次に向かったのは昨年12月に訪れた大洲市藤縄である。

慌てん坊将軍さんが発見した、この鍾馗さんがどこから来たのか解明するための再訪だ。
前にきたときは「八幡浜で瓦屋さんをやっており、名前はKさん」と聞いて、
ネットで調べればすぐに見つかる、と高をくくっていたのだが……。
(屋号でお仕事をされていると屋号がわからなければ手がかりにならない!)
今回もKさんは留守だったが、前回お話を聞いた隣家の方にKさんの連絡先を教えていただくことができた。
現地へ行ったのが日曜日で、火曜日にKさんに電話してお話をうかがったところ、
「八幡浜から三崎へ抜ける道の、トンネルを出てすぐの保内町の鼓尾だったと思う」とおっしゃっていました。
(以志橋福助さんの期待を裏切る返答でした)
両家の庭を横切って引き揚げる際、Kさんの庭に見慣れたものが置かれているのを見つけた。


どっひゃあ~ ここにもいるぅ~~。
前回はKさん宅の玄関から離れたところで隣家の方からお話を聞いたので、ここまで足を踏み入れていない。

腰を下ろして悠然と構えている姿は頼もしい。
Kさんに電話した際、この鍾馗さんの“出身地”を尋ねてみたが覚えておられませんでした。
寄せ棟造り(だけとは限らない)の大棟の両端に置かれていた片割れのようだ。
亀の甲羅のような置き台がそれを物語っており、1対(2体)であげられていたのだと思う。

明浜町の鍾馗さんは上の写真のように置かれている=2010年11月6日撮影。
普通の人なら用件は一度で終わらせてしまうのだが、
私は要領が悪く、あとで「しまった! あれも聞いておけばよかった」ということがたびたびある。
今回はこの“アホさ”が、愛媛県内で11体目の鍾馗さん発見につながり、
そして、ここからの帰り道、更なる幸運(12体目発見)が舞い込んできたのである。
=2011年2月6日撮影

慌てん坊将軍さんが発見した、この鍾馗さんがどこから来たのか解明するための再訪だ。
前にきたときは「八幡浜で瓦屋さんをやっており、名前はKさん」と聞いて、
ネットで調べればすぐに見つかる、と高をくくっていたのだが……。
(屋号でお仕事をされていると屋号がわからなければ手がかりにならない!)
今回もKさんは留守だったが、前回お話を聞いた隣家の方にKさんの連絡先を教えていただくことができた。
現地へ行ったのが日曜日で、火曜日にKさんに電話してお話をうかがったところ、
「八幡浜から三崎へ抜ける道の、トンネルを出てすぐの保内町の鼓尾だったと思う」とおっしゃっていました。
(以志橋福助さんの期待を裏切る返答でした)
両家の庭を横切って引き揚げる際、Kさんの庭に見慣れたものが置かれているのを見つけた。


どっひゃあ~ ここにもいるぅ~~。
前回はKさん宅の玄関から離れたところで隣家の方からお話を聞いたので、ここまで足を踏み入れていない。

腰を下ろして悠然と構えている姿は頼もしい。
Kさんに電話した際、この鍾馗さんの“出身地”を尋ねてみたが覚えておられませんでした。
寄せ棟造り(だけとは限らない)の大棟の両端に置かれていた片割れのようだ。
亀の甲羅のような置き台がそれを物語っており、1対(2体)であげられていたのだと思う。

明浜町の鍾馗さんは上の写真のように置かれている=2010年11月6日撮影。
普通の人なら用件は一度で終わらせてしまうのだが、
私は要領が悪く、あとで「しまった! あれも聞いておけばよかった」ということがたびたびある。
今回はこの“アホさ”が、愛媛県内で11体目の鍾馗さん発見につながり、
そして、ここからの帰り道、更なる幸運(12体目発見)が舞い込んできたのである。
=2011年2月6日撮影