横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

ノブキとオトギリソウ

2009-09-15 07:52:30 | 近所

久しぶりに泉の森へ行ったら、蕗のような葉に白い花が咲いていた。



ノブキ(キク科)
ノブキの頭花は花序の周辺部に雌花が、中央部に両性花が少し遅れて開花する。



両性花のアップ。構造がよく分からないが、目立っているのは雄しべだろうか。




不規則な放射状に実ができる。
実の先には粘る腺体があって、ひっつき虫になる。




オトギリソウ(オトギリソウ科)
泉の森につながるふれあいの森の道端に黄色い花が一株ひっそりと。



この黒い腺点からもオトギリソウと思われる。
これまでも毎年咲いていたのだろうか。




石榴草

2009-09-14 07:00:41 | 近所

ザクロ(ザクロ科)
ザクロの実、まもなく割れるだろうか。



追分市民の森の畑の縁で小さな白い花がたくさん咲いていた。



ザクロソウ(ザクロソウ科)
初めて見た花で、調べてみたらザクロソウらしいと分かった。

葉や実がザクロに似ているから命名されたとのことだが、葉はどうだろうか。



直径3mmぐらいの花には花弁がなく萼片が5枚。
雄しべは写真では3本だが中には4、5本のもあるらしい。
写真では分かりにくいが子房から花柱が3個出ている。



名前が分かってから、特徴的なところを確かめようと再度撮りに行ったら、
このように花がなかった。

どうやら朝、日差しを受けて開花し、午前中には閉じてしまうようだ。
だから、こんな花があることに気付く人も少ないかもしれない。


スベリヒユ(スベリヒユ科)
この閉じかけのスベリヒユなども同じような性質を持っている。
スベリヒユの場合は花があったことも分からないほどに変化するので、
いつかまた経過観察したい。



ところで二つ上の写真は花がなくてガッカリした時のものだが、撮っておいてよかった。
画像を拡大して眺めていると、小さめで薄い色の蕾に混じって紅っぽい実が見えた。




さらに別の部分を拡大すると実がはじけている。

なるほどこれならザクロソウと納得できる。


クサノオウ

2009-09-13 07:31:11 | 近所

近所の草むらにクサノオウが盛んに咲いている。



クサノオウ(ケシ科)
クサノオウの花期は春から8月ぐらいとされているが、実際にはずいぶん遅くまで見かける。
茎や葉や萼に白い細かい毛がたくさん生えている。



3~4cmの細長い実がなる。




近くではオオシオカラが一休みしている。



こちらはシオカラトンボ。オオシカラに比べてかなりスマートだ。

複眼の後ろ、頭の上にちょっとした突起が見られる。
これまで気づかなかったが何だろう。

クズの花と、いろんな実の今

2009-09-12 08:23:02 | 近所

クズ(マメ科)
近所のあちこちで、だいぶ前からクズの花が咲いている。
実になる前に一枚は撮っておこう。
前で暈けているのはミズキの実で、クズのほうは大きな花に比べると貧弱な豆がなる。



