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自閉症について思う

2009-12-21 | 子供のこと

「自閉症」が増加?子供の1%近くに…米推計
【ワシントン=山田哲朗】米疾病対策センター(CDC)は18日、米国の子供の110人に1人が、社会性や意思疎通の能力の発達が遅れる「自閉症スペクトラム障害」(ASD)を持つとの推定を発表した。
 2007年発表の推定値「150人に1人」(0・66%)から大幅に増加した。診断が広まったことで発見される件数が増えた効果も考えられるが、CDCのキャスリーン・ライス博士は記者会見で「自閉症などが実際に増加している可能性も排除できない。公衆衛生上の緊急の問題だ」と話した。
・・・・以上抜粋・・・・



自閉症はスペクトラムに例えられるように境界線もなく、ごく一般の人から連続する様々な症状を発現します。
ここからは障害であるという明確な線引きもなく、身の回りの人間関係や集団内での適応に不自由がどの程度あるのかという観点から診断名がつくこともあります。
ただし生まれ持った個性の様なものであり、後天的に発症するわけではありません。診断には生育歴も重要で、幼児の頃からの特有の行動などがあったのかは大切な観点となります。
後天的な環境に由来するコミュニケーション能力の未熟さとは一線を画した障害です。

現在はコミュニケーション能力が未熟と思われる人も多く、社会の中に子供に対人関係を作る環境が無くなってきているのではないかと感じています。
子供がコミュニケーション能力を身に付けるのは、子供同士の関係の中でです。
子供対大人では大人側が子供の気持ちを忖度したりできるので、子供にとっては自分で考えて作り上げる人間関係にはなりませんが、子供同士の場合は双方が同じ立場のため自分たちで考え工夫していかなければ友人関係を作り上げることはできません。

以前は子供同士だけで遊ぶ機会もたくさんあり、子供社会とも呼べる物がありました。
子供社会の中では遊びの伝承があり、子供の持つエネルギーを発散させる場所として子供を惹きつけながらも、子供社会参加のためのルールを身に付ける場所でもありました。

子供社会の形成には担保されなければいけない3つの事があります。
時間・場所・複数の子供、このうちどれかが欠けても子供社会は消滅してしまいます。
公園はあっても遊ぶ時間がない、遊ぶ相手がいない、安全に遊べる場所すらない、様々な理由から地域に子供が群れ遊ぶ姿を見なくなりました。
子供の遊びは大人から見ると全くの無駄な行動にも見えます。
経済という観点からの説明はできなくても、子供の遊びがなければどうなるのか。実験動物として親子二頭だけで隔離して飼育されたサルには、子ザルが見知らぬサルを怖がり挨拶行動をとろうとしない、周囲への関心をほとんど示さないとの観察もされています。

部屋の中でテレビを見せてばかりの子供が皆、コミュニケーション力の足りない人間に育つわけではありません。
人には個人差もあり、どんな状況で育ってもコミュニケーション力の高い人もいればそうではない人もいます。
人間の体も弱い部分から病気になるように、もともと会話や対人能力の高くはない人から影響が現れやすくなると考えられます。

自閉症傾向を持つ人は多く、それでも成長の過程で社会に順応できるようになっていくはずが、社会性を伸ばす子供にとっての環境が充分ではなく、結果として自閉症の診断を受ける人が増えている、そう感じています。




人間関係のトライアングル効果

2009-12-20 | 子供のこと
子供を褒める一番効果のある方法は人を通して褒める事だそうです。
教師が親に伝えた良い評価を親が子供に話す、
「先生が褒めていたよ」
この一言は、学校で教師が直接子供を褒めるより何倍も子供の心に響きます。
自分を褒めてくれる人には好意を感じます。
子供は教師が好きなら成績も良くなるでしょう。
嫌いな人の話は聞きたくないものですが、好きな人の話す言葉はスムーズに受け入れますし意欲も揚がります。
教師と子供の関係が良くなることで人間関係が学習にプラスの循環を生み出します。

逆に悪い評価をこの循環に乗せてしまうとマイナス効果も何倍にもなってしまいます。
家庭で教師の悪口を言うことも子供の意欲を下げてしまいます。

サンプル図に表してみましたが、親、子供、教師を自分、友人A、友人Bに置き換えて、友人Aが言った自分の悪口を友人Bから聞いたと想像してみてください。
嫌な気分になりますね。

人間関係にも応用できますが、この場合は悪口を言った友人Aよりも友人Bが要注意です。
友人関係をマイナス方向に動かしているからです。
友人関係も子供の人間関係も良い方向に動かして行きたいですね。


秋刀魚の美味しい季節になりました

2009-10-13 | 子供のこと
わが家では全員が魚好きです。
親が好きなので子供も、と言うより魚好きにするための長い戦いがありました。
そこで活躍したのが秋刀魚です。

秋刀魚はそのまま焼いて食卓に乗ります。
秋刀魚の三枚おろしなど普通はしません。
細い骨はなんとか食べられますが、内蔵など子供にとって苦い部分は、上手に取り除けるようにならなければ魚嫌いを作り出してしまいます。


