瓶割るる夜の氷の寝覚め哉 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「瓶割るる夜の氷の寝覚め哉」。貞享年間。「寒夜」と前詞がある。
華女 江戸時代の冬、庶民にとって夜は耐えられないような寒さがあったことが分かるわね。
句郎 厳しい寒さが感覚を研ぎすましているということなのかな。
華女 「瓶割るる」と言っているところに江戸時代の庶民の生活が表現されているように感じるわ。
句郎 どうしてそんな風に感じるの。
華女 「瓶割れる」じゃ、江戸時代の庶民じゃないのよ。ガシャンという音が「瓶割れる」音よ。「瓶割るる」音はガシャよ。柔らかな音が「瓶割るる」音なのよ。徐々に少しづつ素焼きの土器の瓶が割れていく音なのよ。江戸時代の貧しい庶民が使える瓶はかわらけ(土器)の瓶だったのよ。硬い陶器の瓶が氷の膨張で割れるはずがないのよ。安い低級品の瓶だったからこそ、入れた水が凍り膨張し瓶が割れることがあったんじゃないのかしらね。
句郎 江戸深川芭蕉庵の冬の夜の出来事を詠んでいる句なんだなぁー。
華女 当時の深川芭蕉庵では、買い水をしていたんでしょ。
句郎 そうらしい。「氷苦く偃鼠(えんそ)が喉をうるほせり」という天和二年芭蕉三九歳、同じ芭蕉庵で詠んだ句がある。この句の前詞に「茅舍買水」とあるからな。
華女 深川あたりでは、井戸を掘っても真水は出てこなかったんでしょ。
句郎 そのようだ。海水のような塩水しか出てこなかったようだから。
華女 瓶に買い置いた水が凍り、瓶が割れた。どう始末したものか、困ったことになったということよね。
句郎 「瓶割るる夜の氷の」の「の」にそのような芭蕉の思いが籠っているような感じがするな。
華女 氷をどうしたものかなというような意味かしらね。「夜の氷」なのよね。だから誰かに助けを求めることもできないし、予備の瓶があるわけでもないし、瓶の代用品になるものがないだろうかと、思案するしなきゃならないわけでしょ。
句郎 そのような「寝覚め哉」ということなんでしよう、きっとね。
華女 冬の夜、瓶が割れていく音に目覚めるということは、芭蕉の眠りが浅かったのかしらね。
句郎 当時にあって四十代は、すでに初老期に入っていたのかもしれないな。若い頃と違って初老期になると幾分夜の眠りが浅くなっていくじゃない。四十代の芭蕉の体は初老期にはいっていたのか、それとも冬の寒さのために眠りが浅くなっていたのか分からないけれども、瓶割るる音に目覚めたということは事実だったんだろうな。
華女 現代の人間と違って江戸時代の庶民の人々は毎日毎日の生活が時間に追われ、のんびりした時間が持てなかったのかもしれないわ。日常生活が大変だったんじゃないのかしら。母の話を聞くと毎朝、起きると裸足で土間に下り、竈に火を入れ、ご飯を炊いたといっていたわ。前日、米を研ぎ、竃にお釜をかけておいたところに藁を入れ、ご飯を炊くのよ。ご飯を炊くだけだって大変だったみたいよ。今のように電気釜なんてなかったんだからね。