醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより   696号  我がためか鶴食み残す芹の飯(芭蕉)  白井一道

2018-04-10 11:31:56 | 日記


  我がためか鶴食み残す芹の飯  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「我がためか鶴食み残す芹の飯」。貞享年間。「石川北鯤生(いしかわほくこんせい)おとうと山店子(さんてんし)、わがつれづれ慰めんとて、芹の飯煮させてふりはへて(わざわざ)来る。金泥坊底(きんでいぼうてい)の芹にやあらんと、その世の佗も今さらに覚ゆ」と前詞がある。
華女 芭蕉は「芹の飯」をわざわざ届けてくれたことに感謝している句ね。鶴とは、美しい石川さんの奥さんのことなんじゃないのかしら。
句郎 民話「鶴の恩返し」に出て来る鶴は美貌の女性だからね。
華女 勿論、美貌ではあるんだけれど優しさなんじゃないのかしら。優しい女が美しいのよ。
句郎 届けてくれた芹の飯を見て、芭蕉は鶴のように美しく、優しい女性を想像したのかもしれないな。
華女 芭蕉には人に好かれる人だったのが分かるわ。
句郎 俳諧師という人は人から好かれる人でないと務まらない仕事だったんだろうな。芭蕉を慕って人が集まって来ないと生活が成り立たないのが俳諧師だったんじゃないのかな。
華女 春の香を食べる芹ご飯を頂き、芭蕉は放浪の旅に生きた杜甫の詩を味わっていたのね。
句郎 杜甫の詩に「飯煮青泥坊底蓴」という詩句がある。ご飯には青泥坊の堤でとれた芹がまぜて煮られていると言う意味のようだからね。
華女 芭蕉は杜甫のが好きだったのよね。
句郎 そのようだ。この句は深川草の庵、芭蕉庵での芭蕉の生活が偲ばれる句なのかな。
華女 一種の乞食の生活よね。当時の江戸庶民の人情に支えられた生活ね。
句郎 江戸の庶民の人情の中に生き、その人情の世界を詠んだのが芭蕉の俳句なんじゃないのかな。
華女 「我がためか鶴食み残す芹の飯」。この句はまさに江戸の人情俳句そのものなんじゃないのかしら。
句郎 人情によって支えられ、人情によって人を支える社会に芭蕉は生きたということだと思う。
華女 芭蕉は人情をかけられる人だったのね。
句郎 芭蕉は人情に篤い人だったんだろう。そう思う。
華女 芭蕉は農民の身分だったからこそ人情に篤い人だったのかもしれにいわ。
句郎 そうなのかもしれないな。武士の場合は人情より義理に生きる人だったろうからな。義理に縛られていては、農民や町人に対して優しく振る舞うことはできなかったろうからね。
華女 俳諧は庶民の遊びとして流行していたんでしょ。面白、可笑しい笑いの文芸は絶対的に庶民のものよ。
句郎 俳句という文芸は庶民にしか、創造できなかったということなんじゃないのかな。新しい時代を担った江戸庶民の中から新しい文芸としての俳諧が芭蕉によって創造されたということは、納得がいくように思う。確かに京や大坂には古い文芸の伝統や歌人たちがいても、それらの人々は新しい文芸を創造する力を持ち得なかった。古いものの仕来りに阻まれ、新しいものを創造する妨害になったから。芭蕉は江戸に出て俳諧を創造した。