毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
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友人との会話 全力で死なないようにしている

2011-05-08 | 思うこと
震災以後会っていなかった友人と、久し振りに食事をしました。
お互いに学校へ行かない子供を抱えながら、励ましあったり感じたことを話し合ったりする友人です。
お互いの近況を報告しあった後、友人は現在の仕事から感じた事を語りだしました。

死は自然な事だ。昔の人は死期を悟ると食事を取らず自分から死への準備を始めていた。
でも今はそうではなくて、病院で栄養点滴をして死期を先送りしている。
介護施設では死なないようにする事が仕事で、全力で死なない様に努力しているけど、死期を逃したら人は中々死ねない。
人は死ぬことにも意味がある。
残る人に悲しみと世代の交代を教えてくれる。
昨年急死した自分の母親の死も、そう思えば受け入れられるようになった。

そんな話でした。
昨年は私も、この友人も、状況は違えど親の死を迎えています。
私よりもシビアな状況で親の死を迎えた友人は、苦しい中からなんとか答えを探そうとしていたのだと思います。
そんな答えを見つけられた事と、精神的に落ち着いてきた今の友人の在り様を見て、一緒に納得するしか私にはできませんでした。
「そうだねぇ」と。

震災以後、色々な事が大きく変わったと感じます。
人が生きて死ぬ、そんな事に対する受け入れ方が大きく変わってきた。
歴史上かつてない贅沢な暮らしができる世の中で、昔も今も変わらない何かが実はある。
そんな事を思い出す何かが。



ちょっとした思い付きから

2011-04-27 | 思うこと
家の近くの桜も咲きだしました。
暖かくなったのでカメラ片手に散歩をすると、新しい発見があって楽しい季節です。
昨年中に南部小絵馬について調べたり、自分で絵馬絵を描いたりしたので、こんな時こそ復興祈願絵馬を描いて奉納使用と思いながら、工務店や製材所で木の切れ端をもらって歩いています。
たまたま近くの工務店でそんな話をしたところ、わざわざ絵馬型の木材を作っていただき、しかも御好意で頂いてしまいました。
それでは真面目に描かざるを得ないので、とりあえず描いた物が下の写真です。
墨と筆だけで表現したいと思いながらも、最初の一枚は思った通りには行かなくて、ちょっと弱々しい馬になってしまいました。
もっと力強い馬を描いて、津波被害のあった地域の寺社に奉納していこうと思っています。
なにしろ南部は馬の産地で、絵馬奉納の歴史もあった場所なのですから。
神様に願うということが昔から心の支えになっていたはずです。






春よ来い

2011-03-25 | 思うこと
3月の末なのに、今朝は雪で真っ白な風景が広がっていました。
北国では、まもなくやって来るはずの春を待つこの季節は、待ち遠しい思いが胸一杯に詰まった季節でもあります。
白黒の風景から一変して、芽吹きの瑞々しい華やかさが訪れると明るい気持ちになってきます。津波で被災した方には暖かい気温とともに。
北国で春の足音を表すものは、南から届く桜前線のニュースです。
少しずつ近づいてくる桜前線が春の近いことを教えてくれるのですが、テレビでは桜のニュースは少なく感じます。
今はどのあたりを北上しているのでしょう。





地震から一週間

2011-03-19 | 思うこと
まだ先の見えない状況が続いています。
それでも1週間という区切りを過ぎ、救助から復旧・復興へと動きが切り替わりつつあります。
この1週間で色々なことを学びました。
ネットというのはこんなにも世の中を変えたという実感もあります。
SNSやtwitterに随分と勉強させてもらいましたし、精神的に助けてもらいました。
デマが拡散すると必ず注意の意見も出てきます。
ネットの世界にも善意はあるのだと思いました。

多方面の情報を読みながら、とても参考になるものも多いものの、『不謹慎』という言葉での非難も多く見かけます。
でも苦しい時ほど笑いは切実に必要です。
今はイベントや娯楽に対して自粛の圧力も多いと思いますが、災害で避難している時は「暇」という苦痛の種があります。
自粛で世の中を暗くしないで欲しいと切に思います。

離島で生活していたときに、台風襲来といえばみんなで集まって宴会をしていました。
大変な時こそ楽しい話をして笑って過ごすのは、シビアな生活をする人々の生活の知恵です。
そんな時に出た笑い話を生活の糧にしているのです。
もっと笑いましょう。こんな時だからこそ。



夜と霧
 2009-08-26の日記より






隠れかっぱの湯

2011-02-26 | 思うこと
大きなニュースが立て続けに起こっている中で、気になったのがこちらのニュース。
隠れかっぱの湯 解体撤去工事を開始(2011/02/20)

