令和6年6月議会反対討論 井上真吾
井上しんごです。私は議案第82号・令和6年度北九州市一般会計補正予算に反対し討論します。北九州市のアイデンティティは何でしょうか。まず、ものづくりがあり、人が集まり、よそ者同士が力を合わせ、街をつくり、伝統の祭りを継承してきました。本市のアイデンディディは産業です。長い眠りから目覚めた旧門司駅遺構はまさに本市のアイデンティティ・魂と言えるものです。
武内さんが市長に就任して間もない4月の市政だよりで、市長は「挑戦する市政」を進めると表明し、「できない言い訳はしない」と職員を励ましています。私も励まされた一人です。
しかし、今回の旧門司駅遺構については、言い訳しか聞けません。遺構については、重要なもので、現地保存や、複合施設との共存なども検討したが、断念したということです。
理由はお金、そして早期建設の声です。誰も複合施設はいらないとは言っていません。また施設を求めている方も、遺構を壊せとは言っていません。
推進の方も、保存の方も、どちらも、それぞれの必要性、価値を認めています。であるならば共存について、もっとやれることがないでしょうか。
「挑戦する市政」とは、困難な課題に立ち向かうことです。今の完成予想図を見る限り何の挑戦もいりません。鉄骨造りであれば、地面に杭を打ち込み、床部分にコンクリートを打った後、鉄骨を組み上げて、床と壁を作れば完成です。特別な技術はいらないでしょう。私もクレーンの運転手として、こうした現場を見てきました。
しかし、遺構との共存や、少しでも遺構を残そうとすれば、挑戦が必要です。建築上、困難な現場でもあります。NHKの番組「プロジェクトX・挑戦者たち」に描かれてるのも、そうした困難に立ち向かう行政や企業や人々ではないでしょうか。
市長は、今年の新年の挨拶で、「もの言わぬ大多数の方々、つまりサイレントマジョリティの、そんな市民の皆さんの声なき声に応える市政を展開する」と述べました。
サイレントマジョリティの対義語は、ノイジーマイノリティ、つまり、もの言う少数者です。たとえ騒がし声であったとしても、それは市民の声です。
サイレントマジョリティは、一部のクレーマーに振り回れず、もの言わぬ多数のユーザー、つまり、当社の製品を日常的に使って頂いているお客様のニーズをしっかり掴むという、ビジネスシーンで使われるなら納得ですが、ある国家があり、批判している集団はあくまで少数者であり、我々が多数を代弁していると国民を弾圧する理屈にも使われています。
そして、もの言えぬ少数者の声は、誰が聞くんでしょうか。地元説明会で、小学生の手紙が読み上げられ、怒号の飛び交う会場は静まりました。
その子の意見は共存でした。マジョリティの代表は私達、議員や市長です。選挙という特性から、定数一の市長は間違いなくマジョリティの代表であり、議員も上から順番に様々なマジョリティを代表しています。
だからこそ、小さき声に耳を傾けることが必要ではないでしょうか。私はその一人の小学生の声に少しでも応えられないかと思います。例え難しくても、私達がここまで頑張ったよと、その子に胸を張れるのが政治ではないでしょうか。大人の事情で言い訳しても子ども達には通じません。
模型や3Dにして後世に伝えようと言う前向きな議論もありました。しかし、同じく3D展示をしている安土城や、天草四郎が幕府軍と死闘を繰り広げた原城でも、そこに本物があるからこそ、その展示や3Dが生きてきます。本物がなければ、その当時の息吹を感じることができません。
プロジェクトX、私なら、こういう未来が描がけます。遺構が発見され、予算のない中、また早期建設を求める世論の中、難しい舵取りを任された市長。そこに一人の小学生から手紙が届く。市長は、遺構と施設建設との共存を決意し、先例を見ない難工事に挑戦することにした。
建設を求める議会から「不信任だと」と怒号が飛ぶ中、市長は県や政府に掛け合い財源を捻出、地元に頭を下げて、共存案への理解を求めた。工事は国内の技術の粋を集めて、とうとう遺跡と共存した施設が完成した。あれから20年、門司港には国内外から多くの鉄道ファンが訪れ、門司港レトロは世界的な観光地と発展したと。これなら「挑戦者」として、後世に認められるのではないでしょうか。
新入幕優勝した尊富士が「記録よりも記憶に残る力士になる」と言っていました。
市長も、「当選回数という記録よりも、市民の記憶に残る市長」になってほしいです。
以上で討論を終わります。