こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ピアノと薔薇の日々。-【17】-

2021年05月03日 | ピアノと薔薇の日々。

 

 実は今回は、性分化のことについて言い訳事項があったんですけど……ゴールデンウィークを間に挟んだせいか、注文してた本のほうがまだ届いてないもので、また何か前文に暇があった時にでもと思います(^^;)

 

 なので、特に書くことないってことで、この間ふと思い出したことでもと思いました。。。

 

 ええとですね、【13】のところで、マキの高校時代のバイト先の先輩にやおい好きの方がいて、彼女には特にモデルがいるわけではないのですが(笑)、その昔同じ職場に物凄い秘蔵のやおい本をお持ちの方がいたんですよね

 

 で、「滅多なことでは人に見せない」、「門外不出」……と言って見せてくださった本の中に、「カツオと中島くんのやおい本」がありまして、今回何故かそのことをふと思いだしたのです。

 

 内容のほうは確か、「いそのーっ!」、「中島くんーっ!」、「イソノーッ!!」、「中島くんーッ!!」、「磯野おうっ!!!」、「な、中島く……っ!!!」といった感じでもなく、カツオくんも中島くんもすでに社会人で、ふたりともジムで体を鍛えるのが趣味の、マッチョな肉体の持ち主でした。。。

 

 だからといって中身のほうは特段ギャグ☆といったこともなく、作者さんは御自身もゲイの男性の方で、そのあたりのことが本の中には反映されているのかな……といったようなお話だった気がします(でも、読ませてもらったのが相当昔のことなので、記憶のほうがすでに定かでなかったり^^;)。

 

 で、今回そのことに関連してふと思ったのが――サザエさんってようするに、日本の古き良き時代の理想の家庭像なわけじゃないですか。でもそこへ、大人になったカツオが「実はぼく、ゲイなんだ!」と家族の前で告白したらどうなるんだろう……と、ふと思ったのです。

 

 わたしももう長いこと、リアルタイムでサザエさん見てないのですが(汗)、確か今も続いてるんですよね?でも、物語の設定として、古き良き昭和時代を無限ループしてるってことだと思うので、お話の中には今日的な問題がそんなに出てこない気がしたり

 

「♪さて、来週のサザエさんは……『カツオ、ゲイをカミングアウト』、『タラちゃんの家庭内暴力』、『イクラちゃんの不登校』の3本です!じゃんけんぽんっ!!ウッフフフフ……!

 

 とかいうのは、まずありえないというか(^^;)

 

 他に、『タイコ、ワンオペ育児にもの申す』とかも思い浮かびましたが、そうなると『イクラちゃんの不登校』と時間的に噛み合わないかなと思って入れなかったものの――『サザエ、マスオの浮気を疑う』とか、『波平とフネ、熟年離婚危機』など、「大人サザエさん」っていうんですかね(笑)。日本や世界が抱える問題を、サザエさん一家に悩んでもらうというのも……なかなかドラマとして悪くないことなんじゃないかと、ふと思ったというか。

 

 ではでは、次回は確か、アトゥー氏の久しぶりの愛人宅訪問……といったところで、君貴とチャンマキとレオンが顔を合わせる回だった気がします(^^;)

 

 それではまた~!!

 

 

       ピアノと薔薇の日々。-【17】-

 

 マキは花の配達先のひとつである、『ケン・イリエ建設エンジニアリング』のCEO、入江健のことなどすっかり忘れ切っていたため――実に上機嫌にスーパーで買い物してから、レオンの待つ自宅のほうへ喜び勇み帰宅した。

 

 レオンが溜まっていた洗濯物をすべて片付けてくれたことに、マキはすぐ気づかなかった。玄関口に入ると、奥のリビングからは暖かなオレンジ色の光が洩れてきている……「たっかふっみちゃ~ん!」と言いながら、マキはそちらのほうへ飛んでいった。

 

 そしてマキは、一瞬絶句した。レオンが赤ん坊のことを背中に抱っこ紐でくるんだまま、スープの味のほうを確かめていたからである。まるで昭和の古き良き時代を垣間見たような気がして――マキは悪いと思ったものの、思わず笑ってしまった。

 

「ああ、おかえり……ってマキ、なんでそんなに笑ってるのさ?」

 

