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価値観の多重性

2012-12-20 | 思うこと
今まで色々なボランティアをしてきましたが、いつも疑問に思うのは、サービスを提供する側と受ける側にはっきりと分かれてしまうこと。
ボランティアですから賃金を貰うわけでもなく、「もう止めます」と言ってしまえばサービスを受ける側に瞬時に変わってしまいます。この二極性に疑問もあって意地でも提供側の立場を選択していたのですが、考えてみればサービス=商品の考え方に囚われていただけとも考えられます。
物事にははっきりと白黒の付く事など少なくて、大概はグラデーションのように中間の考え方も多数存在します。
ベストな選択というモノがあるとすれば、それは極大に偏る物ではなくて、中間点のどこかの位置に、微妙なさじ加減で求められるものだとも思います。
お客の立場で少しだけ手伝うような選択も、あっていいのじゃないかと感じます。

一つのボランティア団体の推移をみると、多くの人が賛同して立ち上がる時期の後に、活動が停滞しつつ新規の参加者も少なくなる時期を過ぎ、消滅へと向かう繰り返しではないかと思うのです。
元々必要と思われた社会的ニーズが解消されれば、それは消滅してもいいのでしょう。
しかし、それまで築いてきた人間関係などの目に見えない財産までが同時に無くなってしまうのはもったいない話です。
特に人間関係のつながりは、築いていくのに時間がかかる上、必要に応じて短時間でできるものでもない。
今では大抵の市町村にボランティア応援のための部署がありますが、通常の資産とは違う価値観についての認識が少ない。
出来上がった人間関係を大切な資産として考えてみると、応用やさらなる拡大、別次元への移行などの可能性がたくさんあります。
一般的な資産とはまったく別の、もっと重要な価値を持つ物もあり、それは現在の資本主義的な価値観と重層になるように思います。
価値観の多重性は、もっと広く認識されてほしいところ。これからの日本の在り様は、別の価値観の裏付けの上に成り立つと思っているのですが。





写真と人物

2012-05-19 | 思うこと
写真には人物が写っていると情報量が格段に増えます。
どんな場所で気温はどの位か、大きさの指標にもなりますし、時代も分かる。
できれば自然なまま、さりげなく写ってくれるのが個人的には望ましいのですが、動きの途中ですと立ち姿などが美しくならないこともあります。

写真家は美しいものが美しく見える場所を探す能力があるのか、撮影中の後姿は風景を含めて見事にまとまります。
ポーズがキマるのは、ファインダーを覗くカメラを使用しているからでしょうか。
昔、写真の撮り方の基本は三点支持と習った記憶があります。
手振れ補正機能のある今のデジカメは、ファインダー自体もなくなって、三点支持のポーズで撮影する人も見かけなくなりました。
そういえば私もいいかげんに写真を撮っていると気が付いた、そんな一枚です。







シンプルに生きたい

2012-03-03 | 思うこと
若い頃に放浪していた時期があり、自ら選んだけれども不安定で不自由の多いそんな生活の中で、いかに楽しく生きるかを追い求めていました。
僻地に行くと生活スキルの非常に高い人が多く、他に何かの技術を持っていて、困ったときはそれぞれの得意な技術に頼り頼られて生活していました。
そんな人たちに共通していたのは、家財道具が少ないこと。
最低限の道具で生活を成り立たせるためには、道具を上手く利用する知恵や技術が必須でした。
たとえば料理をするにも、包丁・まな板・鍋があればたいがいの料理が出来てしまいます。食材の知識が豊富であればより美味しく作れるでしょう。
そのかわり道具を使いこなす技術や、臨機応変な発想や味覚や想像力など、身に付けるべきものも多い。
身軽に動き回れる自由さのため、多くの事をどん欲に吸収していた時期でしたが、今思えば若さゆえに自信を付けたかっただけなのかもしれないし、無鉄砲さが賞賛されるような時代の感覚が少しだけ残っていたのかもしれません。

今でも家財や道具をあまり持たずに生活することが憧れではあります。
ただ便利な機械が増えてきて、一度それに頼ってしまうと、せっかく身に付けたものが退化してしまいそうな気がして、なるべくなら不便な方へ進もうと努力しています。
最低限の持ち物だけで暮らしていけたら、それは精神として自由なのだと個人的には思います。
自分の家財に行動を制限されることなく生きられるような。


プラスチックの郵便受けが寿命を迎え、次は木製の物をと思って探したものの、希望する製品が見当たらず自作してみました。
初めての木工でしたが、それなりに使えるものが作れましたし、思っていた以上に楽しいものでした。
器用に何でも作っていた人が昔いたな、などと思い出しながら。
諦めなければ人は意外と色々な事が出来るものだ、などと考えながら。





