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狩猟と漁労

2014-02-15 | 思うこと
昔はダイビングをしていました。
日本のあちこちを潜り歩きながら思ったのは、特に僻地ではとても魚影が濃いことです。
交通機関が不便な場所ほど、たぶん出荷に時間がかかるとか運賃が高いとかという理由なのか、感動するほど魚の数が多い。
そういう所では岸の近くまで回遊魚も来るし、釣竿の下をサメが何度も通るので釣れないという体験もしました。

青森県内でダイビングをした事はありませんが、陸奥湾では手漕ぎボートで岸から500mでもタイの大物が釣れるとか。
海に潜っていた頃は、大潮の上げ潮時にチヌ(タイの仲間)などが水深50cm程度の浅瀬まで来るのを何度も目にしています。
カツオの群れが小さな入り江まで入ってくるのも見た事があります。
海の中は陸とは比べ物にならないほど生物の密度が濃い。

縄文時代は狩猟採取の時代とよく言われます。
でも陸上の動物はそれほど密度多く生息しているわけではなく、捕るにも難しい。
縄文時代の人々も陸上動物より魚や貝を主に採っていたのは貝塚などの遺跡からも明らかですし、たぶんその時代は日本のどこでも魚影は濃かったのだろうと思います。
北日本では季節を少しずつ変えながら、鮭やサクラマス、ニジマスなどのトラウト類が産卵のため川を遡上します。
当地でも作られている鮭の干し肉である「鮭トバ」は、アイヌの人々の保存食であり換金生産物でもあったわけですが、常温保存しかできなかった時代には、海で獲れる脂ののった鮭より川を遡上する油の落ちた鮭の方が、干物にした時の油焼けが少なく好まれたとか。
「狩猟採取」の名称は想像による誤解を生む言葉だと思うのです。

想像による誤解といえば、古事記のイザナミ・イザナギの話の中で、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)は地底に伸びた洞窟の様な想像をしてしまいますが、古い時代に山が葬送の場であった歴史を考えると、黄泉比良坂は山上へと続く坂道だったのではないかと思います。
などと考えていたら、Wikipediaに書かれていましたね。
黄泉
あの地底の洞窟のイメージは、子供の頃に見た子供向けの本の挿絵のせいなのでしょうか。

写真は昨年一戸町での藍染展示イベントのもの。