「だって……貴史が容赦なくあなたの金髪を引っ張ってるのに――レオンったら好きなようにさせてる上、スープの味見なんてしてるんですもの。ピアノ界のスーパースター、レオン・ウォンがこんなことしてちゃ絶対いけないって思うに決まってるじゃない!」

 

「ああ、そういう意味か。なんか、この抱っこ紐って前側で抱っこするように使ったほうがいいんだろ?でも、食事の支度中は無理だと思ったもんだからさ」

 

「いいのよ。それより、今日もすっごくいい匂い!これ、もしかして中華料理?」

 

 レオン・ウォンが中国育ちなのは有名な話であるが、彼が中華料理を作れるとまでは、マキも思っていなかった。

 

「もしかしなくても中華かな。っていうか、ネットスーパーから届いた食材の中にあったから、<作り方>のところを見て試しに作ってみたんだ。味見してみたら、自分でも悪くないと思ったんだけど……どうかな?」

 

 そう言ってレオンが菜箸を使い、マキの口許までホイコーローを持ってきてくれたので、彼女は差しだされたお肉にパクついた。

 

「ん!超おいしい!!」

 

「良かった。じゃあ、早速食事にしよう。お腹すいてるだろ?」

 

 この時、レオンの背中で貴史が「あ゛あ゛、あ゛あ゛、あ゛あ゛~ん!」と、なんとも言えない切ない声で泣きだしてしまう。

 

「ああ、ごめんごめん」と、背中を揺らしてあやしながらレオンが言った。「ママが帰ってきたからな。そりゃ、男のゴツイ背中にいるより、ママのほうがいいに決まってる。よしよし、今下ろしてやるからな」

 

 その間、マキは急いでバスルームのほうで手を洗い、うがいすると超俊足により戻ってきた。

 

「ああ、ハイハイ。こんなに長く離れてたのは、初めてでちゅもんね。寂ちかったでちゅか?ああ、そうでしゅか。レオンお兄ちゃんがいてくれたから、寂しくなかったんでちゅね。ハイハイ、いい子でちゅね~。貴史ちゃんはとってもいい子!」

 

「いいよ、マキ。そんなに無理しなくて……僕ももう、お兄ちゃんって年でもないしね。でも、割と昼間は大人しかったかな。粉ミルクにも満足して、ぐっすり寝てくれたし。あと、僕の気のせいじゃなかったとしたら、僕にも少しは慣れてくれたみたい」

 

「そりゃそうよお!」

 

 マキは「高い、たかい」をしてから、もう一度愛しい息子のことをぎゅっと抱きしめる。

 

「赤ん坊は自分によくしてくれる人のことはわかるのよ!君貴さんもねえ、もう少しこの子と打ち解けてくれるといいんだけど……あの人はそもそも育児恐怖症だから、仕方ないのよね」

 

「育児恐怖症?」

 

 レオンは、キッチンの棚から中華風の皿を選ぶと、その縁に渦巻き模様のある皿にホイコーローを入れた。夕食の品としては、他に鶏がらスープの素で作った水餃子のスープ、春巻、チンジャオロース、中華サラダなどだった。

 

「うん。ええとね、あの人の場合のは、育児ノイローゼっていうのとは別の意味での育児恐怖症だとは思うんだけど」

 

 マキは揺りかごを食事テーブルのそばまで持ってくると、それを揺らしながら隣で食事した。

 

「友達の親戚の話ではあるんだけど……赤ちゃんを産んだ直後から様子がおかしいと思って、旦那さんが病院の精神科のほうに連れていったお嫁さんがいるのね。というのも、赤ちゃんが泣き叫んでても部屋の隅で震えながら耳を塞いでるだけだったから、病院で診てもらうことにしたんですって。赤ちゃんの体のどこかに小さな発疹を見つけただけで、「どうしよう、どうしよう」ってパニックになったりするって旦那さんがお医者さんに説明したら――カウンセリングが進むうちにわかったのがね、ようするに「なんでも自分のせいにされる」っていう不安や恐怖心が強くて、それでパニック状態になるっていうことだったの」

 

「ああ、なんかそれ、すごくよくわかる。ちょうど、きのうの僕と同じ感じだ」

 

 中国育ちの割に、中華料理があまり好きでないレオンではあったが、この日、自分が作った料理の味にはかなりのところ満足していたといえる。

 

