13日金曜日夜7時過ぎ電話があり、姉が救急車で入院したと知らせ。
そして8時8分に残念ながらダメだったとの知らせ。
そしてお通夜と告別式の知らせ。
何も手に着かず呆然とするばかりだった。
10月1日、ようやく訪ねることが出来た時いろいろなおかずや材料を持って行って一緒に料理をした。
カナダからのもらい物のめずらしい松茸の炊き込みご飯を作りたいという。
カツオや昆布もないのでありあわせのだしの素と料理酒などで何とか炊き上げた。
介護の2級の姉はとても元気で義兄の方が疲れた様子が見えて心配していた。
一人娘は6年前に亡くなり今年は7回忌も済んだところだった。
つらかっただろう、しんどかっただろうに、ご近所の方や亡くなった娘の婿が何くれとなく手助けしていただいたおかげで何とか穏やかに過ごしていた。
コロナやあまりにも暑い夏に行きたくても行けなかった。
余りにもあっけない別れになすすべがない。
お通夜、お葬式も家族葬で思い出話をしながらゆっくりとお別れが出来た。
湯かんにも立ち会うことが出来てとても丁寧にしていただいて有難いことでした。
手にハンドクリームを塗ってあげてくださいとクリームを頂いて初めて手に触った時その冷たさに改めて死を実感して涙がこぼれました。
脚の悪い義兄がこれから一人で生活するために、慌てないでゆっくり自立できるように私も出来るだけのことをしたい。
93歳の姉は老人ホームに入っている。90歳の姉はもう一人でどこへでも行けるのは難しい。
皆年を取り一人抜け二人抜けていく。
姉はピンピンコロリのお手本のように逝ってしまった。
周りの人に世話を掛けないように、コロナでお別れも出来ないような時ではなく、皆に感謝されてあの世に旅立った。
私も見習いたいもの。
毎日を大切にいとおしんで生きなければ。
そして8時8分に残念ながらダメだったとの知らせ。
そしてお通夜と告別式の知らせ。
何も手に着かず呆然とするばかりだった。
10月1日、ようやく訪ねることが出来た時いろいろなおかずや材料を持って行って一緒に料理をした。
カナダからのもらい物のめずらしい松茸の炊き込みご飯を作りたいという。
カツオや昆布もないのでありあわせのだしの素と料理酒などで何とか炊き上げた。
介護の2級の姉はとても元気で義兄の方が疲れた様子が見えて心配していた。
一人娘は6年前に亡くなり今年は7回忌も済んだところだった。
つらかっただろう、しんどかっただろうに、ご近所の方や亡くなった娘の婿が何くれとなく手助けしていただいたおかげで何とか穏やかに過ごしていた。
コロナやあまりにも暑い夏に行きたくても行けなかった。
余りにもあっけない別れになすすべがない。
お通夜、お葬式も家族葬で思い出話をしながらゆっくりとお別れが出来た。
湯かんにも立ち会うことが出来てとても丁寧にしていただいて有難いことでした。
手にハンドクリームを塗ってあげてくださいとクリームを頂いて初めて手に触った時その冷たさに改めて死を実感して涙がこぼれました。
脚の悪い義兄がこれから一人で生活するために、慌てないでゆっくり自立できるように私も出来るだけのことをしたい。
93歳の姉は老人ホームに入っている。90歳の姉はもう一人でどこへでも行けるのは難しい。
皆年を取り一人抜け二人抜けていく。
姉はピンピンコロリのお手本のように逝ってしまった。
周りの人に世話を掛けないように、コロナでお別れも出来ないような時ではなく、皆に感謝されてあの世に旅立った。
私も見習いたいもの。
毎日を大切にいとおしんで生きなければ。
また来月にでもお目にかかれますように・・。元気をだして!
疲れは残っているものの何とか無事過ごしています。又お目に罹れたらうれしいですね。
どうぞお元気でお過ごしください。