しばらくは瀧にこもるや夏の初め 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「しばらくは瀧にこもるや夏の初め」。元禄二年。『おくのほそ道』には次のような言葉を書いている。「廿余丁山を登つて滝有。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭(へきたん)に落たり。岩窟に身をひそめ入て、滝の裏よりみれば、うらみの滝と申伝え侍る也」。
華女 元禄二年というと西暦では何年になるのかしら。
句郎 一六八九年かな。イギリスではグローリアス・レボォルーション(名誉革命)が一六八八年から一六八九年にかけてあった。イギリスではすでに市民革命があったころに芭蕉は『おくのほそ道』の旅に出ていた。
華女 日本はイギリスに比べて歴史の進み具合が後れていたのね。
句郎 それほど後れていたとは思っていないんだけどね。
華女 市民革命とは、どのような社会をどのように変えた出来事だったのかしら。
句郎 イギリスの絶対王政を廃止し、国王は「権利の章典」を受け入れた結果、法の支配が実現したということなのかな。
華女 「権利の章典」とは、憲法のようなものなのかしら。
句郎 そうなんだ。国王といえども憲法たる「権利の章典」には従わなくちゃならなくなったということかな。
華女 憲法に基づく政治をするようになったのが名誉革命ということなのね。
句郎 大日本帝国憲法が発布されたのが一八八九年だから、日本はイギリスと比べる二百年ぐらい遅れてしまったということなのかな。
華女 やっぱりそうなんじゃない。
句郎 でも元禄時代はかなり商工業が発達し、いわゆる市民階級の台頭があったのじゃないのかな。
華女 裏見の滝とは、日光にあるのよね。
句郎 現在では東武バスで東武日光駅から十五分、バスを下車して徒歩四五分ぐらいかかるようだ。
華女 細い山道を七、八分歩いて行った覚えがあるわ。凄い立派な滝だったので驚いた記憶があるわ。芭蕉は何月の頃に行ったのかしら。
句郎 『おくのほそ道』には「卯月朔日、御山に詣拝す」とあるから四月一日に日光に入り、『曾良旅日記』によると四月二日(新暦五月二十日)、天気快晴。辰の中尅(午前八時)宿を出て、一里ほど歩いて裏見の滝に行っている。
華女 いい季節に芭蕉は日光に行っているのね。
句郎 裏見の滝は高さが四五mもある滝の裏側に入った芭蕉は涼しさに癒されたことだろうな。
華女 本当にしばらくの間、滝の裏側で休んだんじゃないのかしら。
句郎 これが本当の夏安吾(げあんご)だと芭蕉は感じたんじゃないのかな。
華女 汗をかいた後の滝の涼しさに癒されたのね。
句郎 そうだろうな。日光は夏になっても蚊がいないからね。五月下旬の頃から十月ぐらいまでの日光は本当に過ごしやすいからね。
華女 夏、日光から東武電車に乗り、帰って来て浅草に下りると下界に下りてきたというような気持になるわ。
句郎 ドアが開き、ムッとした空気の中に入ると蒸し風呂に入ったような気持になるな。