「それで、そのお嫁さんはどうしたの?」

 

「ようするにね、それでようやく旦那さんも考え方が変わったっていうことだったの。奥さんは結婚と同時に専業主婦になってたから、料理をするのも掃除するのも洗濯するのも、なんでも奥さんがやって当たり前……ずっとそんな感じだったんですって。それで、奥さんのほうに何か落ち度があると、口に出しては言わないけど、目線だけでちょっと責める、みたいなね。そこに育児まで加わって、きっと心が負担に耐え切れなくなったんじゃないかしら。でも旦那さんのほうで、奥さんが今みたいなことになったのは全部自分が悪い、自分の責任だ――みたいに潔く認めてあやまってくれたんですって。それからは旦那さんのほうでも家事を手伝ってくれたり、赤ちゃんの面倒も色々見てくれるようになって、随分変わったみたい」

 

「ああ、なるほど。マキの言いたいことは大体わかったよ」

 

 生春巻を食べつつ、レオンはくすくす笑った。

 

「そうなの。君貴さんの場合はね……子供の面倒を見るとしたら、『完璧に見たい』っていうのがあるんじゃないかしらね。それでなかったら、自分に一切責任がなくていいようにほっぽっておきたいっていうか。ようするに、両極端なのよ。だからたまにうちに来ただけで、父親の責任をまるで果たせてないような気がして、貴史ともオドオドしながら接してるんじゃないかしらね」

 

「なるほどなあ」

 

 君貴から聞く話とマキの現実の意見の相違がわかり、レオンとしてはおかしくて堪らなかったといえる。

 

「そういや君貴、最初につきあった男の恋人に言われたっていってたっけ。『人との間に完全性を求めようとするのが君の欠点だ』って」

 

「なんか、わかるような気がする」

 

 実はマキもそれほど中華は好きというほどではないのだが――レオンの作ってくれた料理があんまり美味しくて、次から次へといくらでもお腹に入っていった。

 

「しかもそれ、君貴が初めてつきあった女性に振られて、落ち込んでる時に言われたセリフらしいよ。相手とのつきあいにいつでもそんなに完全性を求めてたら、誰ともうまくなんていきっこないって」

 

「…………………」

 

 この時、マキは(やっぱりそうなんだ)と思い、寂しい気持ちになった。自分は、君貴の初めて交際した女性についても、彼がゲイになった経緯についても、何も知らない。もちろん、聞けば答えてはくれたに違いない。けれど、レオンは本当に恋人のことをなんでも知っているのだと思った。そして、それが自分と彼との差であり、違いなのではないかという気がした。

 

「もしかして、気になる?君貴がマキの他に、唯一つきあったことあるのが、その人だけみたいだから……」

 

「うん、気になる。っていうが、すっごく気になる!!」

 

 このあと食事をしながら、レオンは君貴の恋愛経験について、かいつまんで知っていることを説明した。ウィーンの音楽院で知り合ったアメリカ育ちの日本人ヴァイオリニストと交際していたこと、彼女が自分と別れた一週間後に指揮科の男と交際しはじめたのを知り、ストーカーのように彼女につきまとい、理由を聞いたこと……何かにつけて「自分はああ思った、こう考えた」、そんな自己中男にはもううんざりなのよ!と言われ、完璧に振られたこと――失恋の痛手を抱えた彼のことを、寮の尊敬する先輩が一夏の間旅行に連れだし、その時にヨーロッパ中の教会建築などを見てまわったことで、プロのピアニストになることは諦め、建築家を目指そうと決めたことなど……。

 

「それでね、その先輩っていう人が、君貴にとっては自分以上に色々なことを知ってる、すごく尊敬できる人だったらしいんだ。しかもその夏の間、何か見返りを求めるでもなく、献身的によくしてくれたみたいでね……旅の終わりくらいに、パリのセーヌ川で告白されたんだって。まあこの場合、君貴にとってはすでに相手が男か女かなんてこと、小さなことになってたんじゃないかな。それで、その後も交際を続けて七年後くらいに――エイズで亡くなったんだって。あ、そういえば忘れてたけど、僕も君貴も定期的に検査を受けてるから、性病とかエイズの心配はないと思って大丈夫だよ」

