腫瘍内科医一家のニューヨーク滞在記

ニューヨーク研究留学中での出来事を感想を交えてメモ代わりにつづります。

8月20日(土)のつぶやき

2011年08月21日 02時04分44秒 | 日記
05:27 from web
日本から半年間研修に来られていた先生が今日が最終日となった。時間の経過の早さに驚かされる。NYは早くも気温が摂氏20度台半ばまで下がって来ている。。。
05:38 from web
数ヶ月ぶりに某球団エースのコーチの方から相談のメール。選手の活躍を支えるべく科学的なトレーニングと栄養管理を真剣に考えてくれるコーチの思いやりと愛情の深さに感激させられる。成功の秘訣は同じ目標に向かって突き進むチームを作れるか否かにかかっている。やはり大事なのは「人」なのだ。
by smmysmmysmmy on Twitter

美しい日本人と醜い日本人

2011年08月17日 12時07分34秒 | 日記

東京滞在中、少し気になることがあった。

 

日本では客が偉そうに従業員に接していることが多いように感じる。

「お客様は神様です。」この考えかたは極端すぎると思う。

オンでもオフでも人間はお互い尊重されるべきものではないだろうか。

 

偉そうな態度の客の使用する日本語は美しくないし、少なくとも自分には耳障りで不快感を覚えるものである。

従業員「お客様、何になさいますか。」

客「○○ちょうだい。」「○○してよ。」極端な場合は、「○○もってこい。」
品がないというかなんとういうか、自分には鼻についてしまう。

 

日本では、お金を払っているのだから客は我儘を言って偉そうにしてもよいという感覚を持っている人が結構いるのではないだろうか。もしかしたら、その人も仕事中は気を遣わなくてもならないから、せめてプライベートで憂さを晴らしているのかもしれない。日本の職場にかつていたそのような人間は、たいていの場合たいしたことない人間だった。肩書とってしまえば、ただの人ってやつである。

 

日本人の中に、偉そうに「言える」人間が偉いと思っている人が結構いるのではないだろうか。「偉くなって威張りたい。」なんて考えているなら、そんなの小さすぎるよ、ホント。

本当に偉い立派な人は、偉そうに言う必要などない人です。

 

日本語の丁寧語は、品があってとてもさわやかで美しいものだと思う。

日本の礼儀正しい品のある態度は、欧米人から見てアジア人の中でも日本人が一目置かれる要因の一つである。言葉づかい、ちょっとしたしぐさにその人となりが出るのである。

少なくとも自分は、仕事中であろうと、プライベートで客の立場であろうと、原則、だれに対しても丁寧な言葉遣いをするように心がけている。

 

そりゃ、日本におったら仕事でストレスたまるわ。

 

自分も以前、救急当直をしていたときに、夜中に偉そうな態度な患者さんが、医者は何時でも患者を診て当たり前だろ、夜中の3時に風邪できて何が悪いって感じで来て、不快になったことがある。そんな患者さんに限って、明らかに年下なのにため口で話しかけてくる。(苦笑)

アメリカはサービス業では、日本にまったくかなわない。

時には、こっちが客だぞと怒鳴りたくなる場面もある。しかしながら、多くの場合、客に対して従業員は日本ほど礼儀正しくはないがフレンドリーである。

このゆるさ加減が、アメリカの生活が気楽だと思える理由の一つかもしれない。


東京でのエネルギーを注入される。

2011年08月16日 12時14分26秒 | 日記

かつて、化学療法後の骨髄抑制後の好中球減少症の回復を早めるG-SCFという薬剤を製薬会社側から臨床開発に関わり成功させたSさんが、別件で滞在先の病院を訪問された。(抗がん剤を打った後に血液が減ってしまうが、好中球という感染症に最初に戦う血球を数日間はやく回復させる薬のこと。)この薬のおかげで、骨髄移植、大量の抗がん剤投与がより安全に施行できるようになった。今や、我々にとって必須の薬である。

Sさんから、「せっかくなので少しお話をしませんか。」と、赤坂のB♭(ビーフラット)で行われたジャズピアニスト野瀬栄進さんのソロピアノライブに誘っていただいた。開演前、Sさんの10年来の知人だと種明かしをされ、野瀬さんを紹介していただいた。彼は、約20年間NYに在住し、年齢も一歳しか変わらない同年代だとわかりとてもうれしい気持ちになった。

 ミュージシャンとして20歳で単身アメリカに乗り込み、NYで最高レベルのジャズピアニストに師事し、自分を磨きつづけオリジナル曲を認めてもらうべく勝負するという生きざまは、やはり素直に応援したくなってしまう。20歳の若者が、何の保証もなく単身アメリカに乗り込み、20年間活動を継続している。道は違えども、あまりにも青かった自分自身の20歳のころを振り返り、彼の度胸と決断に敬意を表さざるを得ない。私は、昔から単純すぎるほどの感動屋さんなのである。

ニューヨークのイーストビレッジあたりには、同じ日本人であると名乗られるのが恥ずかしくなるような「お前ら一体こんなところで何しとんねん。おとうちゃん、おかあちゃんが泣いているぞ。」などと、余計なひと言をいたくなるような若者も結構見かける。また、余計なことを言ってしまった。(苦笑)

この日、周りの方の話を聞いていて、人間ってどの道に進んでも同じなんだと改めて納得する場面があった。「日本人は自分が本当にやりたい、やるべきと思うことをしている人が少ないのではないか。」「自分が心から正しい、世の中のためになると信じたらとにかくやってみる、という姿勢に欠けているのではないか。」

 この日は、主におなじみThelonious Monkの楽曲が前半に披露され、休憩をはさんだ後半からは、彼のオリジナル曲が披露された。音楽に入りこんで、所謂トランス状態で演奏している彼の世界に大いに引き込まれた。同年代の人間が尋常でないほどエネルギッシュに演奏する姿を間近で見せつけられて、自分も鼓舞されないわけがない。

やはり、音楽はライブに限るのである。