腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

身近にいたすごい人と言い訳ばかりの人たち

2011年10月23日 02時17分05秒 | 日記

 久しぶりに高熱でダウンした。さすがに、頭が働かないので、一日完全オフとした。

 世界最高峰とされるがんセンターに留学して二年、改めて気づいたことがある。

 意外に思われるかもしれないが、地方大学にもかかわらず、日本の自分の医局のレベルがとても高かったことである。

 前教授は私の分野では日本のパイオニアであり、いまだに日本でトップクラスの研究費を獲得され、精力的に働いておられること。

 もう一人、悪性リンパ腫が専門の先生は、国内だけでなく国際的も高い評価受けておられ、WHOのブルーブックにも著者として名を連ねておられる!最近も、臨床腫瘍学で最高レベルのジャーナルに論文がアクセプトされた。ちなみにこの先生は留学経験がない。

 このお二人は、こちらの上司と比べてみても、能力的には決して劣っていないどころか個人的には上だと思う。政治的に動き回り、大物になっていく「技術」はないかもしれないが、こんなことは本質の話ではない。特に、後者の先生は、ご自身の地道な努力で今の立場になられたことは、外の世界を見たものとして驚愕に値する。実は、ひそかに最も尊敬する医師である。

 それに比べて、若い医局員は元気がないとぼやく声がいろいろなところから聞こえてくる。私も含めて、仕事にかける情熱がこのお二人にまだまだかなわないのかもしれない。
 また、医局の若い先生が研究に関心を示さないという声もこちらにも届いてくる。嘆く前に、嘆いている側の先生が研究の面白さ、奥深さを若い人たちに感じさせないことがこのような状況を招いていないだろうか。医局の若い人たちの能力は間違いなく高い。

 思うに、そもそも医局員全員が研究をする必要があるのだろうか。実地臨床は、臨床の教室としては、もっとも大切なパートであり、その分野の専門医師を要請して、地域の基幹病院に派遣していくことは立派なことである。ただ、大学である以上、研究を行わない医師は順次、若い世代に席を譲り、大学から基幹病院に移り、組織の「新陳代謝」をよくしていくことではないだろうか。大学であり、学位授与権がある以上、明日の医療のための研究をすることは使命である。その使命を果たせないのであれば、大学院を放棄して医師養成専門学校になればいい。旧帝大をはじめ、立派な大学院大学はほかにもたくさんある。ただ単に、研究もやらなければいけないから、研究をする人間も必要だなどというような消極的な発想ではいい仕事は絶対にできない。

 正直に言えば、私は圧倒的に研究よりも臨床が好きだ。眠たい目をこすってまで、お金にもならないことを継続するためには、ある種の憧れをともなった情熱なしにはありえない。効率的でないとかインフラがないからできないというのは言い訳に過ぎない。必要ならそのようなシステムやインフラを心ある同志で作っていけばいいではないか。

 熱に浮かされた少々過激な発言にしまったか。(苦笑)でも、本音である。