 

「わたし、そういうことはべつに……」

 

 食事のほうも大体終わり、片付けの前に、ふたりはソファのほうへ移動した。レオンがプーアール茶を入れ、持ってきてくれる。

 

「いや、大事なことだよ。っていうか、僕ら三人の間でなんらかの病原菌を持ってる可能性の高いのは君貴だけだけどね。僕は彼と違って、他の男と遊び歩いたりとか、そういうのはないから……そもそも君貴とその人とは、ボストンとドイツのケルンとで離れてて、二か月とか三か月に一回会うとか、最後のほうはそうした感じだったらしい。長期休暇の間なんかは、ふたりで旅行したりとか、そういう風ではあったみたいだけどね。でも、彼がエイズになったのは、明らかに君貴以外の男とも遊んでたからっていうことでね。そのことも、君貴にはショックだったらしい。だから、その人の死後にとても落ち込んで、その頃から君貴のほうでも、気晴らしに男と一夜限りの関係を結ぶとか、そういうことを覚えていったらしいんだ」

 

「そうだったの……」

 

 この時マキは、君貴が重ねてきた人生経験の重さと、自分のそれとの違いを感じて、溜息を着いた。もちろん、十四歳も年の差があるのだから、ある意味当然といえば当然なのだが――それでもマキは、最近会っても彼がそそくさとすぐ帰ってしまうせいもあり、何かより寂しいものを感じていた。

 

「他に、何か聞きたいことはある?もちろん、僕の知ってることで、答えられる範囲内でってことにはなるけど」

 

「そうね。レオンは、君貴さんといつごろ出会ったの?」

 

 自分以外のことを聞かれると思っていたので、レオンはマキのこの質問が少し意外だった。

 

「そうだなあ。今から六年以上も前のことになるのかな。僕が二十七、君貴が三十二歳くらいの頃だった。ニューヨークには男だけが行く盛り場みたいなところがいくつもある……そういうところで、君貴がピアノを弾いてたんだ。少し聴いただけで、『すごい奴がいる』ってすぐわかった。もっとも、その場にいた連中はほとんど全員がべろべろに酔ってたし、クラシックなんかよりノリのいいジャズか何かを聞きたかったんじゃないかな。だから、ブーイングが飛んだ。そしたらあいつ、今度はバド・パウエルの曲を弾きはじめて――まあ、とりあえずブーイングはやんだけど、誰も君貴の演奏技術の凄さとか、そういうことにはさっぱり感心がないんだ。僕はね、この馬鹿どもの酔いも覚めるような演奏をしてやろうと、即座に心に決めた。で、君貴に「どけ!」って言って、代わりにピアノを弾きはじめた。ラフマニノフのピアノ協奏曲だったんだけど……まあ、たぶん有無を言わせない気迫が僕にはあったんだと思う。演奏が終わると、あたりからは口笛と拍手喝采が飛んだ。僕はこの時、『どうだ!』とばかり、君貴のほうを振り返った記憶があるよ。そしたら彼は、「おまえ、天才だな」って言って、笑ってたっけ」

 

「そのあと、どうなったの?」

 

 マキは、ふたりの恋のゆくえが純粋に気になった。彼らがゲイかどうかということは関係なく――異性同士でも同性同士でも、恋愛というものが働かせる魔術というのは同質のものだと彼女は思っている。

 

「お互い、恋に落ちるのに時間はかからなかったよ。僕はその頃、大学でピアノの学士号と修士号を取得して、卒業していたし……デビューが早かったせいか、コンサートを続けることに意味を見出すことが出来なくなってもいたんだ。だから、君貴と出会えたことは僕にとっては奇跡にも等しいことだったと言っていい。じゃなかったら、天才ピアニスト、レオン・ウォンはとっくの昔に引退してただろうね。僕はプロのピアニスト以上の技術を持つ彼の演奏に触発されて――その後もコンサート活動を続けてこれたようなものなんだよ。他に、建築家としての彼の生き方にも学ぶところが多かったし、単なる恋人以上の存在なんだ、僕にとって君貴はね」

 

「ごめんなさい、わたし……本当に、何も知らなくて……」

 

 マキは震える手で、プーアール茶のカップを、ソファの腕木のところに戻していた。

 