ネムノキ(マメ科)
7月に咲いていたネムノキは大きな豆ができている。
長さ10cm以上の莢にたくさん豆が入っているようだ。




コブシ(モクレン科)
ほかの木の実も何種類か見た。
この独特の姿のコブシの実は、もっと熟すとはじけて中からだいだい色の実が出てくる。



ホオノキ(モクレン科)
ホオノキの実はかなり大きい。
形は少し違うがコブシと同様の集合果で、熟すとやはりだいだい色の実が出てくる。




ユリノキ(モクレン科)
同じモクレン科でもユリノキの実は、
枯れ色になった翼つきの種がひとつずつはがれて風に舞う。




ムクロジ(ムクロジ科)
ムクロジは2cmぐらいの球形で茎につくところが少し膨れている。
熟すと黄色くなって落ちる。



青い実のときは茶色い種も熟すころには黒く硬い種になって、
昔は羽子板の羽根のおもりに使われた。

中を確認しようと皮をはがしていたら、手がベトベトしてきた。
エゴノキと同様にムクロジの果肉にはサポニンがたくさん含まれていて泡立ち効果がある。


ヒガンバナと蝶

2009-09-11 07:17:37 | 近所

近所でヒガンバナが咲き始めた。



いくつかの花がシベを放射状に伸ばして、一つの花のような形を作っている。



この色と形に誘われたか、やってきて花の芯を探っているのはキアゲハ。



よく似ているアゲハは湿地で水を吸っていた。
カラスアゲハなどを含めてアゲハの仲間は大きくて目立つ。



これはアゲハに似た模様だが、タテハチョウの仲間のアカボシゴマダラだ。
もともと南のほうや中国に住むチョウだけど、誰かが放蝶して神奈川に住みついたらしい。



こちらはカタバミなどのまわりでしばしば観察できるヤマトシジミ。
平地では最も数の多い蝶ではないだろうか。
小さいけれど、羽の細かいデザインはなかなかのものだ。


初めての野草

2009-09-10 08:07:08 | 近所

瀬谷市民の森から隣接している追分市民の森のほうに回ると、
田んぼが稲刈りを待っている。

わかりにくい写真だけれどスズメたちが飛び立ったところだ。
イネばかりでなく草の実など食べものが豊富なのだろう。



アマガエルが寝ているところを起こして、睨みつけられた。



コバノカモメヅル(ガガイモ科)
林の縁に行くと紫色の星みたいな花が咲いていた。



この近辺でコバノカモメヅルが咲くとの話は聞いたことがあるが、実際に見たのは初めてだ。
よく見かけるガガイモと同じような実ができるのだろうか。
はじけて綿毛の種を見るのが楽しみだ。



コバノカモメヅルの下のほうに、何やら小さな白い花が咲いているのを見つけた。
初めて見る花だが、花の形はアカネ科のように見える。



ハシカグサ(アカネ科)
家へ帰って調べてみて、ハシカグサではないかと推定する。
そう珍しくもないらしいが、これまで気づくことがなかった。
そういう目立たない野草はまだまだあるのだろう。


そんな中の一種類として、この近くで見つけた小さな白い花がある。
こちらは少し調べてから記事にしたい。


林のうちそと

2009-09-09 08:16:15 | 近所

市民の森の縁でパーっと白いものが広がっていた。
センニンソウだ。



センニンソウ(キンポウゲ科)
きのうのオトコエシと同様にセンニンソウも昨年ここで見た覚えがない。
数年前にはガガイモが蔓を伸ばしていた。



森へ入ろうとしたらクロヒカゲが地面に止まっていた。
吸水でもしているのだろうか。
クロヒカゲはクヌギなどの樹液を吸い、幼虫はイネ科を食草とする。



チヂミザサ(イネ科)
この森の中はチヂミザサがたくさん広がっていて、
この時期は葉が白くなっているのもある。



また伸ばした花茎に目立たない小さな花を咲かせている。
ブラシのようなのが雌しべで、極細の花糸に白い葯が付いているのが雄しべらしい。



そろそろ実りはじめだろうか。
しっかり実るとベタベタして強力なヒッツキ虫になる。


久々の市民の森

2009-09-08 07:39:42 | 近所

久しぶりに市民の森へ行った。
入口近くでオトコエシが咲いているのがすぐ目に入った。



オトコエシ(オミナエシ科)
昨年までは、この場所にこんなに目立つほど咲いていた記憶がない。
森の中で花の咲く場所が移ることもあるようだ。



ノハラアザミ(キク科)
春から咲いていたノアザミに代わってノハラアザミが咲き始めていた。



蕾の姿もなかなか面白い。



フジカンゾウ(マメ科)
オトコエシやノハラアザミにも近い林の縁に
少し前から咲いていて実もたくさん付けているヌスビトハギに似ているが、
やや大きくて小葉も5~7枚あるフジカンゾウも咲いていた。