秋になり秋刀魚の季節が来ると、人数分の焼いた秋刀魚が食卓に並びます。
同じ秋刀魚でも油が乗っているかどうかは魚ごとに違います。
焼いた秋刀魚を並べて、この中から美味しいと思うものを選ばせます。
クイズのような感覚で子供達は選びますが、必ず私が一口食べてみて、どれが一番美味しいか評価します。
だんだん目が肥えてきて、美味しそうな秋刀魚は必ず取られてしまいます。

もうひとつは箸使いの競争です。
食べ終わった皿の骨の残り具合を点数で評価します。
腹の横まで綺麗に食べていて、身がほとんどない状態が100点。
背側だけ食べているのは問題外で失格。
競争の好きな子供達は真剣に魚を食べています。

上手に食べられるようになると、満足感と一緒に魚の美味しさを感じるようです。
子供達は皆、合格点を取るようになりました。
今では私の食べ方が悪いと子供たちに叱られています。





焼肉定食

2009-08-25 | 子供のこと
あまり夏らしくない夏でしたが青森県内は夏休みが終わり、子供たちは学校へ行きだしました。
夏休みの終わりは宿題の追い込みが恒例ですが、子供の宿題の答え合わせは必ず笑える部分があります。
特に漢字の書き取りでは、子供らしい発想に思わず頬が緩みます。

今年笑ったのはこの二つ。

きそくを守る → 貴族を守る
俳優のえんぎ → 俳優の縁起

どちらも間違いなのですが、私だったら○を付けてあげます。
なかなか奥の深い言葉になっていてツッコミ所もありますね。

有名な話ですが、とある入学試験で

□に漢字を入れて四文字熟語にせよ
□肉□食

という問題で、答えは弱肉強食だったのですが焼肉定食と書いた学生も正解になったとか。
遊び心があっていい話だな、と思います。
登校拒否が増えている今、学校は遊び心をもう一度見直してもいいのだと感じています。
13世紀に親鸞が思ったように、子供には遊びが必要なのでしょう。

人間として喜びや面白さの感覚を持つことが生きていく上では重要かも知れません。
人間に限らず身近な動物である犬や猫を見ていても子供の間はよくじゃれ遊んでいます。
生きていくための能力は遊びの中で育つ仕組みになっています。
喜びや面白さを感じることも遊びの中にはふんだんに含まれています。

人間も動物であることに変わりはありません。




全てが少ない

2009-08-15 | 子供のこと
夏休みということで、子供二人はキャンプに行っています。
一人は家に残っているのですが、生活全てが大きく変わっています。

まず食事の量が今までの半分以下になりました。
食べ盛りの男の子二人の食事量は大変なものです。
ごみの量も減りました。
ごみのほとんどは食事に関係する所から発生しているので当然なのでしょう。
洗濯物の量も半分以下です。
家の中は不思議なほど静かです。

何時もは喧嘩ばかりしている兄弟ですが、一人になってしまった次男はなんとなく手持ち無沙汰で元気がないようです。
兄弟仲良く、などといくら言っても分かって貰えませんが、一人で過ごす寂しい時間が兄弟の大切さを感じさせてくれるのでしょう。
何時もは子供たちを叱ってばかりの私も、明かりの消えたようなわが家に何かが抜けたような感覚を持ちます。

あとほんの数年で子供たちが家を出て行ったら、その時にはこんな感覚を覚えるのでしょう。
消費する食品や生活用品だけでなく、毎日笑ったり怒ったり楽しんだりする感情も、その時には少なくなっているのかもしれません。
文句を言いながらも毎日家族と触れ合っていられる今は、実は一番幸せな時なのだと思います。






傷つく子供たち

2009-07-29 | 子供のこと
「トラウマ」という言葉がよく使われています。
元は傷という意味ですが、精神医学上で心に受けた傷が後まで影響を持つ場合に使われます。
PTSDというのも新聞などでよく目にするようになりました。

少し前アメリカで、親から受けた虐待に対しての裁判が増えた事がありました。
精神科での催眠療法の途中に小さい頃の記憶がよみがえり、その記憶を元に訴え出たものでしたが、その後記憶の書き換えについての理解が広がりこのような裁判も減っていきました。
記憶は後から変更可能な曖昧な物だったのです。
それでも子供時代に受けた心の傷を引きずっていく人は多くいます。

私自身も親に対する愚痴はあります。
でも子供を育てるようになって、親の気持ちも少しは分かるようになりました。
子供というのは大人にとっては不条理な生き物で、大人の度量を試すような行動をします。
それでも怒ることなく子供と接していくのは難しいことなのでしょう。

「怒る」と「叱る」
この二つを区別して使い分けるようになることが大人としての関門のように感じます。
子供の不条理を楽しみ笑えるようになれれば、それは達人なのだと感じます。

子供としての感じ方と大人としての感じ方。
人間は繰り返す時間の中に生きている生き物なのですね。


先人の知恵

2009-07-28 | 子供のこと
核家族が一般的になった今の時代、親は初めての子供を持つ時子育てについては初心者です。
誰もが手探りで子供を育てながら、育つ子供に教えられ子育てというものを理解していきます。