「ああ、ごめん。そういう意味じゃないんだ。っていうか、僕もマキにちゃんとあやまってなかったよね。おととしの大晦日にあったこと……だからさ、男との一夜限りの遊びとかっていうんならね、最初の頃はともかくとして、僕も今では許せるようになってきてるわけ。にも関わらず、今度は女性が相手だっていうだろ?だから流石の僕も頭にきたっていう、あれはそういう話。僕はね、ずっと『なんでよりにもよって女なんかと』と思ってカッカしてたわけだけど、今はね、君貴の気持ちが色々な意味でわかる。カールに聞いたんだけど、マキ、僕に対して『天使を傷つけるなんて出来ない』みたいに言ったんだって?あんなひどいこと言った奴に対して、なんでとしか、今も僕には思えないけど……」

 

「だって、そりゃそうでしょ!今もわたし、どうしてすぐあなたがピアニストのレオン・ウォンだって気づかなかったのか、不思議に思ってるくらいなのよ。だけど、あなたみたいな人があんなに怒ってるってことは――ようするに、わたしのほうになんらかの非があるってことでしょ?それに、カールに色々説明してもらったお陰で、君貴さんとレオンの絆の強さには到底かなわないって、すぐわかって良かったとも思うの。でも、君貴さんのこと、諦めようと思ってた時に妊娠してることがわかって……」

 

 この時、レオンはマキのことが可愛くてたまらなくなって、自分でも困った。そして、間近で彼女のことを見るにつけ、彼にもだんだんわかってきたのだ。(こういうところだ)といったように。(マキのこういうところが君貴も好きなんだろうな)といったことが。

 

 だが、レオンはあえて自制心を働かせて、彼女の肩を抱きよせるのはやめることにしておいた。

 

「その、さ。ちょっと話は変わるかもしれないんだけど……マキ、今君貴以外に気になる人とかっていないの?」

 

「そんな……毎日育児と職場との往復で、そんなことなんて考えてられないわ。そりゃ、レオンの言いたいことはわかるわよ。彼はもうわたしには興味なんてないみたいですもの。いくら父親でも、しつこく自分の恋人に縋ってないで、今度は異性愛者の男とちゃんとした恋愛をしたほうがいいとか……だけど、ほんとにわたし、もう貴史が自分の人生にいてくれてるだけで十分だと思ってるの。なんだったら、レオンの口からあの人に言っておいて。『そんなに無理してここへやって来なくても、わたしも貴史もあなたのことを父親として大切にすることは変わりないんだから心配しないで』って」

 

「今日……っていうか、たぶんあの廊下の蘭の数を見るに、今日もって言うべきなんだろうね。こんなものが届いてたよ」

 

 レオンはちょっと席を外すと、廊下まで、黄色のシンビジュームを取りに行った。そして、戻ってくると、それをテーブルの上へ置く。

 

「なんだっけ?ケン・イリエとかっていう人。僕もさ、職業柄人から花をもらったり、自分でもお礼に贈ったりって結構あるけど――あれ、全部合わせたら十万二十万じゃ全然利かないだろ?べつに、僕はマキが君貴のことを諦めてくれたら万々歳だとか、今はそういう気持ちはあまりないんだ。それより、相手が誰であれ、マキが心から幸せになってくれることを願ってる感じなんだよ。だから、もしこのケン・イリエって奴が、貴史のことも込みで心からマキのことを愛してるとかっていうことなら……」

 

「ち、違うのっ!入江さんはそんな人じゃないのよ。何度か人手の足りない時に、会社のほうまで花を届けたことがあるってだけで――ここにわたしが住んでるってことも、なんで知ってるのかなっていうか。それに、会話らしいような会話もしてないし、その会話だってちょっとした社交辞令みたいな感じなのよ。本当にそんな程度なの。だから、こんなこと言ったら申し訳ないんだけど、正直ちょっと気持ち悪いっていうか……」

 

 ここで、レオンはおかしくなってつい笑ってしまった。果たして、入江健がマキに対して一目惚れしたということなのか、そういった経緯は彼にもわからない。ただ、レオンにしてもわかるような気はするのだ。マキはあの大晦日の夜に会った時よりも、さらに綺麗になっていた。本人は、「子育てに追われたしなびた女」といった言い方をするのだが、むしろ子供を生んだことで顔つきがさらに生き生きとし、母性愛に溢れているのに、どこか少女らしいところも残っていて……何かそんな印象だった。

