おじさんライダーの独り言

乗り物好きのおやじです。時事ネタありの独り言を書いてしまいます。です

寄居ってどんなところだったんだろう?

2023-12-04 07:00:00 | 時事の話しなど
大内沢でみかん狩りしてから、相馬水産で夕食を食べようと思っていて、でもちょっと時間があるからと鉢形城を歩いてみた。鉢型城跡はかつての鉢型城はたいそう立派だったんだろう、それは何回歩いてもそう思うけど、今回の焦点はそこではなくて。。。
鉢型城は荒川の崖に守られた天然の要害と言われているわけで、なので寄居の街とは荒川を隔てておりそこには正喜橋というけっこう高い橋で繋がれている。
鉢型城からその正喜橋を渡って右側には雀宮公園というのがあって、そこは七代目松本幸四郎の別荘跡だったのだそうです。

その松本幸四郎さん、ウィキペディアを見ると1870年6月10日(明治3年5月12日) - 1949年(昭和24年)1月27日)という時代に生きられた方であり、最寄りの寄居駅は同じくウィキペディアで見ると1901年に開業した駅。つまり当時はまだ東武線(というものではなかったようだが、ここではまあ細かな事は良いので)がようやく開通したようなものであって、交通の便は今とは比べ物にならないだろう。そんな場所に別荘を所有するのね~って改めて思うとけっこう思い切ったんだろうなと思いますね。
なんぼ荒川の景観がいいよ・・・とは言ったものの。

そのまま荒川上流方向にちょっと歩いてから河川敷を離れて正喜橋に戻ろうとしたら枕流荘 京亭という歴史のありそうな建物が現れました。
ホームページはこちら。
この建物をみると、寄居ってどんなところだったんだ?って思わされたのですね。もちろん鉢型城があったことからかなり前から人は居たのだろうと。
でも現代としては一介の田舎に見えるわけですよね。熊谷から離れた関越自動車道至近の街、みたいな。
でもこういうのをみるといろいろありそう・・・って感じてしまったというところです。
クロスバイクを持ってほっつき歩いてみようかな。