勝手にしあわせになってるかも 〜旧、明日はもっとしあわせにするぞ〜!〜

今日はマヤ暦的にはどんなエネルギー?
日々の暮らしの気づきとともに綴るマリマヤ便り

【マヤ暦kl 147 黄色い種・音4】 母の日に気づいた、母への感謝。

2021-05-09 23:59:00 | マヤ暦
母と同じ部屋で枕を並べて寝るなんて、
何年ぶり?何十年ぶり?
もしかして……子供の時以来?

子供の頃から、私と弟は2段ベットだった。
母は、6歳下の妹のものだった。
夜も一緒に寝ていたから、
子供心に私たちより
妹が可愛いんだろうなと思っていた。
大人になって、実は喘息だったから、
一緒に寝ていたらしい。




思春期を過ぎてからは、
母とまったく意見が合わなくなった。
それを私は、真っ直ぐぶつけるから、
いつも母を怒らせてしまって、
よく口を聞いてもらえなかった。

父が亡くなってから、
ますます仲が悪くなり、
顔を合わせば喧嘩になった。
お互いにああ言えばこう言う……
と言う感じだった。



その関係性が変わって来たのは、
私がマヤ暦に出会った時から。
マヤ暦で背中合わせの紋章だと知り、
物を見る視点が全く違うとわかった。

そのうちに、母にもマヤ暦の話をするようになり、
母も耳を傾けてくれるようになった。
そのおかげで、少しずつ
「私は、そう思わないけど、
 あなたはそう思うのね。」
と認め合うことができるようになった。

そんなふうに少しずつ
改善していった親子関係を
一気に帰る出来事が娘の妊娠、出産だった。




それは、はじめの時点では、
母にとっては、受け入れがたい苦難だった。
「白い世界の橋渡し」にとって、
世間体が悪いことは堪え難かったようだ。

でも、陽斗が生まれ時、
私の代わりに母が立ち合い、
それから陽斗への愛情が、
母を大きく変えていった。
元々、小さなものや弱いものに対する
愛情がたっぷりある人だったから。

半年ぶりに陽斗に会って
すごく幸せそうに笑っている母を見たら、
本当はこんな母の姿をずっと見たかったんだな
と自分の気持ちに気がついた。
今までは、その方法がわからず、
自分の思いをただぶつけていただけだった。
それはきっとお互いにそうだったのだろう。





朝、ウォーキング中に
ふと思いついてライブ配信をした。
その中で、母のことを話したが、
ちょうど家にいた娘が
母と一緒に聞いていたようだ。
聞いた後で、母が
それを自分の携帯に保存していたという。
それを聞いて、何だか嬉しかった。




「私が子供の頃、学芸会で主役になっても、
 お母さんは喜んでくれなかったよね。」
と言ったら、母が、驚いたように、
「あんたは、何も言わなかったから、
 見に行くまで、知らなかった。」
と言うので、びっくり!
学校のことは何も話さなかったらしい。
褒められても叱られても、
何も言わなかったようだ。
あら、自分の過去が書き変わっていく。

私は愛されていなかったわけではなく、
愛されていることに
気づかなかっただけのようだ。

そんなことに気づけた母の日。
世界中のお母さん、ありがとう。





☘️5月10日(月)☘️ 〜マリマヤ便り〜
K147 青い手・黄色い種・音4
人々を理解し、把握する「青い手」
一つのことを掘り下げて探求する「黄色い種」
こだわりに没頭する「音4」

自然に備わっている力に目覚める日。
置かれた自分の立場で、
できることを精一杯やってみよう。
力を出し惜しみせずに、
心を込めて取り組めば、
自己治癒力が目覚めてくる。






【マヤ暦K 146 黄色い種 音3】 「白い世界の橋渡し」の母の「死と再生」

2021-05-09 00:09:00 | 日記

肺炎で入院していた母が、無事退院。
最初っから最後まで
すみれが入院の世話をした。

陽斗が生まれる時に、
母が立ち会ってくれたから、
やっとその恩返しができたと
喜んでいた。

すみれが産気づいた時も、
母が救急車で運ばれた時も、
私は不在。
すみれの時は、神戸に行ったばかりで、
今回は、高松にいた。
「大変な時にお母さんは、
 いつもいないよね。」
とすみれに言われる。
そう、いろんな場面で
大変な時に私はいない。
自分はすごくラッキーだなと思う。