明治時代に海外からの視線を浴びるようになった日本は、土俗的とも評される日本の習慣を恥と思い、法律を作ってでも何とか変えていこうとしていました。
人の習慣は急に変わりませんが、長い時間と世代交代で庶民生活の近代化は達成されたものの、「自分たちはまだまだだ」という感覚だけはしっかりと刷り込まれてしまったのかも知れません。
その後、日本の混浴を「淫蕩」とまで評した欧米では逆に自然回帰の動きからヌーディズムが現れたりと、日本とは反対に進んでいる感もあります。
ほんの10数年前まで青森には完全な混浴が数多くありました。
自分が入るかどうかは別として、寒い青森の文化を濃厚に残していた混浴の温泉は、青森ならではの素晴らしい魅力だと思います。
観光とは『そこにしかない物』を見に行く事でもあり、それがどれ程あるかというのも魅力の指標になりえるはずで、地理的な移動よりも時間的な移動(20年前にはあったなど)が出来る事こそより貴重であるとも言えます。
古いものには魅力がある、というのは時間的な移動を可能にしてくれるからで、長い時間はどれほどお金をかけても作り出せないものです。
「古い」とか「遅れている」とか、それは恥ずかしいものではなくて魅力の源泉だと思うのです。


“自虐”日本に驚く世界のエリートたち





貴貨置くべし

2011-02-08 | 思うこと
働きアリ集団のなかで15~20%はあまり働いていないように見え、この働かないアリを取り除くと残ったアリの内20%程が働かなくなる。
よく聞く話ですが、全く違う話にパレートの20:80の法則があって、こちらは経済の話ですが、20:80の数字が同じために混同されることが多いと思っていました。

働きアリの話は、「20パーセントが怠けている→人間社会でも20%は怠けている」との意味で語られます。
しかしアリの観察から得られた知見ですから、人間のように怠けたくて怠けているアリがいるとも思えない上に、怠けているアリがいなくなったら他のアリがその役割を担うようになるのですから、一見怠けている風に見えるアリは代用が必要なほど重要な働きをしていると考える方が理に適っています。
そう思って調べてみると、日本動物行動学会 2004.1.1newsletterでこの発表をした長谷川英祐氏は、働かないアリの「働かないことそのものがコロニーの存続にとって意味を持っている可能性もある」と述べています。

観察をしたのは人間ですから、当然人間的な思考の上に観察結果はあるわけで、働かない=怠けている と見えるのかもしれませんが、見かけ上は怠けているようでも何かしらアリの世界での重要な任務を持っているかもしれません。その任務が人間には分からないだけで。
人間社会においても特殊な能力を持つ人や、生産には関わりないけれども人が生きていくのに大切な何かはあります。
それは遊びだったり芸術だったりするのですが、それらを受け入れる心のゆとりがなければ精神的な不調となり、やがて身体的な不調ともなってきます。

アリの研究では、真面目な働きアリだけの集団ではその中の20%が怠けアリになるのですが、怠けアリだけの集団ではその中の80%が真面目に働きだすわけではないと続いています。
どちらがより大切なのかと考えると、怠けアリという答えになります。
これはパレートの20:80の法則とどこかで繋がる話になってきそうです。
アリにとって怠けアリの仕事の何がどのように大切なのか、それがとても気になります。


日本動物行動学会 2004.1.1newsletterからアリの行動研究部分抜粋はこちら
お利口ばっかりでも,たわけばっかりでもダメよね!
~「集団」行動の最適化~
長谷川英祐(北海道大院・農)



子供時代の楽しい体験

2011-02-05 | 思うこと
本を読んでいると突然いろいろな記憶が蘇ってきて、本文とは離れたことを考え出して中々読書の進まない時があります。
先日も子供時代の楽しい体験について書かれたものを読んでいるとき、ふいに思い出した子供時代の体験。
朝起きて布団を上げると寝室はがらんとした畳の部屋になります。
雨続きで外遊びが長らくできないときなどに、クッションの中綿になる細かく切られたスポンジをその部屋でぶちまけて兄弟三人で遊んでいました。
きゃあきゃあと叫びながらスポンジを集めて投げたりかき混ぜたりしているだけなのですが、時間があっという間に過ぎてしまう程、我を忘れて遊ぶその時間は楽しいものでした。
「何でこんなに楽しいのか」子供心にも不思議でしたが、あの体験はその後の人生において楽しみの指標となっているような気がします。
大人になれば子供時代のようなフルスロットルの楽しさではないけれども、ああ、あの時のあの感覚に近いかな、と思える体験と、趣味や好みは近いのかもしれません。
何かをしていて楽しいと感じる感覚は人間の基礎を作っているのかもしれない。

今朝温泉に行ったら1~2才の子供をつれた母親がいて、何気なくその子を見ていると初めての体験を楽しそうにしています。
レバーをひねるとシャワーからお湯が出るし、反対に回すと止まる。
シャワーの下に桶を置くとお湯がたまる。
お湯を叩くと跳ねる。
危なっかしそうに動き回る子供を母親は心配しながら見ていますが、この子は今、新しい世界を発見して楽しくて仕方ないんだろうな、と思いながら眺めていました。