懐かしい生活道具 ハエ取り器

2012-02-11 | 思うこと
小学生時代、通学路に大きな魚屋があって、ドジョウが泳ぐ樽や並べられている魚の数々は興味の対象でした。
何より店頭に置かれた優美なフォルムのガラス製ハエ取り器は、子供心に興味を激しく掻き立てられる存在で、美しさと不思議の詰まった生活用具でした。
まるで置物のような形を持ちながら、その中にハエがたくさん入っていき、入り口は大きいにもかかわらず何故か出てこれない。
よくハエ取り器の前にしゃがみ込んで、飽きることなくじっと見つめていた、そんな記憶があります。
店先にしゃがみ込んでいる小学生に対して文句も言わなかった魚屋の人は、ハエ取り器が捕まえるのはハエだけでなく、たぶん興味を持った何人かの小学生でもあることを知っていたのかもしれません。
子供が多くの興味を持ち、社会の周辺で多少の迷惑をかけるけれど、それによって成長したり子供時代の思い出を持ったりすることが当たり前な、そんな時代だったからなのかもしれません。

先日、古物商の店内でハエ取り器を見つけました。
突然小学生時代のそんな事などを思い出し、思わず写真を撮らせてもらいました。
昔ハエ取り器というものがあってね、と子供に説明しても、その形の優美さまでを言葉で説明するのは難しい。
本当は実物を持ってきて、ハエが捕れる様を子供とじっと見ていたいと思っていたのです。







大掃除の合間に

2011-12-26 | 思うこと
自分は古いものが好きだと、ずっと思っていました。
真新しい輝きが失せて、年月の彩色が為された色々な生活道具や建物にこそ魅力は宿るのだと。

大掃除はいつもの掃除とは違って、拭き掃除に重点を置いていますが、特に水回りの金属部分を磨き上げるのが恒例です。
人間の目は不思議な事に、目に付く物を見て、それ以外にはあまり視線を向けない事があります。
台所のシンク周りやトイレの配管など、金属部分が綺麗に磨かれていると、周囲の経年の汚れよりも目立つために実際よりも新しく綺麗に見えたりします。

水垢や油汚れを落とした金属の輝き方は、なにか人の心のどこかに作用するものなのか。
鏡や刃物の輝きは、遠い昔から人の心を捉えていたからなのでしょうか。
それとも、ひとつの文化における特徴的な好みなのか。
大掃除は暖かい季節にする方が理にかなっていると思いながらも、なぜか年末になるとやらなければいけない気持ちになる大掃除でした。





本当に必要か

2011-11-16 | 思うこと
わが家のトイレは、この夏にリフォームして使用水量が少ないものに変えました。
この時に暖房便座も止めてしまい、何も電化機能のついていないシンプルなトイレに変わりました。
工事の時に、暖房便座・ウォシュレットでないトイレがは注文の間違いではないかと確認されたのですが、きっとほとんどの家のトイレ工事ではこのような機能を追加するのが普通だったのでしょう。
工事以前は暖房便座だったのですが、暖房機能は今まで一度も使わずにきました。家庭ではカバーをつけていれば使用時に冷たいと思う事もなく、必要と思う事もなかったのです。

夏に旅行をした時に、高速道路のパーキングトイレで落書きを見ました。
トイレの座面が冷たいという書き込みに対して、反論が書かれていました。
これは仙台の近くのパーキングで、大変な思いをした被災地に近い。
大変な思いをした方々が続いて書き込んだのかもしれません。
震災以前であれば「贅沢です」「使えるだけでありがたい」のような書き込みがあっただろうかと考えます。
実際に災害を体験したあとに節電を真剣に考えると、便利ではあるものの無くてもいいのではと思える事に電気を使っていたと気が付きます。
震災は多くの意味で人の考え方の大元を変えたのでしょう。

人によっては重要と思われるポイントは違いますが、便利であるためには何がしかの代償が必ず必要になります。
電力という現代の生活になくてはならないエネルギーは、実はどこかに大きな代償を払わせていて、その代償の支払いはいつか自分にも回ってきます。
そんなことを感じた人が多かったのかも。この書き込みを見ながら色々と考えていました。





いつもと違う

2011-08-11 | 思うこと
このところ、家のリフォームをしていて何かと気ぜわしく過ごしています。
震災以降は節電ばかりが喧伝されていますが、節水というのも重要だと思っていて、震災で電気が止まっていた時は、とりあえず水が出ている事をありがたく思っていました。
北国で電気が来ない冬は、暖房が取れないことが大変ではあったのですが、でも水の出ない生活よりも何十倍も楽なのだろうなとも思っていました。
寒さは服を着込んだり布団にもぐり込んだりで何とかなったとしても、水が出なければ日々の生活の基本が成り立ちません。