マメ科らしいしっかりした花だ。

赤い複眼が目立つ小さな虫がいた。
ハラキンミズアブなどアブの仲間と思うが、正確な名前は知らない。





花と虫

2009-09-07 08:05:26 | 近所

ニラの花にヒメアカタテハ。



同じくニラの花にイチモンジセセリの後姿。
こんな形のジエット戦闘機がある。



ゼニアオイに来た蜂。
羽が短く胴長。ハラナガツチバチの仲間だろうか。



こちらにも蜂がやってきた。



アレチウリの雌花に止まったのはキイロスズメバチ?
蜜を吸うのに夢中で、刺される気がしなかった。



こちらがアレチウリの雄花。
アレチウリは河川等で繁殖力が強いので迷惑がられる。

その後に見たチョウ 

2009-09-06 07:48:51 | 近所

シータテハ(タテハチョウ科)
8月20日に蝶の記事を書いて以降に目にしたチョウが何種類かある。

シータテハの名前は後ろばねの裏側に C のイニシアルが入っているからで、
同じように L のイニシアルが入っているのはエルタテハと呼ばれる。



2頭が並んで木に止まったが、イニシアルが分かるようには撮れなかった。

アザミの蜜を吸ったりクヌギなどの樹液にも集まる。
幼虫の食草はニレ科のハルニレなどらしい。



ツマグロヒョウモン(タテハチョウ科) 雄
コスモスなどキク科の花の蜜が好きなのに、どういうわけかズーっとここに止まっている。
幼虫はスミレ科を好むので、ツマグロヒョウモンを住宅街でもよく見かけるようになった。



チャバネセセリ(セセリチョウ科)
セセリチョウの仲間は小さくて蛾と間違われることもある。

チャバネセセリはイチモンジセセリとよく似ているし近くにいることも多い。
どちらも幼虫の食草はイネ科やカヤツリグサ科の植物だからだろう。



キマダラセセリ(セセリチョウ科)
河原や草原などで見られるキマダラセセリもやっぱりイネ科の植物を食草とする。



ダイミョウセセリ(セセリチョウ科)
林の縁で見たダイミョウセセリはちょっと派閥が違うようで、ヤマノイモ科の葉を食草とする

また関西型は後ろばねにも白い帯がはっきりとあるらしい。




慕古の旅 ふりかえって 完

2009-09-05 06:00:57 | イベント

最終日。福井市内から午前中歩いて永平寺の近くまで来た。
お昼を食べてシャワーを浴びてから、門前町をゆっくりと永平寺に向かう。



正門ともいえる龍門に来た。
向かって右の石柱に「杓底一残水」 左の石碑に「汲流千億人」との道元禅師の教えが刻まれている。
杓に残ったわずかな水も川へ戻せば、その流れの先では千億もの人が汲む。
もっと深い意味があるのかもしれない。



ここが一般の参拝者が利用する通用門だが、我々はこの前を通過した。



整列して唐門に向かう。



かなり手ぶれしているが、永平寺の僧侶の方たちが待っておられる山門に向かう。

永平寺で修行することを許された入門僧がこの山門から入るので、我々は脇から通らせていただいた。



法堂からの眺め。

この後、荷物を置かせていただいて承陽殿に向かう。
承陽とは道元禅師のことであり、
承陽殿は道元禅師御真廟すなわち道元禅師の御霊骨と二世孤雲禅師の御霊骨が祀られている。
特別に中へ入れていただいて献香した。



その後、法堂や僧堂など七堂伽藍を案内していただいたが割愛する。




昼間の助け合いながらの行進、夕食と座禅の後の語らいなど、
初めて会う人たちとの一週間の旅は充実したものであった。
各所で拝登したときに親切にしていただいたお寺の方々や沿道で励ましていただいた多くの人たちに感謝したい。

