山で木を切る杣人・山子といわれる人々も機械化された現代ではほぼいなくなり、その伝承も途絶えようとしています。
そんな山仕事を書籍より抜粋してみました。
採面を分ければ、山子の仕事に入るわけだども、最初の一日は一本だけ伐って飯場に帰ると、山の神様に拝んだものだス。これを鉞立て(まさかりだて)といったが、これがら山で仕事するんて、怪我しないように守ってけれど、山の神様に頼むわけだスな。
(P60)
杣が山に入り木を切るとき、一番大切なことはその木が倒れる方向だ。高さが30メートルぐらいもあり、1トン以上もの木が倒れるのだから、極めて危険な作業だ。<中略>・・そのとき、うまい杣人は狙った方向に正確に倒す。もちろん人のいる方向には絶対に倒さない。それだけでなく、倒すとき、別の木にぶつからないように倒す。別の木にぶつかると、倒された木もぶつけられた木も傷がつき、材としての価値が下がってしまうからだ。
(P95)
【聞き書き資料】秋田杉を運んだ人たち 野添憲治著 御茶ノ水書房
山で木を切る仕事は危険と隣り合わせでした。
作業の安全を願って山仕事を始めるときは山の神様を祭り、山の中での戒律も厳しく守られていたそうです。
仕事中は尻を下ろすな、木を倒すときは大声を上げよ、など安全のために必要な戒律もありますが、山の神様は女性だから身だしなみを整えなければいけない、など宗教的な戒律も多かったようです。
どちらとも言えないのが「忌み木」に関する言い伝えで、暴れ木、癖木、窓木など。伐ってはいけない、伐ればよくない事が起こると言われていた木の事で三股の木もここに含まれます。
これは奇異な形をした木に神性を感じるからという理由の他に、伐り倒す際にどこへ倒れるのかの予測が付き難く危険だからとも言えるのでしょう。
上に挙げた書籍の中にはこのように書かれています。
ただ、現場には何本かの、特別に難儀な木があったもんだス。根上がりをして棚を組まんと伐れない木とか、丸太のような枝がついている木とかで、これをあぼれ木といったものね。
今も生きている巨木は何かしらの理由があって伐られずにいた木でした。
その理由の一つに、伐り倒すさいの危険が挙げられます。
伐り倒す事もあったものの、神様の依り代などとしてそのまま残しておくことも多かったらしく、そうして残った木が神格化した場合もあったはずです。
杣人・山子と同じように山に用材を求めて入っていた木地師は、山に作業小屋を作るとき、近くの老木や巨木を御神木として祭ったとも。
日本において神は、災いをもたらす者でもあったのです。
参考図書
秋田杉を運んだ人たち 野添憲治著 御茶ノ水書房
本朝巨木伝 牧野和春 工作舎
木の聲 橋本正 小学館
そんな山仕事を書籍より抜粋してみました。
採面を分ければ、山子の仕事に入るわけだども、最初の一日は一本だけ伐って飯場に帰ると、山の神様に拝んだものだス。これを鉞立て(まさかりだて)といったが、これがら山で仕事するんて、怪我しないように守ってけれど、山の神様に頼むわけだスな。
(P60)
杣が山に入り木を切るとき、一番大切なことはその木が倒れる方向だ。高さが30メートルぐらいもあり、1トン以上もの木が倒れるのだから、極めて危険な作業だ。<中略>・・そのとき、うまい杣人は狙った方向に正確に倒す。もちろん人のいる方向には絶対に倒さない。それだけでなく、倒すとき、別の木にぶつからないように倒す。別の木にぶつかると、倒された木もぶつけられた木も傷がつき、材としての価値が下がってしまうからだ。
(P95)
【聞き書き資料】秋田杉を運んだ人たち 野添憲治著 御茶ノ水書房
山で木を切る仕事は危険と隣り合わせでした。
作業の安全を願って山仕事を始めるときは山の神様を祭り、山の中での戒律も厳しく守られていたそうです。
仕事中は尻を下ろすな、木を倒すときは大声を上げよ、など安全のために必要な戒律もありますが、山の神様は女性だから身だしなみを整えなければいけない、など宗教的な戒律も多かったようです。
どちらとも言えないのが「忌み木」に関する言い伝えで、暴れ木、癖木、窓木など。伐ってはいけない、伐ればよくない事が起こると言われていた木の事で三股の木もここに含まれます。
これは奇異な形をした木に神性を感じるからという理由の他に、伐り倒す際にどこへ倒れるのかの予測が付き難く危険だからとも言えるのでしょう。
上に挙げた書籍の中にはこのように書かれています。
ただ、現場には何本かの、特別に難儀な木があったもんだス。根上がりをして棚を組まんと伐れない木とか、丸太のような枝がついている木とかで、これをあぼれ木といったものね。
今も生きている巨木は何かしらの理由があって伐られずにいた木でした。
その理由の一つに、伐り倒すさいの危険が挙げられます。
伐り倒す事もあったものの、神様の依り代などとしてそのまま残しておくことも多かったらしく、そうして残った木が神格化した場合もあったはずです。
杣人・山子と同じように山に用材を求めて入っていた木地師は、山に作業小屋を作るとき、近くの老木や巨木を御神木として祭ったとも。
日本において神は、災いをもたらす者でもあったのです。
参考図書
秋田杉を運んだ人たち 野添憲治著 御茶ノ水書房
本朝巨木伝 牧野和春 工作舎
木の聲 橋本正 小学館
神とは程遠い製造現場に居た時でも、4S5Sと身だしなみは厳しくやられましたし、走るな叫ぶな気を抜くな、は基本でした。
死に近い仕事にあればこそ、判り易い例えの一つとして「神」の名を借りて仕事の作法を伝えたのだと感じます。
鍛冶屋さんも船乗りさんも、みな神様祭ってます。今の職場には緑十字かな?(笑
柏手の代わりに「今日もゼロ災で行こう、ヨシ!」じゃないかと。(大笑
で、先日元職場の先輩方とお話しして、派遣業法改正に伴う人夫出しが復活したせいで安全も何も吹き飛んだし、技術の伝承も何も無くなった…と。定年まで残り1年、この勤務期間の過ごし方に悩まれていたのが印象的でした。
こんな資料何処で見つけました凄いですね。
色々勉強になります。
掲示板見ましたか?八戸で新発見があったみたいです。できたら一緒に廻りたいですね。
そういえばミドリ十字も十字型。
過去と現在は見えない形でつながっているのかも。
伝承は意も変わらず大切なものなんでしょうね。
八戸の松、見に行きたいところですが雪道運転には自信がないんです。
三沢市のE氏も一緒に行くかもしれません。
連絡を頂きたいと思います。
私の名刺にケイタイの番号が載っています。
正月にカンジキでトライしてみたいと考えています。
調査出来たときは掲示板でお知らせいたします。
アカマツは調査できませんでしたが、他の巨木を見れたので満足しています。
また行きましょう。
予想以上にすばらしい巨木が、こんなに身近にあったと言うことに吃驚しています。
田子方面も非常に興味のあるところ。
次もよろしくお願いします。
いつの日がご案内します。