腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

大先生、久々に現る。

2011年05月25日 00時03分56秒 | 日記

 実は、昨年の10月以来、長期病気療養中であった大御所の先生。

 昨日、職場でこの7カ月間だれもいなかったあの部屋を通りすがりに見ると、大先生が久々にお越しになっているではないか。思わずうれしくなり、大先生の下へ歩み寄り、お約束の「日本式」で丁重にお辞儀をすると、大先生もお約束どおり、「Oh, Dr.○○○」から、会話をはじめられる。

 大先生は、日本人の礼儀正しさをこよなく愛しておられる。あるとき、ある日本人の先生が、「お前もニューヨーカーらしくなってきたな。(自己主張ばかりするようになったなとの皮肉)」とたしなめられていたことを思い出した。杖をついておられるのが気になるが、いつものニューヨーカーらしいキザな口調はそのままであり、こちらとしてはやはりうれしいものだ。

 研究の世界がどこかしらゲームやコンテストのようなノリになってしまった今日、芸術にたとえ、きざにtumor immunologyの世界を語る、このMr. Gentlemanの話をいつまでも聞いていたい...。

 


5月23日(月)のつぶやき

2011年05月24日 01時55分08秒 | 日記
23:59 from web
昨日、子供たちの運動会があった。小雨の降るあいにくの天気で10℃を切る寒さであったが、子供たちの生き生きとした姿を見ることができた。道中の子供たちの発言から、我が子が誰に対しても寛容でやさしい心を持って成長してくれていることが実感できた。我が家では子供が親の心を解してくれている!
by smmysmmysmmy on Twitter

やっぱり、日本が大好き。

2011年05月23日 02時10分22秒 | 日記

 3月の東北地方被災地支援のための募金もかねて、4月30日に「ルーズベルトアイランド桜祭り」が今年から始まった。

 以前にもブログに書いたとおり、この島にはCherry Tree Walkと呼ばれる桜並木があり、祭りの名に相応しい。この島の桜の木は、以前紹介した高嶺譲吉博士だけでなく、都知事であった尾崎行雄氏らにより日本から贈られたものだと教えていただいた。

 日本の文化を異国の地で、紹介し理解していただく活動ははすばらしいし、ずっと続けていただきたいと思う。

  

募金も集めるこのようなイベントは非営利で行ってこそ意味があるのである。

 


日本人らしさって

2011年05月19日 01時22分05秒 | 日記

 以前、ブログに今回の大震災における日本人の倫理観の高さに誇りを感じていると書いた。

 よくよく考えてみると、多くの人々が信じている「日本人は昔から礼儀正しくて民度が高い。」という感覚は、時の為政者や「お上」から与えられた(強制された)秩序であったのではないだろうか。ふと、そんなことが頭をよぎった。

アメリカ側の視点から描かれた戦後の日本統治を詳細に述べた、John Dower氏の著作「敗北を抱きしめて」は、日本社会ではタブーとされるところも、きちんと個人名をあげて描かれていている。多くの部分は、私も実際に幼少のころ、祖父や父に聞かされた話と重なるため信憑性も高く資料的価値は高いと感じる。アメリカ側の都合、視点で描かれた部分も散見され、決してすべてに賛同できるわけでないが、これが一般書籍といいう形で、何の制約もなく出版できる日本にはたしかに言論の自由がある。第二次世界大戦での敗戦後、新たな支配者であるアメリカの都合である意味、「与えられた」民主主義、自由のもとで、日本人の礼儀正しさ、民度は保たれてきたように思う。戦後の学校教育は、「日本の敗戦」という厳然とした歴史上の流れもあり、戦前の日本の否定を出発点としているように感じる。このような社会体制のもと、戦後の日本は短期間で経済的に立ち直り、さらに飛躍し、世界の先進国の仲間入りを果たした。そして、いわゆる戦後教育が、日本人特有の寛容さ、礼儀正しさ、民度の高さに関係していることもまた事実であろう。

 ニューヨークに暮らして1年半以上が経過した今、日本人が他の国の人間に比べて、「心の底から」礼儀正しく民度の高い民族であるかどうかは、私にはわからなくなってきた。当たり前すぎて恐縮なのであるが、日本人といってもいろいろな方がおられる。こちらで縁があって出会ったひとには、国籍を問わず、礼儀正しく、洗練された尊敬できる方がたくさんおられる。個人的に話してみると、倫理観や価値観は洋の東西を問わず、実はそれほど変わりないことにも気づかされる。きちんとした家庭環境、社会環境で育った人間であれば、他者を尊重するし、礼儀正しいのは当然のことであろう。

今後、日本でも若者を中心に価値観が変わり、周りの目、世間体、お上意識といった、ある種の「抑止力(!?)」が日本社会からなくなっていったときに、これまで「本音と建前」「根回し」によって保たれてきた日本独特の社会秩序はどのように変化をしていくのか、私はいい意味で期待してみたい。

 

写真は、アッパーストのGeggenheim musium。とても有名な建物だが、意外にも実物を見るのははじめてであった。