慕古の旅 ふりかえってー2

2009-09-04 07:56:55 | イベント

27日、大原の宿を出て寂光院の近くを通って途中峠を歩く。
今回の旅は旧道を通ることも多く車道を下に見て草木の中を進む。
途中峠を越せば滋賀県に入る。



途中峠を越えても上り坂はまだまだ続く。
この花折峠、30日の木の芽峠、永平寺を目前にしての越坂峠では、
急坂なのと車がほとんど通行しないので隊列を崩して各自のペースで歩く。
友人は御頂相を背負っても一番で上り切った。
私は木の芽峠で御頂相を担当した。



花折峠を越すと鯖街道は葛川とともに下っていく。葛川は安曇川となって琵琶湖にそそぐ。
この街道沿いには、このような造りの家が多い。なんという様式だろうか。
段々畑に作物がないのがさびしい。



夕方になって朽木(くつき)の 興聖寺に着き献香を済ませた。



このお寺には足利義晴、足利義輝両将軍が落ちのびていたことがあり、
この庭園の石に座って月を眺めたこともあるらしく足利庭園と呼ばれている。



関西花の寺のひとつでもあるそうだが時期的に見るものはなかった。
ただ足利庭園でクワイの大きな葉を見られたのはよかった。



翌日、鯖街道を進む。昔は細い道で木々がうっそうとしていたのだろう。
前を歩く人は77歳。



保坂のあたり。これから水坂峠(みさか とうげ)を越えて福井県・熊川宿に向かう。



若狭の熊川宿は近江に接する国境の宿場町として大いに繁栄していた。

詳細はこちらのサイト 熊川宿 で。


道の駅で昼食のあと、しばらく自由散策で熊川宿の街並みを見る。




ここは復元された熊川番所。道標には小浜へ4里と書いてある。



両側の家々には人が住み商店もあるが、見学者以外に歩く人の姿は少ない。



宿場のはずれに孝子與七の碑があった。
江戸時代、貧しい暮しの与七とその妻は自分達は貧しいものを食べても、
父母にはご馳走を食べさせて孝行のかぎりを尽くし藩主に行いをほめられたそうだ。



三方・若狭町の円成寺は、福井県指定天然記念物の「みかえりの松」でも有名だ。
樹齢250年、樹高12m、幹周り4m、枝張りは全方向に半径15mを広げている。

この日は三方、翌日は敦賀で泊まる。
敦賀の宿は風呂が狭かったので、近所の銭湯を利用してのびのびした。



今回の旅の最大の難所、木の芽峠。
木の芽峠登山口から標高628mの頂上まで細い山道が続いた。
転んで御頂相を壊さないよう気を遣った。

この木の芽峠は平安初期に開かれて以来、多くの旅人に利用された北陸道であった。
親鸞、木曽義仲、源義経、新田義貞、蓮如など多くの歴史上の人物が越えた峠でもある。
茶屋風のこの建物は番所としての役割を果たしてきたそうで、
慶長年間から平氏を祖とする前川家が管理してこられ、現当主は46代目だそうだ。
豊臣秀吉、明治天皇も滞在された部屋がある。



道元禅師は永平寺を開山の10年後、病気療養のため京へ向かうときにこの峠を越えられた。
前川家の向かい側に道元禅師など三師の顕彰碑がある。
道元禅師をはさんで向かって左が同行の孤雲禅師、右が後を託されて永平寺に残った徹通禅師の碑だ。



31日は朝5時に出発し福井市までの46kmを歩き、御誕生寺、龍泉寺、宗生寺などで献香した。





御誕生顕彰碑
曹洞宗では道元禅師を高祖、4世瑩山禅師を太祖と呼んでいる。
瑩山禅師は武生の豪族の子として、この顕彰碑の近くで生まれた。
出家して徹通禅師のもとで修行ののち道元禅師の教えを各地で広めることにつとめ、
54歳のとき能登に総持寺を建立された。

