毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
形而上の話を形而下に

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合せ鏡のように

2010-02-19 | 人間心理
まだまだ寒い日が続いていますが、もう2月も後半です。
雪の景色を見るのも残り少なくなり、日照も長くなりました。

私自身も冬期欝の症状でふさぎ込んでいましたが、知人が更年期欝と子供が家を出る事による空の巣症候群で苦しんでいるという話を人づてに聞いて、おしゃれもせずに頑張ってきたこの人のためにストールを編み出してから私の症状も好転してきました。
出来上がったストールを喜んでくれるだろうか、装う楽しみを思い出すだろうか。
ウキウキした気分でそんなことを考えながら編み物をしていると、不思議と気持ちが明るくなります。

考えてみれば、冬の間身だしなみも整えずに過ごしていたのは私もです。
人を思う気持ちは自分にも帰ってきて、ちょっとだけ幸せな気分を感じました。










逆カクテルパーティー効果

2010-02-15 | 人間心理
カクテルパーティー効果とは、騒がしい中でも聞きたい人の話を聞き取ることができる、人間の能力を表わす表現です。
主に聞く時の能力について述べられていますが、私はこの能力には逆もあると考えています。
好きな人の話はよく聞こえて頭に入りますが、あまり聞きたくない人の話はなんとなく覚えることができなくなります。

視覚でも見たい物を見るのはよく知られています。
写真を撮っていて、綺麗な風景が撮れたと思っていても後で見ると写したくない物が写っていたりというのはよく体験します。
そこにあっても見ていないのでしょう。

聞きたくない事、知りたくない事に耳を塞ぐのはよくあることですが、人間は聴覚を自在に操って自分の聞きたい情報のみを聞いているのかもしれません。
人間の特性としてそのような能力があるのなら、逆に利用もできるはずですね。
学校の授業でも、好きな教師の授業ではよく耳に入ります。
興味がある、好きだ、楽しいなどの良い感情を持てば憶え易いのです。




好きこそ物の上手なり

2010-02-02 | 人間心理
「才能とは持続する情熱である」
将棋の羽生善治の言葉です。
趣味としてのゲームでありながら、人並み外れた実力を身につけるためには、楽しくて何度でもやりたい、と思う気持ちがなければ出来ません。
子供に限らず人の成長にとって大切なのは、「楽しくて仕方がない」と思う気持ちそれ自体なのだと感じています。

趣味や習慣など、楽しくて始めたつもりが時間の経過とともに飽きがきてしまう事も間々あります。
何か一つの事をどれだけ長く楽しんでいられるか。
下手の横好きという言葉はあるものの、長く楽しめればそれだけ熟達もできるでしょう。
「素質がある」とは、飽きることなくいつまでも続けられる事と同一であって、手先が器用とか記憶力が高いとか、そういった得手不得手とは一線を画した心の問題なのだと思います。

人間が持っているはずの知る喜びを経験していれば自ら進んで学び続けるはずなのに、勉強は苦しく辛い事になってしまった現在は学びを放棄してしまう人が多くなるのも分かります。
ゆとり教育の弊害が話題になることも多いのですが、私は教科横断的な応用で知る事の楽しさを学べる教育に変わると期待していました。
応用を教えるための応用に、何かが抜けてしまった気がします。

「ウェブ時代をゆく」を読む 志村建世のブログより抜粋
そこで成功するための資質が「努力すること自体が楽しくてやめられない」性格だと言われると、少し抵抗を感じる人もいるでしょう。






大切な人間関係

2010-01-25 | 人間心理
私の誕生日のお祝いという理由を付けて、久しぶりに友人と昼食を共にしてきました。
この友人とはいつも答え合わせをしています。
お互いが悩んだ事をどう乗り越えるのか、自分ができることをどう社会に還元できるのかを何時も真剣に話し合っています。
残念な事は美味しいお店で食事をしても、味は二の次になってしまうことです。
でも、こんな友人を持てたからこそ自分の進む道がはっきりと目の前に現れるので、感謝しなければいけない事だと思っています。

