いつの日か、台湾に行ったら行ってみたかった場所があります。
それが、「烏山頭ダム」です。実はここには、台湾と日本との深い関わりの物語があります。
日本統治時代、台湾総統府に技師として来た八田與一さんは、
日本政府を説得して、この地に壮大なダムを建設しました。
この地方は温暖な気候なので、今では1年に3回もお米がとれるそうです。
嘉南平野は以前は雨が降ると大洪水となり、サトウキビすら育たなかったといわれる
不毛の地で常に旱魃の危険を抱えていました。
八田技師は、この地に当時アジア最大と言われたダムを建設し
1万6000キロにおよぶ網の目のような用水路を張り巡らせました。
私が聞いた話では、八田さんの当時の仕事ぶりを知っている台湾の方が
八田さんがどれだけ熱意があって、素晴らしい取り組み方をしていたか
言葉では語りつくせないが、自分は一緒に仕事をして八田さんの
背中を見て生きてきたので、わかると・・・・。
日本では、八田與一氏のことを知っている人は少ないでしょうが
台湾ではほとんどの方がご存知です。
天壇文化展示会館
ダムのいろんな資料が展示されていました
烏山頭ダムの中は、すごく広いです~
途中でこんな河川敷のような景色が広がっていて
風に草がそよぎとても素敵でした
日本語
台湾の若者たちが、湖に向かって何かを叫んでいました
なんだかとっても楽しそうでした
残念ながら、つり橋は渡れませんでした
すべてが生き生きとしています
とても静かな場所です
八田さんは、穏やかにダムを眺めていらっしゃいました
この後方に八田ご夫妻のお墓があります。
この八田さんの銅像には、エピソードがあります。
台湾の独裁時代、日本統治時代のものは全て壊されました。
八田像も壊されてしまうことを心配した村人がこれを隠しました。
更に、もし見つかってしまった時のために、型まで取ってあったそうです。
やがて時代は変わり、独裁政治も終わり、再び八田像は日の目をみることになりました。
1942年陸軍に徴兵された八田さんはフィリピンへ船で向かう途中で
アメリカの戦艦に撃沈され帰らぬ人となりました。
その後奥様も後を追うように、この烏山頭ダムに身を投げました。
台湾では離婚が多いそうですが、このご夫婦の在り方に敬意を感じる
台湾人も少なくないと聞きます。
八田さんの像から見える景色。
八田技師記念室
(月曜日で休館でした・・・残念)