総持寺は永平寺と並び曹洞宗の両大本山の一つであるが、
明治に入って火災にあったため横浜・鶴見に移転した。



曹洞宗管長でもあった板橋興宗師が2002年この地に小堂を建設して御誕生寺を開かれ、
今年に入って本堂も完成した。
全国から集まった十数名の僧俗が坐禅と托鉢そして作務の毎日を送っておられる。
外国人の方も見かけた。



長々とした記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。

慕古の旅 ふりかえってー1

2009-09-03 07:51:37 | イベント

8月26日の朝に自宅を出て、10時半ごろ京都の建仁寺に着いた。
しばらくすると、伏見から歩いてきた「道元禅師入越足跡・夢街道慕古の旅」一行が到着した。
合流させていただいて、道元禅師の師・明全和尚のお墓に献香した。
この様子は27日の京都新聞「京日記」で紹介された。

「京日記」



建仁寺を出て八坂の塔に向かって歩く。
このように隊列を組んで歩くのが基本だ。
先頭に隊長、「道元禅師 慕古の旅 行脚」の幟、御頂相、僧侶、参加者、アンカーと続く。
前後からの車や自転車、横断歩道・信号などで注意しあって歩く。



円山公園に入り西行庵の隣にある道元禅師の荼毘塔に献香した。

このあと知恩院、平安神宮、宝が池など市街地を北上する。

参加者の大きな荷物を運ぶ伴走車2台がサポートして水分補給に万全を期したり、
足腰や熱中症など体調を崩した人は乗っていくこともできるので安心だ。



ちょっと記念撮影。これは翌日の写真だが御頂相(ごちんぞう)などの説明のために・・・
向かって左の人が御頂相を背負い、右の人が幟を持っている。
坂道の状況や暑さなどにもよるが30分ぐらいを目安に全員が交代で担当する。



この御頂相には「道元禅師の肖像」が納められていて、お寺などで献香するときには扉を開く。

頂相WIKIPEDIA



3時頃、比叡山への入口である八瀬駅で一休み。なつかしい場所だ。
昔は京福鉄道の叡山線で、叡電と呼んでいた。今は京阪叡山電車らしい。



このあと大原まで歩いて民宿についた。
団体行動ゆえ交代で「お茶当番」があり、風呂に入り、洗濯をし、夕食をとったあと座禅を行う。


ツルニガクサなど

2009-09-02 08:20:21 | 近所

7日間の慕古の旅を歩き終えて昨夜帰宅しました。
留守中、たくさんのコメントをいただき、誠にありがとうございました。
携帯で読ませていただいて大変な励みになりました。
一つ一つに返信できませんでしたことをお詫びいたします。

重いカメラを持ち歩かなかったのと団体行動で写真も少ないですが、いずれ記事に致すつもりです。


今日は出発前に作っておいた記事を掲載させていただきます。



ツルニガクサ(シソ科)
先日の戸川林道ではツルニガクサを見ることができた。

7月に近所でニガクサを見ている。
ニガクサ の記事

ツルニガクサはニガクサに比べて背も低く花もずっと小さい。



ハダカホオズキ(ナス科)
ハダカホオズキも小さな花だが、実った姿を見るのが楽しみだ。




花の少なかった林道でカラスアゲハが水分かミネラルを求めて地面あたりを飛び回っていた。
落ち着かなくて、きれいな色を撮らしてくれなかった。





慕古の旅 7日目

2009-09-01 06:00:00 | イベント



慕古の旅 今日の予定


 いよいよ最終日。18kmと距離は短いが、7時15分に出発。
 永平寺街道を進み、10時頃には越坂峠(こえさかとうげ)を過ぎる。
 永平寺三道を通り、12時に門前に着く。

 中食ののち龍門で記念写真、山門で三拝する。
 承陽殿下壇拝謁、焼香する。承陽殿本殿には道元禅師の霊骨が祀られている。

 本山挨拶、諸堂を拝観ののち完歩記念碑賞状をいただいて下山。
 3時半に門前で解散。

 1週間同行した仲間と別れを惜しんで、今日中には帰宅の予定。