上の写真は、どんぐりさんより届いた原稿の一部です。
以下、その内容を紹介します。
………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2015年11月29日、高校の同期会が松島で開かれた。そこに参加する機会に見ておきたいところがあった。奥松島の縄文村歴史資料館をはじめとする史跡里浜貝塚だ。
石巻駅で尋ねると、駅員さんはわからなかったらしく、目の前でiPadで調べて、東名駅で降りるように教えてくれた。
それほどに地元でも知られてないということにまず驚いた。それも、沿線の観光地や主な施設を知っていなければならないだろう駅員さんがわからないとは……。
それでも駅員さんに言われたとおりに東名駅に降りて、私はまた驚いた。
小さな新しい無人駅で、周りは復興住宅を建てるための団地の造成が行われている最中だった。津波をかぶったため高台に移転した駅で、団地ができてから駅員さんを配置するつもりなのだろう。日曜日のため建設機械も止まったままで、ひとっ子ひとりいない。
そこに書いてあったタクシーの電話番号で、野蒜駅の奥松島観光タクシーを呼んだ。
つまり野蒜駅に降りたほうがタクシー会社もあったし、道もそのほうが近かったのだ。
野蒜北部丘陵団地案内図とイメージ図
造成中なので、こんなにも山肌を削ったということがよくわかる
駅前には、たしかにこんなポスターも貼ってあって、この駅を中心とした観光の目玉がわかるようになっていた
…………
これからの希望の土地の造成場所なのに、誰もいない荒野に佇む心細さを感じていたところに、やっとタクシーが1台やってきた。
宮戸島から最後は松島まで乗せてほしいとお願いしたら、観光案内をしながら回ってくれた。
運転手さんは、以前西武系列で働いていて、ここの都市開発やゴルフ場建設をしようとしていたそうだ。
しかしそれも失敗して西武は撤退したそうだ。
・・・・・・・・・・・
久しぶりの宮戸島だった。
復興支援している団体が、ここの牡蠣の養殖をしている方を何人か支援していると言っていたなあと思い出しながら、車窓の牡蠣養殖の船をながめた。
昔知っていた奥松島とイメージが違うので、初めての地に来たつもりでお話をうかがった。
奥松島縄文村歴史資料館では、タクシーに待ってもらって中をさらっと見た。
縄文時代前期から弥生時代中期までとは、かなり時期が長い。貝塚の規模も日本最大級で、東西約640m、南北約200mもあるという。
次に少し離れた貝層観察館を見る。はぎとり展示というのだったろうか。貝塚の断面を切り取っていて、地層がよくわかって面白い。
貝殻や動物の骨や土器の破片などが地層に埋もれている。動物も貝塚に現れたという設定で、オオカミ(?犬か?)のレリーフも貼り付けてある。
縄文土器もこんなふうに展示できると普通に並べて展示するより面白いかも。
短い時間であったが、興味のあるところを見ることができた。
里浜のほうも見ればよかったのだが、暗くなってきたのでやめにした。
また機会があったら来ることにして、そのタクシーに同期会の宿まで送ってもらった。
東京に帰ってから、北海道と北東北の縄文の遺跡を世界遺産に登録してもらおうという動きがあることを知った。
もうちょっと下って、奥松島のこの遺跡も交ぜてもらうといいのになあと思った。
………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どんぐりさん、原稿ありがとう。
私も全線開通した仙石線に乗って造成中の宅地を見ましたが、本当にまだ誰もいませんでした。この宅地が2~3年後にはどんな様子になっているのでしょうね。
奥松島縄文村面白そうですね。
もっと知らせてほしいですよね。
新しい町ができるのを待ってからでなく、冬は牡蠣小屋で焼いて食べる祭りとか、土器風のなべで魚を煮て食べるとか、凧揚げ大会
冬でも何か行事をたくさんやってみればいいのにねえ。
小さいことから始めてみればいいのにと思いましたよ。
野蒜・東名の駅は山を崩して作ったのですね。大丈夫なのかな?と思ってしまいました。
むかし、野蒜の駅に降りると松林が見えて、
奥松島縄文村は私も知りませんでした。震災前からあったのですね。人がたくさん集まるところになるといいですね。