私がいないおかげで、
二人の絆はますます深まった。
これもまた
すごく意味があるんじゃないかなと思う。

最後の診察の時に、
「コロナじゃなくてよかった。」
とポロッと母が言ったそうだ。
すると、病院のドクターは、
「コロナはそんなに怖くないよ。
 肺炎の方が怖いんですよ。
 人混みでマスクをして、
 帰ったら手洗いをしたら、大丈夫。
 車の中も、外もマスクはいらない。
 過度に怖がることはないから。」
そう言われたそうだ。
そして、
「外に出て、マスクを外して、
 明るい気持ちで散歩して、
 免疫を上げてください。」
と念を押されたという。




沖縄に来るまで、
コロナはすごく恐ろしいもので、
沖縄に来たらかかってしまうんじゃないかと
すごく怖かったようだ。
でも、それ以上に陽斗に会いたかったから、
清水の舞台から飛び降りるぐらいのつもりで
やって来たようだ。

だから、目的を果たして、
ふっと気が抜けた時、
それまでの疲れが
どっと出てしまったようだ。




怖いのは、本人が病院に運ばれた時のことを
覚えてなかったということだ。
夜中に急に体調が悪くなり、
体が思うように動かなかったらしく、
トイレに行く途中で2回もこけたようだ。
朝になって、母の様子がおかしいと、
娘が私に電話をかけて来た。

昨日こけたという話を聞いて、
寝ている母にいろいろ話しかけたが、
「大丈夫。ちょっと具合が悪いけど、
 寝てたら治るから。」
と答えていた。
もし、誰もいなかったら、
本当には母そのまま寝ていただろう。
でも、そういいながら、
目も開けない 母を見てこれは変だと思った。




そして、知り合いの愛さんに来てもらって、
立ち会ってもらって救急を呼んでもらった。
愛さんは、2度ほど、子供さんの病気で
救急車を呼んだことがあるらしく、
すみれにいろいろ適切な指示をしてくれたようだ。

その後レントゲンを撮って、
肺炎だとわかったらしいが、
母に聞くと、夜中にこけた後から、
レントゲンを撮るまでの間の記憶がないらしい。
私とにやりとりも、
救急車に乗ったことも、
何も覚えていなかった。

もし、ビデオ電話でなく、
普通の電話だったら、
母の大丈夫だという言葉を信じて
何もしなかったかもしれない。
「大丈夫か?」
と聞かれたら、
「大丈夫だ。」
と無意識のうちに答えてしまう
条件反射の恐ろしさを感じる。
いろんなことが、不幸中の幸いだった。




母は「白い世界の橋渡し」の音1
この紋章には“死と再生”という意味がある。
今回の旅と入院で、
心も体も子と再生を
体験したのではないだろうか。
まさに文字通り思い込みと恐れを手放し、
生まれ変わったのではないかと思う。

母の退院と早めの陽斗の誕生日を
近くのおいしいケーキ屋さん
パティスリーポンシャスさんの
1200円のアップルパイでお祝いした。
大きなクッキーのプレートには、
「バーバ、退院おめでとう」
と書かれてあった。

母の強靭な体力と娘の活躍に感謝。
このことは、
災い転じて福となす、
雨降って地固まる。
そんな風になったんじゃないかと、
私は思う。




☘️5月9日(日)☘️〜マリマヤ便り〜
K146 白い世界の橋渡し・黄色い種・音3
もてなしの心で人に接する「白い世界の橋渡し」
気づきによって覚醒する「黄色い種」
つなげる役目を担う「音3」

目覚め、開花の力によって、
橋渡しする日。
これまでの経験や知識を
生かせることを見つけよう。
人と人をつなげながら
成果が出るまで取り組んでみよう。