 

「そっか。そういうことだったんだ。ごめんよ、マキへの贈り物を勝手に覗き見した上、随分とんちんかんなことを言ってしまったみたいだね。正直、僕もここに来た時から違和感はあったんだ。君貴からは、花を生けるセンスのある子だ……みたいに聞いてたのに、廊下に高い蘭の花を並べて人に自慢したいんだとしたら、ちょっと悪趣味だなと思ったもんでね。けど、そうなると確かにそりゃ気持ち悪いな。そもそも蘭の花って女性器の象徴みたいなもんだし、ようするにそいつ、遠まわしに『マキと寝たい』って言ってるってことなんじゃないの?」

 

「やっ、やめてっ!そういう言われ方すると、ほんとにぞっとする。えっとね、確かに入江さんはいい人なのよ。なんか、普通のいい人っぽい感じのするおじさん。だけど、たぶんそういうことじゃないと思うの。だから、そのうち蘭の花が送られてこなくなるといいんだけど……あっ、レオン。もし誰かにあの花を贈りたいとしたら、いくつでも持ってっていいわよ」

 

「いやだよ。蘭の花だなんてあからさますぎて下品だし、相手に変な誤解を与えそうだもの。僕ならもっと、洗練された花の贈り方をするね。パリジャン風にさ。それより、君貴はこのこと知ってるの?あの蘭の花の数を見たら、『これ、一体どうしたんだ?』くらいのことは聞いたんじゃない?」

 

「う、うん……店のあまりものをもらったって言ったら、『へえ』って言って、それで終わり」

 

 レオンは肩を竦めた。自分がここにいる間は、まだいい。だが、そんな気味の悪い奴がマキのまわりをうろついているというのであれば――そのことを、彼としては君貴に報告しないわけにいかなかった。

 

「このこと、君貴に言ってもいい?」

 

「えっと……でも、よく知らないおじさんが花を贈ってくるなんて聞いても、君貴さんにはどうでもいいことなんじゃないかしら」

 

(わかってないな、まったくマキは)

 

 レオンはそう思い、今度こそマキの肩を抱き寄せ、彼女の頬にチュッとキスした。

 

「むしろ、これは実にいいチャンスじゃないか。僕のほうからはね、もう思わせぶりたーっぷりに、色々あいつに吹き込んでおいてやるよ。『マキにも言い寄ってくる男がいるんだよ~』、『まあ、無理もないよなあ』、『子供を生んでむしろセクシーになったし、そのフェロモンに引き寄せられるオス犬がいるのも無理ないよねえ』みたいにね。なんだったら、僕がマキとすっかり仲良くなったところを見せつけて、君貴のことを除け者にしてやったっていいし。そしたらあいつも少しは目が覚めて、まともな父親ってやつになるだろうよ」

 

「い、いいのよ、そんな……レオンもね、無理しないでいいのよ。今日の中華も、とっても美味しかった。でもわたし、ごはんに野菜炒めにお味噌汁とか、なんか毎日そんな感じなのよ。だから、そんなに気を遣ってくれなくていいの。ただ、あなたがここへ来て、貴史の面倒を見てくれただけで嬉しかった。お互いの立場のことを考えると、そんなふうに思うこと自体、もしかしたらおかしいのかもしれないけど……」

 

「確かにね。僕らのこの関係は今、明らかにおかしいよね」

 

 レオンはあらためてそう思って、笑った。

 

「やっぱりこれは、君貴の性格と、僕と君貴の関係が同性愛だからっていうことが大きいのかな。あと、マキが可愛いからっていうのもあるけど……」

 

「いいのよ。わたしはただ、酔っ払ったあの人が男だと勘違いして寝たってだけの女だもの。でも、こんな雑誌が置いてあったりしたら、確かにレオンだって色々考えちゃうわよね」

 