登校拒否や鬱病などで苦しんでいる人は周りを見渡してもたくさんいます。
自身が鬱病で苦しんだり登校拒否などで苦しんだりしているからこそ、どのような対応が必要なのかが見えてきます。
悩んでいることが何であれ、苦しい状況に陥った人の共通する感覚は視野が狭くなる事です。
悩みの元になる事象だけが拡大して本人を苦しめます。

何か一つの事に囚われて身動きが取れなくなった人は、他にもたくさんある物事の見方を理解できなくなってしまいます。
物事には多くの受け取り方もあり、別の世界も又たくさんある、楽しい世界もある。
楽しんでいる人の姿を見せる事も、違う物の見方を思い出す何かのきっかけになる。
「あなたがいろいろな所へ連れて行ってくれて、楽しそうに写真を撮っているのを見ることで私も楽しかったのよ」
そう教えてもらいました。
一緒に楽しもう、そんな気持ちを伝えられたら。





幸せです、と言ってみようよ

2010-01-16 | 人間心理
人間はいつか死ぬ。
これは不確実な未来の話の中で100%確実な話です。
不確実なのは「それが何時なのか」ということだけで、誰にでも平等に訪れる未来です。

長寿はいつの時代でも人間の願いでしたが、逆に長寿なら幸せなのかという問いを立ててみると、そうではないと気付きます。
とりあえず死ぬのが怖いから少しでも先に延ばしたい、という感覚に近いのかもしれませんが、どう生きて何をしたのか、幸せに生きたのか、という大切な観点は抜け落ちています。

幸せであるために必要な物は、物理的な物や条件とは違うはずです。
金、権力、愛、などなど具体的な何かがあれば幸せ、という考え方には自分という主体のはっきりとした意思は抜けていて、世間一般の意見に振り回されていると感じます。
幸せは「幸せだ」と感じる心の動きであって、何かを手にしてもしなくても、幸せだと感じる感じないは人それぞれのはず。
周りを見て自分のモノサシを決めたのでは、自分というものの主体性はなくなってしまいます。


上には上がいくらでもあり、下には下が。
自分の立ち位置がどこであれ、幸せは相対的な感覚ではなく、絶対的なものだと思います。




怒ったら負け

2009-12-28 | 人間心理
交渉事に感情を持ち込む人をよく見ます。
要求が伝わらない為に感情を込めた強い言葉になっていくのを見ていると、何のための要求なのか不思議に思います。

交渉は自分の思う方向へ決定を引き寄せていく方法です。
目的は決定が自分にとって良いものにする事で、駆け引きを駆使して決定への道筋をつける以外に途中経過はあまり関係がありません。
怒りを手段とする方法もありますが、怒りの感情があっては冷静な状況判断ができません。そして相手に与えるイメージや感情を損ねてしまいます。
仕事においては感情を抑えることができても、それ以外の人間関係などでは上手くできない場合も多いようです。

学校への苦情が「モンスター」化してしまうこともニュースでよく目にします。
感情が先走ってしまっては目標とする結果からは遠ざかることが多いのですが。

ムッとする事があるから苦情を言うわけですが、最終目的は現状を良い方向へ変えてもらうことです。
怒りをぶつけただけで相手が自分のために動いてくれるとは思えないでしょう。
相手方が納得して状況を変えるようにするには、感情を交えずに分かりやすい説明と「お願い」が一番有効だと考えています。




昔語り

2009-09-25 | 人間心理
昔友達と博打をしたことがありました。
友人からの誘いですが、連日の勝負で相手の負けが積み上がっていきました。
相手は博打に熱くなっているので止めようとはしないのですが、こちらはハラハラしながらチャラにして止める様に勧告しても聞く耳を持ちません。
負けが一ヶ月の生活費程になった時、もう来るなと言われて紙幣を投げつけられました。
博打には人間関係を壊す要素を内蔵しています。
楽しい遊びではあっても怖さも併せ持つのだとその時初めて思いました。

