醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  697号  留学生に俳句を紹介した  白井一道

2018-04-11 11:45:31 | 日記


  留学生に俳句を紹介


 古池(ふるいけ)や蛙(かわず)飛び込む水の音  芭蕉


 これは日本で一番短い詩の一つです。このような詩を俳句といいます。この俳句を作った人は今からおよそ三百年前の松尾芭蕉という人です。
「古池(ふるいけ)」とは、今では使われなくなった池のことです。池とは、農業用水として人間が作った水を貯めておく所です。「蛙(かわず)」とは、カエルのことです。古池やの「や」は、文法用語では間投助詞と言います。誰かに呼びかけたりする場合に使います。この俳句の場合は自分自身に作者である松尾芭蕉は呼びかけています。蛙が飛び込む水の音を芭蕉は聞きました。そのとき、私の心に古池のイメージが浮かびました、というのです。日本人はこの俳句を読むとひっそりとして静かで寂(さび)しい気持ちになります。ここに詩があると感じるのです。皆さんはこの俳句を読んで日本人と同じような気持ちになりますか。
この俳句は「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」という意味ではないのです。しかし「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」と理解している人もたくさんいます。「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句が何を言い表しているかは読む人の自由です。このように自由勝手に理解することができます。ここに俳句という詩の面白さがあるのかもしれません。ドナルド・キーンというアメリカ人は俳句の面白さに興味をもち芭蕉についての本を書いています。英語で俳句を作っているアメリカ人もたくさんいると聞いています。このように俳句はグローバル化してきているのですが、しかし日本語の俳句とは違うようです。
 俳句には季語というものがなければ俳句ではないといわれています。季語というのは、季節を表す言葉のことを言います。「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句の場合、季語は「蛙」です。蛙は気温が少しずつ暖かくなり、春になったころ鳴き始めます。秋になっても鳴いていますが、「蛙」の季語は春と決められています。なぜなら蛙の鳴き声を聞くと日本人は春になったんだと実感するからだと思います。蛙の鳴き声を聞くと日本人には春のイメージが心に湧いてくるのです。このような季節感を表す言葉が日本語にはたくさんあります。それに対して英語には季節感を表す言葉が日本語に比べてとても少ないようです。だから英語では俳句の味わいを感じることは難しいようです。
 さらにもう一つ、俳句には「切れ字」というものがあります。切れ字とは、文を切る言葉がなければ詩としての俳句にはなりません。「古池や」の「や」が切れ字です。この「や」は「古池」と「蛙飛び込む水の音」とを切っているのです。こうして二つに文を切ることによって「間」を設けるのです。この「間」によって詩になると感じるのです。英語でも文を切ることはできるので韻(いん)をふむことはできます。しかし五文字、七文字、五文字という日本語のリズム感と英語のリズム感には大きな違いがあるように思います。
 俳句が味わえるようになったら、なんと心が豊かになることでしょう。