 マキはテーブルの横、マガジンラックに収められた某女性誌――そこに太字で書かれたタイトルを見て、思わず笑ってしまった。『ママだって輝きたい!!忙しい合間の女磨き』……マキは適当にぱらぱら内容を読みはしたが、そこに書かれたいくつかの『女磨き』について、実践しようという気力がなかった。結婚しても子供がいても、旦那さんに女として見られるための努力だの、今のマキにはどうでもよかった。そして、『第一わたし結婚してないし、子供の父親だっていつまでここに来るかわかんないし……』そう思い、溜息を着きつつ雑誌を閉じたのだった。

 

 もっとも、マキは知らない。レオンがその雑誌をぱらぱら読んで、一番注目したのが『産後の膣締め体操』というページだったということなどは……。

 

「う、うん。なんかさ、女の人って、ほんと大変なんだなあと思ったよ。男はさ、種さえ播いたらあとは知らん顔ってほどひどくはなくても――基本的に女性に子育てしてもらって、自分はそれを助けるって立場を取ればいいわけだろ?僕が女性だったらさ、たぶんこう思う気がする。あんたの子を生むだけでこんなに大変だったんだから、あとのことはあんたがやって当たり前なのよってね」

 

「あのね、カールとかモリスさんと話した時にも思ったんだけど……君貴さんはともかくとして、ゲイの人ってほんと、普通の男の人より全然女のことをわかってると思うのよね。この差って、一体どういうことなのかなっていうか……」

 

「さあね。君貴の受け売りによれば、遺伝子的には人って放っておくとXX――つまりは、全員女性になるっていうことらしいよ。ええと、なんだっけな……それがXYになるのは受胎後五週間目くらいに、SRY遺伝子っていうのが活動をはじめて、性線を精巣に作り変えはじめるからだとかって。で、この精巣からは男性ホルモンが分泌されるわけだけど……テストステロンといった男性ホルモンが胎児の成長過程で十分分泌されなかった場合、カールみたいに「本当はわたし、女に生まれてくるはずだったのに、神さまは何考えてんのかしら」って言うことになるというかね。あいつの話によれば、何かそんなことらしい」

 

「う~ん。でもわたし、レオンは何か違う感じがするのよね。どう言っていいかわからないんだけれど……」

 

「そうだね。僕はべつに、自分でゲイになろうと思ってなったわけじゃないっていうか……君貴みたいにたぶん、一度くらい女性とも経験する機会があったとしたら……何かが違ったのかもしれない」

 

 マキは、何故かこれ以上聞いてはいけない気がして、黙り込んだ。むしろ空気を読んだレオンが、もう一度マキの頬にチュッと口接ける。

 

「ほんと、僕が君貴の立場ならよかったよ。そしたら、こんな可愛い奥さんと子供が今ごろいたんだ。その値打ちがわかりもしないだなんて――あいつは本当に、呆れた大馬鹿野郎だ」

 

 レオンは、揺りかごの中で貴史がぐっすり眠っている姿を見ると、静かに食器を洗いはじめた。それを見て、マキも手伝おうとする。

 

「いいよ。きのうも言ったろ?それより、仕事で疲れてるんだから、テレビでも見ながらソファで横にでもなってなよ」

 

「あ、ありがとう、レオン。じゃあわたし、ちょっとお風呂に入ってきてもいい?」

 

「うん。ゆっくり入りなよね。今まではたぶん、赤ちゃんのことを思ってのんびり髪を洗ったりも出来なかったんだろ?」

 

(そんなことまでわかるなんて……)

 

 マキはすっかり驚いてしまった。確かに、レオンの言うとおりだった。いつ貴史が泣きだすかわからないので、ゆっくり湯船につかるといったことは一切できない。そして実際に、髪を洗っている途中で貴史が泣きだし、慌ててバスルームから出ようとしてすっ転びそうになったということが、マキにはある。

 

 この時、マキはレオンが自分の頬にキスしてくれたように――洗い物をしてくれている、彼の背中に抱きつきたくなった。もちろんおかしな意味ではなく、(どうしてこんなによくしてくれるの?)といった親愛の情からであったが、彼が美青年すぎるあまり、流石にそんなことは出来なかった。また(もしそんなことしたら、彼のファンに殺されそう)といったように思い自制した、というせいもある。

 

 だが、こんな形で、マキとレオンは男女という性を越えたパートナーとして、その後も至極しっくり、うまくいっていた。そしてこの一か月後、君貴はほとんど夫婦も同然といったようにしか見えないふたりを前に、愕然とするということになるのであった。

 

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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