古くなったわが家のリフォームでは、断熱性の向上と節水などを主に考えました。
以前のトイレは「大」で10Lの水量でしたが、新しいトイレは「大」で5Lの水量が一般的になりました。
シンクの水栓も節水型になっています。
風呂・洗濯と同じボリュームを持つキッチンとトイレの水使用量は、これで劇的に少なくなるのでしょう。
雨水の貯水も考えていましたが、寒冷地では冬場の凍結の問題もあって、もう少し先になりそうです。

震災後に大きく変わったのは、節電がとても一般的になったことでしょう。
それ以前は節水・節電にまじめに取り組むことが、少数派である以上に「道楽」のように思われていた部分も。
たしかに「道楽」でやっていた部分も多いのですが。





自給自足というけれど

2011-06-24 | 思うこと
子供の頃、何でも作り出す母の手が子供心にに不思議でたまりませんでした。
足踏みミシンを駆使して出来上がる家族の服や、編み物で作るセーターは、いつか自分も同じように作りたいという思いの元になりました。
長じて私も服飾に関する趣味を持つようになったものの、衣服を完成させるのは大変なことなのだと分かります。

花好きの人と話していると共通の話題が、人に草取りを任せたら花の苗まで抜かれてしまったという話です。
私も自宅の庭はほとんど全て自分ひとりで管理しています。
どうしても出来ない事だけ家人に説明して手伝ってもらいますが、それは年に一度あるかないかの力仕事だけ。
雑草にもたくさんの種類がありますし、花にも多くの種類があり、そのどちらも花が咲く前の形状を見て判断できないと草取りはできません。
簡単そうな草取りであっても、それなりの知識は必要です。
山野に自生する植物を食べるために採ってくるには、まず食べられる植物を覚えていなければ採取できませんし、どの時期にどの部分をどのように調理して食べるかや保存の知識が必要になります。
収穫期の長い山菜や野菜を育てるとすれば、栽培法にも通じていないと駄目でしょう。

薪を使った火で調理するのであれば、火の管理の技術や薪割りの技術などが必要ですし、乾燥した薪を見分ける眼力も。
暑さ寒さに順応した身体能力もないと、冬に凍死してしまいます。
ほんの20年ほど前まで北国の人は寒さに強かった。暖房の充分でない家で育つことが、寒い時に体温を作る能力を伸ばしていたのか、若い頃のダイビング仲間で青森出身の青年は、冬場の低い海水温でも薄いウエットスーツで平気でした。

現代人は知識が豊富と思うのは錯覚で、知識や技術の総量は縄文時代の人々の方が上だったのかもしれません。
横井庄一氏が自給自足生活できたのも、まだまだ生活の手仕事が重要であった時代に生まれたからで、現代の電化生活で育った世代には不可能な事でしょう。
個人的にスキャナープリンターとパソコンの接続ができず、息子に頼んで繋げてもらったので、ちょっと悔し紛れにこんな事を考えていました。





歳を取るということは

2011-06-18 | 思うこと
必要に迫られてプリンターを買ったのですが、置く場所がない。
仕方なく自分の部屋の大幅な模様替えを敢行しています。
7年も寝起きしている部屋はアンタッチャブルなあれこれで満たされていて、新たに棚を置こうとしている場所にある物を置く為の、その場所にある物を片付けるために必要なスペースを・・・
片付けは段取りを遡る事から始まります。
普段は触らない引き出しの中には古い記憶がたくさん詰まっていて、次々と出てくる写真や手紙や資料などに目を通していると時間ばかりが過ぎていってしまいます。

アンチエイジングが流行のこの頃ですが、歳を取るのはそんなに悪いことじゃないなと思うのはこんな時。
いつもは思い出さなくても、気がつけば楽しい記憶がたくさん貯まっていて、それが歳とともに増えていくのですから。





旅行未満

2011-05-27 | 思うこと
春はイベントが多いのに、個人的にも用事が多く、巧く組み合わせたつもりが重なっていたり、急に取りやめになって予定のない日ができてしまったり、そんな事が続いています。
一年前から楽しみにしていたあるイベントも、同行者の確認を取るために申し込みが遅れ、定員オーバーのため参加できなくなりました。
でも困難があるほど情熱が湧いてくるので、来年は絶対に、一人ででも参加しようと心に決めています(笑)

目的があって出かける以外に、特にスケジュールも無しにふらっと出かけることがありますが、そんな日は意外と素晴らしいものに出会えたりするのが不思議です。
それは物であったり人との出会いであったりしますが、両方あればその日はとても楽しいものになります。
観光業ではリピーターを大切にします。
何度も同じ場所へ行きたくなるのは、その場所の風景を好きになるだけでなく、その場所にいる誰かに会いたくなるから。
少しの時間語り合うだけであっても、「またいらっしゃい」と言われると、また行きたくなってしまうのも不思議です。
もてなしとは、語り合える人がいる事と同義ではないかと思います。ずっと昔から。