シルバーウイークは混雑を避けるために、あまり遠出はしないで家でのんびり過ごしていました。
家族が揃って時間のあるときは家庭麻雀なのですが、そんな思い出話をしながら打っています。
勝てばいい、それだけではない事も世の中にはあるのだと気づいて欲しい。
負ける悔しさは体験しているので、少しだけでも分かってくれればいいなと思います。






行動原則

2009-09-24 | 人間心理
楽しくて笑っている人の笑顔を見るのが好きです。
人の笑顔を見ていると自分まで楽しく嬉しくなってしまいます。

昔から面白い話をして人を笑わすのが好きでした。
人を笑わすことの好きな人の話を聴く事も好きでした。
最近になって人は皆そのような傾向を持っているという事も判ってきました。

動物の中で笑うのは人間だけなのだそうです。
でも私には、人間に分からないだけで動物同士のコミュニケーションの中に笑いあいに相当するコンタクトがあると思えてなりません。
それは、笑いの表情の作り方などは人間とは全く違うけれども、同じ種族内では楽しい嬉しい感覚を伝え合える何かだと思っています。
科学で実証されたわけではありませんが、なんとなくそう思える程人の笑顔を求める気持ちは強いと感じます。

社会性を持つ動物には社会を維持するための内圧があるはずです。
そこには報酬系としての圧力もある、自分からそうしたいと思う何かの仕掛けがあるはずです。
科学で解明されていない事はまだまだたくさんあります。
そんな空想もあながち無駄ではないのかもしれません。
世界は歓喜の原則で動いているとしたら、それは楽しい想像です。




博打の効用

2009-09-13 | 人間心理
実は博打が好きです。

パチンコに嵌っているとかそういう話ではなく、博打の美学が好きなのです。
博打打ちの憧れは勝っても負けてもポーカーフェイスを貫くことです。
普通なら勝てば相好を崩し、負ければ頭に血が上るものですが、勝っても負けても平常心を持ち続けるのは並大抵なことではありません。
それが出来るのは強い精神力を持った者でないと不可能です。

家族麻雀をしていますが、子供達は初めの内は負けてばかりいます。
泣きながら
「もうやらない」
と言う事もありましたが、今では降りる事(上がり牌をふらない様にする事)も覚えて、それなりの戦果を挙げられるようになりました。

大切なのは麻雀のルールを覚えることではなく、一緒に卓を囲む人に対して気遣いが出来るかや、負けてもくさらないでゲームを続けることが出来るかどうかです。
お金のかからない家庭麻雀ですが、ゲームとしての面白さは充分にあるので子供達は必死に覚えます。
楽しいから続けるという遊びには、人としての成長に大切なものを内包しています。






夜と霧

2009-08-26 | 人間心理
題名は知らなくても、ナチスの収容所で極限状況から自分を見失わず生還した精神科医の話といえば、思い当たる方も多いと思います。
著者のヴィクトール・フランクルはこの本の中で、
「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ」
と語っています。

日常生活の中で、自分が苦しいときや周囲の状況が険悪な時など、何かジョークを考えたり話したりすることで事態が好転するのはよくあることです。
周りの人間関係に分かり合えない怖さを感じるとき、ユーモアは自分を守る鎧の役目も果たしてくれます。

笑うことは自己免疫力を向上させるそうです。
精神だけでなく肉体も、笑うことによって守られています。
物事をおもしろいと感じる感覚は、もともとの性格もありますが色々な事柄に興味や疑問を持ったり連想や空想をしたりなど、知的な自由さの上にあると感じます。

自意識が頭をもたげてくる思春期以前の子供時代に、どれだけたくさん自由に遊んだかが面白さを感じる基礎になるのかもしれません。
子供の遊びは社会性を育むだけでなく、ユーモアを介在させて生きる力も創っているのです。