私も子供を生んだとき、何をどのようにしていけばいいのか判らなくて困りました。
小さい子供の育て方、叱り方、可愛がり方。
全てが判らずに手探りで進んでいたように思います。

参考にしたのはことわざや格言が多かったのですが、なかでもこれを大切にしていました。

 赤子 肌を離すな
 幼子 肌を離して手を離すな
 少年 手を離して目を離すな
 青年 目を離して心を離すな

ことわざ、格言は先人の知恵です。
社会が変わっても、人間という動物が子育てをする基本のところは同じです。
子供が社会の中でやって行けるよう考え、長い時間の中から導き出した答えには本質があると思います。
この格言の中で大切なのは、離してはいけないものとともに離さなくてはいけないものがあるということでしょう。
成長するつれて少しずつ離さなければいけないものがある。
そうだとするなら離す為の準備も必要です。
いつか手を目を離すとき、それを考えることが子育てなのかもしれません。



沖縄の懐

2009-07-23 | 子供のこと
数年前に沖縄に行ったとき、私は子育てで悩んでいました。
発達障害のある子をどう育てていくか、どう受け入れていくかが分からなくて、そのとき思ったのがその子を昔住んでいた沖縄に連れて行くことでした。

沖縄では子供を大事に育てることはよく知られています。
家には親戚知人の子供の命名札が貼られ、新しい命を喜びます。
「すべての大人は島中の子供の名前を知っていて、すべての子供は近所中の犬の名前を知っている」

食堂などで小さな子供を連れている人は、その場にいる知り合いすべてに声をかけられ、老若男女みんなが子供を抱き上げあやします。
子供が怪我をすればみんなが心配し、子供が悪さをすればみんなが叱ります。
遠くまで遊びに行ってしまった小さい子供は誰か見つけた人が連れ帰ってくれます。

私の子供もここでは受け入れられ、かわいがられて
「かわいい、いい子だ」
そう言われる事で私の子育ての悩みも溶けていきました。
親や大人が子供を受け入れかわいがることで、子供はやさしさを身に付けていきます。
あの時、子供を連れて沖縄に行ったからこそ今の自分と子供があり、感謝してもしきれないほどの恩があります。
なかなか口に出すことはないのですが。







一瞬の輝き

2009-04-08 | 子供のこと
子供が将棋をします。
兄弟全員が6~7年前に始めました。
今では一番下の小学生だけがなんとなく続けていますが、教えてくれる方が近所にお住まいなので大会や教室の手伝いも少ししています。

小学生といっても有段者が何人もいます。
子供は上達するのも早いので、ずいぶん大勢の子供たちに抜かれていきました。
少し悔しくはありますが、育っていく子供たちと関わるのは楽しいことです。

小学生の将棋大会では反則による仲裁に入ることが多いです。
記録を取るわけではないので双方の話を聞きますが、基本は終わった対局は勝敗を変えることはないので、納得の行かない子供に説明をします。
勝ち負けの中で真剣に抗議してくる子供も居ます。
そんなときはこちらも真剣に説明をします。

子供たちが説明に納得した瞬間、表情が輝きます。
ああ、この子は今成長したな、と感じる瞬間です。
何度見ても不思議と嬉しくなる瞬間です。
マズローの自己実現よりも上には、次世代の成長の喜びがあるのだと感じます。






そのとき見る幻覚

2009-03-09 | 子供のこと
初めての子供を生んだ日、白昼夢のような幻覚を見ました。

空から下がるたくさんの鎖。
その片隅の鎖の先に新しい鎖がひとつ繋がる。
ずっと上の方、一万くらい上は一つの鎖になっていてそこからたくさんの鎖に枝分かれをしている。
私はこの鎖に一つ繋ぐことができた。
今まで繋げてきた人がいる。
これから先もこの鎖を繋げて行ってくれる人がいる。

何か大きな満足感とともに見た幻覚でした。
自分だけのことと思っていたのであまり人に話したりはしませんでしたが毎日かあさん5の中で、見たものは違っても同じようなことを描いてあるのでびっくりしました。
初めての子供を産んだときに似たような体験をしている人もいたのですね。

子供を産むというのは命を懸けた女性にしか出来ない大事業です。
産婦人科に勤務経験のある看護師の友人と話をしたとき、

お産は何があるか分からない大変なこと。
死産や命に関わるケースもあった。
産婦さんは全身の力を振り絞って子供を産む。
今は夫の立会いも多くなったけど、あれは女の戦場だから立会いはどうかと思う。
男性は自分では成す術が無いこんなとき、祈るしかないと思う。

そんなことを言っていました。
私の母方の祖母も、六人目の出産の際に亡くなっているそうです。

大きな事業を成し遂げた後だからこそ、このような幻覚を見るのかもしれません。
もしかしたら自分の命に関わるかもしれない。
その時は子供だけは助かって欲しい。
そう考えていたことを思い出しました。



絵はラファエロの聖母子像から。