と「旅寝して」の句は同じような思いを詠んでいるということかな。
華女 ごくごく平凡な生活をしている人に対する憧れのようなものが世俗から離れた人にはあったということなのよね。
句郎 いつの時代も、どこの世界にもこのようなことはあるんじゃないのかな。例えば、将棋の世界の神様のような存在、羽生永世七冠と言われている人もプロの棋士になった当時、自分は一般社会に生きる人とは違うということに悩んだというからね。
華女 孤独感ということね。
句郎 そう、孤独感なのかな。自分一人、独りで生きるしかないと言う孤独感だよね。誰にも頼ることができない孤独感かな。孤独感というものは近代社会のものだと思っていたが芭蕉にもあった。