そういえば二年目

2011-01-30 | 思うこと
そういえばブログを書き始めて二年が過ぎていたことを忘れていました。
昨年は一周年の日記を書いていたのに、二年目はこんなにもあっけなく過ぎていく事に自分でも驚いていす。
この二年には子供の登校拒否など色々な事がありました。
二年前の自分は何を考えていたのかさえ、もう遠くにかすむ出来事のような気がします。

プログを書くメリットは自分の思っていたことを後になって読み返すことができること。
書いたことがブレていないかどうか、自分ではそんな事が気になります。
変わることが悪いわけではないし、変わる事は成長を意味する場合も多いのですが、変わらずに同じ考えを持ち続けていられるかどうかが、今までの人間形成の未熟度を表しているように感じてしまいます。
今でも本を読んで目から鱗が落ちる感覚を持つこともあって、いくつになってもそんな体験を持ち続けていたいと思う気持ちとは相反する感覚ですね。


雪のある季節は家に篭ることが多いので、ついでに今年行きたい場所をピックアップしています。
春になったら行ってみたい青森県内のポイントは多いのですが、雪の時期の風景も美しいのだろうなと思います。
積雪期の運転が怖くて見ることはできない風景を、ネット上で探していたりします。





FacebookとTwitter

2011-01-29 | 思うこと
昨年は何気にFacebookにハマッて、毎朝バーチャル水槽のお世話に熱中していました。
最近は熱も冷めてしまって時々開くだけだったのですが、先日、誕生日の翌日に開くとタイムライン上にお祝いの言葉があふれていて嬉しかったり。
世界中のお会いすることもない人たちですが、一緒にゲームをする仲間同志の関係もあるのだとそのとき気がつきました。

SNSの使い方は人それぞれで、Facebookでは情報拡散のために使っている人もいるし、純粋にゲームだけを楽しんでいる人もいます。
国境もないので世界中の言語が飛び交い、お互いが母国語ではない英語で会話したり、中東の国での私刑に関するディスカッションの様子やアイルランドでの噴火の様子が生々しく伝わってきたりと、中々刺激的です。
世界には多様な言語があって、様々な生き方や文化があるという当たり前な事も、小さなディスプレイから感じ取れました。
それでも基本がネットゲームですから、長文がタイムラインを埋めることは少なくてゲームへのリンクだけが流れていく感覚です。
同じようなタイムラインのTwitterは、相手の承認なしにフォローできて文字数も少ないのですが、情報量はとても多い。フォローによって自分の読みたい情報だけを表示させたタイムラインは、他の人のタイムラインとは違うものになります。
ただ古い情報は膨大な言葉の彼方へ行ってしまうので、保持という意味ではmixiやブログに利があります。

そのTwitterで今朝流れてきたこの話を読んで、昔の友人の事を思い出していたのですが、20年30年前という長いタイムラインの中に人間関係や思い出も紛れ込んでしまっているなと、ちょっと考えていたのでした。
フェイスブックで友達何人できたかな 小田嶋 隆



常識という幻

2011-01-23 | 思うこと
「常識」という言葉を使う時、話す相手に対して「常識」を要求する意味合いの場合が多いと感じます。
私も時々使ってしまうので反省することが多いのですが、話す側としては相手にも当然同じ常識があるはずといったスタンスでいます。
「常識」と一言で言っても、その中には基礎的な学問的知識、教養、礼儀、社会通念など幅広い内容を含んでいるので、状況によってその中のどれを指しているかを類推しながら対応するわけで、語る側は当然その中のどれを意味するのか相手には分かるはずと思い込んでいる場合も多い。
常識=すべての人が知っているはず、それが常識だと言われる事も多いのです。
ところが、よく考えてみれば同じ生い立ちや経験を持つ人はいない、そう言えるほど人には様々な歴史があります。
性別や職業、生まれた時代、育った場所などたくさんの要因によって多様な考え方が育まれます。

日本は単一の稲作民族の国である、というどこかで意図的に作られたとも思われる認識については、近い歴史を紐解いても士農工商という階層があって、立場を超えた通婚などもなく、それぞれが別の価値観の中に生きて、そして幅広い生活の様式を持っていたことでその考え方の間違いは分かります。
宮本常一の著作を読んでいると日本には昔から多様な職種があって、士農工商の外側にも多くの人が生きていた。
農地と共に生きていた農民の他にも山の中や流浪の生活に独自の世界を持っていた人々がいて、そして不足するものを補い合っていた。たとえば金属製品であったり木を切る技術であったり芸能であったり。

家族の中での常識、住んでいる場所での常識、今の常識。
家族の中では常識であってもそれはあくまで家族の中だけの話であって、一つ一つの家族には独自の歴史があるわけで、人の移動の激しい現在は狭い地域であっても様々な考え方を持つ人々が住んでいます。
そもそも昔から「常識」はなかったのに、「常識」はあるという幻を見ていただけなのかもしれません。

世の中の人が同じ常識を持っている訳ではない事を前提条件として、それでも人は周りの人々とうまく付き合っていこうと努力していた。
それが先人の知恵だったのだと思います。



常識がプライベート化していく シロクマの屑籠(汎適所属)